『遥かなるルネサンス -天正遣欧少年使節がたどったイタリア-』神戸市立博物館 | アメ太郎、パン次郎とググ&おチビ

アメ太郎、パン次郎とググ&おチビ

猫事・展覧会・お星さま・スイーツ

『遥かなるルネサンス -天正遣欧少年使節団がたどったイタリア-』
神戸市立博物館で今日から開催です。
昨日内覧会にお邪魔しました。
※写真は特別の許可をいただいて撮影しています。
 
16世紀、キリスト教の世界布教にともない日本にも宣教師がやってきます。イエズス会士ヴァリニャーニは、日本での布教をさらに深めるために日本人信徒をヨーロッパに派遣します。それが「天正遣欧少年使節」伊藤マンショ、千々石ミゲル、原マルチノ、中浦ジュリアンの4人です。
使節は1582年長崎からイタリアに向けて出発します。到着したのは1585年3月1日。スペインからマジョルカ島を経て、リヴォルノ港に上陸しました。5か月間イタリアに滞在し、各地で大歓迎を受けます。そして8月9日ジェノバ港から出発、イタリアを離れました。
 
展覧会は、プロローグから始まり、9つの章に分けて、少年使節がだどった航路(旅路)をめぐっていくという構成です。
第1章 トスカーナ大公国
 
《リヴォルノ港の景観を表したテーブル天板》
1601-04 貴石のモザイク
フィレンツェ ウフィツィ美術館 ↓
トスカーナ公フェルディナンド1世の工房で作られた貴石象嵌のて0ブル天板。造船所防衛のための要塞や、波間に浮かぶ島々の建造物、前景には灯台がそびえている。
瑪瑙や白斑入りのラビスラズリなど貴重な素材が使われていて重さは約300キロ。(横綱白鳳二人分 (゚Ω゚;))
 
《フランチェスコ1世・デ・メディチの肖像》
1570年頃 油彩 板
フェイレンツェ、ウフィツィ美術館↓
《ビアンカ・カッペロの肖像》
1578年頃 油彩 板
フィレンツェ ウフィツィ美術館、パラティーナ美術館および王の部屋
フランシスコ1世の妻(大公妃)
ピサの宮廷に、少年使節を迎えて舞踏会を開催。
日本の九州から来た、ヨーロッパ文化に対するたしなみのない少年たちがダンスを踊ることになったそうです。ビアンカが指名したのは伊藤マンショ。見よう見まねで一生懸命踊り、拍手喝さいを浴びたそうです。
 
《ビア・デ・メディチの肖像.》
1542年頃 油彩 板
フィレンツェ・ウフィツィ美術館↓
見た目にも美しい、少女像。
長い間メディチ家で大切に保管されていて、約470年間フィレンツェから出たことがない、展覧会への貸し出しもほとんどないという、貴重な、まさに「箱入り娘」だそうです。
もちろん、日本初公開です。
 
第2章 ローマへの旅
最初に目に飛び込んでくるのは巨大なタペストリー!
《布幕を用いた狼の狩猟》
1574-75 水平織機による綴れ織り
フィレンツェ ウフィツィ美術館
メディチ家の別荘の部屋を飾るためにフィレンツェ公コジモ1世の注文で制作された、36枚のつづれ織りの作品のうちの一つ。
少年使節も宮廷に招かれ、王様たちに誘われ、貴族のたしなみである狩猟に出かけたこともあったそうです。
 
第4章 ヨーロッパ都市の女王ローマ
ローマ=(イコール)バチカン。
使節団は、当時の教皇であったグレゴリウス13世に謁見。
《グレゴリウス13世の肖像》
1575年頃 油彩 カンヴァス
フラスカーティ、ヴィッラ・ソラ・サレジオ会↓
さらに、そのあとを継いだ、新教皇であるシクストゥス5世の戴冠式にも参加、面会も果たしたそうです。
 
第4章 ペーザロとイモラ
 
第5章 エステ家の都市:フェッラーラ
イタリア各地、日本の戦国時代と同じように、有力な宮廷がひしめき合い、それぞれが芸術の庇護に私財をなげうち、文化を形成していました。
使節団は、その土地その土地の宮廷文化に触れながら、めぐっていったことがうかがえます。
《伊藤マンショからフェッラーラ公爵アルフォンソ2世デステに宛てた手紙》
1585年8月16日付 インク 紙
モデナ国立公文書館↓
第6章 ヴェネツィア、「驚嘆の都市」
ここに、「伊藤マンショの肖像」が展示されています。
3年前に発見されました。
長い間、モデルの少年がどこの国の人なのか、誰なのかわからなかったそうです。おそらく中国人ではと、思われていそうですが、修復したとき文字が出てきて、伊藤マンショであることが分かったそうです。
第7章 パドヴァ、ビチェンツァ・ヴェローナ
第8章 ゴンザーが家の宮廷
第9章  ミラノ
当時の、使節の目に触れたであろうと思われる美術品の様式を集めた展覧会です。
音声ガイドも参考にしながら、使節の旅を追体験してみてはいかがでしょうか?
『遥かなるルネサンス -天正遣欧少年使節団がたどったイタリア-』
神戸市立博物館で7月7日まで開かれています。
ペタしてね