植生を人間が思うように御することは個人レベルではほぼ無理だと思います。
薔薇に人生を捧げてきて現在その薔薇で老後を苦しんでいるyさんや、敷地に植えた木々に家が飲み込まれてしまった別のyさんなどはそれを知ったことでしょう。
私は毎日の散歩に剪定ばさみを持って道路に伸びている葛のツルをチョキチョキ切っているのですが(手指の運動を兼ねて)、その驚くべき成長力をつぶさに見ていると、悪意を持って地球に来たエイリアンなのではと思えてしまうのです。
葛のツルは10m以上も伸びて金網フェンスや道路標識に巻きつき強大な力でそれらをひん曲げています。
葛の成長点が長いツル全体に有るとすれば先端はまるで生き物のように、動いて延びていくのが見えると思われます。
朝顔のツルもじっと見ていれば支柱に忍び寄ってきて巻き付いていく様が見えるのではないでしょうか。
草も放っておいたら3年で元には戻せなくなってしまいます(重機などを使わない個人レベルのことを言っています)。
樹木は10年もすれば人の手が届かない高さになっています。
人間が草木に支配されてしまうことは有っても、草木が人間に操られることなど絶対無いだろうと思ってしまいます。
しかし人は草木から享受できることも有って、古い日本庭園から得られるわびさび癒しや、ヨーロッパ庭園の人工的美観などはその典型例で、そのように人に感銘を与えてくれる美しさや安堵感は、並外れたエネルギーを投入することで実現されているのです。
個人レベルではそのような草木の支配を企んでも、その成長力には太刀打ちできず負けてしまいます。
最低限公共の公園並に多くのお金と労力が投入されないと整備され維持されてはいかないでしょう。
私は以前は自然のまま野放図に放置された植生が最も人類の寿命を延ばしてくれると考えていましが、今は間違っていたと思っています。
植生はある程度刈ったり切ったりして綺麗に整備していかないと人間の生存も危うくなりそうなんです。
現在の森林の荒廃や自然災害を見ているとそう思えるのです。
そうすることも自然の範囲のうちで神の設計図には描かれていたことなんでしょう。
皆伐して根絶やしにしたり種を絶滅させない限り、植生は蘇ってきて又人間の生活に干渉してきます。
自然との共生とは人間が植生に干渉し利用することでもあったのです。
ここで不意に頭に浮かんできた場所がありました。
其処は私が毎日切り刻んでいる葛と同じ蔓性植物の蔦を人が利用していると聞きました。
日本を支えた歴史ある紡績工場の敷地建物を利用した文化施設なんですが、
急に行って実際に見てみたくなってしまいました。
実は今そこに向かっているのです。
春に奥飛騨に山菜盗りに行き、大自然の姿に感動させられ打ちのめされてしまった地球防衛軍の三人で。
急に決まった訳はビアガーデンの終了日が迫っていたからです。
又何らかの新しい発見が有り展開できるとよいのですが。
倉敷アイビースクエアとは
1889年(明治22年)に建設された倉敷紡績所(現:クラボウ)の本社工場を再開発した複合文化施設。倉敷美観地区に隣接し、敷地内には宿泊施設やレストラン、宴会場の他、体験工房や歴史館、地元の特産品などを扱うショップがあります。
1960年代、急増する倉敷美観地区への観光客に対して、地域の宿泊・飲食施設不足が深刻でした。倉敷市や地域住民からの強い要請を受け、クラボウは発祥の地である本工場の再開発を決定しました。設計は浦辺鎮太郎氏で、文化的にも貴重な操業当時の工場外観と基本構造を残した設計となっており、池を隣接した広大な中庭広場をそなえ、地域住民や美観地区観光客の憩いの場となっています。また、江戸時代の代官所跡地でもあり、復元された当時の井戸や外堀の名残を見ることができます。
2007年(平成19年)に経済産業省により「近代化産業遺産」として認定され、2017年(平成29年)に文化庁より「日本遺産」構成文化財の一つとして認定されました。泊まれる「文化施設」として歴史の薫りを訪れる人々に提供しています。
倉敷アイビースクエアの意味は?
昭和初期に工場外壁に空調目的で植えられた蔦(アイビー)が印象的であり、創業当時若者の間に流行していた「アイビー・ルック」から「アイビー」という言葉には新鮮で力強い印象がありました。そこで、この新鮮で力強い印象をあたえる「アイビー」という言葉に、シンボルでもある広大な広場(スクエア)を組み合わせて「アイビースクエア」とし、地域シンボルに育てたいとの思いから「倉敷」を冠し「倉敷アイビースクエア」と命名しました。
壁面を覆う蔦
夏は鮮やかな緑が赤い煉瓦に映え、非常に印象的です。また、冬は煉瓦に絡みつく枯れた蔦の蔓がはかない雰囲気を醸し出します。また、紅葉の頃も見物です。
生きている化石メタセコイア
敷地内西側にそびえる大型な樹木「メタセコイア」。
1945年に中国四川省で現存が確認されるまでは絶滅した植物と考えられていました。このメタセコイアは1957年(昭和32年)に苗木から植えられたものであり驚異的な成長速度で個人の庭木には向かない大木でもあります。
「倉敷アイビースクエア」より引用





