5月8日 | Pokopen Photographic

Pokopen Photographic

写真を中心とした絵日記です。楽しんでいただければ幸いです。なおこのブログで用いられている画像の著作権は私に。また人物画像の肖像権は本人もしくはその所属事務所に帰属します。無断使用及び二次使用は固くお断り致します。

この日もKG+メインで廻りました。

 

 

とは言えまずは京都芸術センター

京都芸術センターはkyoto graphie の

イベントも開催されていた事もあって

カメラ・オブスキュラが設置されてました。

 

 

こんな感じで見れます。

 

 

 

林智子 個展「そして、世界は泥である」

 

 

 

イタリアの詩人ジャコモ・レオパルディの言葉を展覧会名に

冠する本展は、林のこうした関心に根差すものです。細かな

粒子の夥しい集合が水気によって結び付けられた泥は、

特定のかたちを持つことはありません。それは濁り、汚れた

ものと見なされる一方で、生命を育むこともあります。

そして、世界は泥である。本展で林は、世界を個と全体が

有機的に結びつき、生命を循環させる運動と捉え、その中

での私たちの生の在り方を思考します。私たちの内なる自然

と外なる自然はどのように共鳴しているのか。本展では、

社会的な秩序によって隠されている「形なきものの形

」・「声なきものの声」と私たちが再び関係を取り結ぶ

ことで、言語以前の感性を呼び覚ますことを試みます。

 


関西日仏学館

ロレーヌ・ティリア"The light of walls"

展示会場はカフェでしたが、早く行った

のでお客さんがうなくて良かった。

 

昼食はハイライト食堂

本当にに久々。チキンカツ+から揚げ

アメリカンソースが懐かしい。

 

 

 

ギャラリーメタボ

ギャラリーがあるのは105号室

陳敏慧Chen Minhui"The Siege"


《The Siege》シリーズは、私の内なる世界と外なる現実

との衝突の産物である。テープ、紙、壁といったシンプル

な要素を用いて、社会的に構築された境界線を明らかにし、

疑問を投げかけている。 作品の外枠は目に見えない社会

規範を象徴し、内部は私たちが満たし、適応することを

期待されている空間を表している。内部空間を引き裂いて

再構築することは、伝統的な規範に対する反抗を表現し、

個人の自由と創造的表現の必要性を示している。それぞれ

の裂け目は、社会規範によって形成された檻に対する私

の挑戦であり、それぞれの再構築は、可能性の探求である。 

《The Siege》は、観客に自己と社会の関係について考える

きっかけを与えることを目的としている。この作品は、私

たちの日常生活の一見堅固な壁を検証するよう観客を誘う。

 私たちは皆、自分の壁の中に閉じ込められているが、

その隙間からもっと広い空を覗き見たいと望んでいる。

作品はこれらの境界の中で自己表現を追求しようとして

いる。これは逃れられない制約に対する絶え間ない対話

であり、既成の規範という牢獄の中で自由を求め続ける

私の芸術的探求である。

 

 

京都写真美術館ギャラリー・ジャパネスク2F

青木弘「泥まみれのメッセージ」

 

 

現地で友達同士をポラで撮り合うというイベント

を開催。そのポラを集めた物

 

作者が撮影した写真を現地の人に見せた。

皆さんは喜び写真をみんなに回して閲覧。

結果写真は泥だらけに。

 

泥まみれのメッセージ

“写真は素晴らしいコミュニケーション“ 最近は思う。

「ちょっぴり足りない」って。 コミュニケーションって

一方通行じゃ成り立たない。 可視化されたプリントを

通じて、みんなで囲んで自由に語らうなかで新たな信頼

が生まれる。 笑顔や希望が生まれる。 長く続く宗教対立

とは関係なく対話が生まれていく。 以前ここで撮影した

写真を鉱山の労働者たちに見てもらう。 自分たちの

美しさに気づいてもらいたい。 労働者たちの顔から笑顔

が溢れ、会話する姿を見ていると僕の写真が持つ本来の

あるべき姿に戻った気がした。 全てのプリントが

あっという間に泥だらけの手で揉みくちゃにされ、泥に

まみれになった。 そんな写真の中で1番泥だらけになって

ボロボロになった1枚がある。 それは被写体になって

くれた彼らが1番気に入ってくれて興味を持って見て

くれて、触ってくれた作品ということになる。 これがまた

新しいメッセージとなり世界中に伝わることを願って。

 

 


ギャラリー16

立花光「壁抜け」

誰もいないホテルの廊下、窓のない地下のプール、レイト

ショーのあとのショッピングモール、ふと迷い込んでしま

った巨大倉庫、開店前のゲームセンター。見る前からすで

にあり、あとからあったと知る時空間。傍らにある密室

のバックヤード。私たちはそれらへ壁抜けする。  立花は、

国家的な枠組みを超えて見られる、歴史や文化と無関係な

場に着目する。私たちの傍らで控えている、交換可能で

マッシブな存在。遡行的に、あとから遅れて発見される

匿名的な場。立花は、こうした存在や場をふと目撃する

感覚を、「壁抜け」と表現する。「壁抜け」とは、

<そこにうっかり抜けてしまった> <それは見る前から

あった>がもつれた感覚である。 それは「写真」の2つ

のテーゼ<その瞬間にまさに出会った> <それはかつて

あった>よりもありふれた、それでいてもっとも不確

かな感覚、「なにかを見る」という感覚——不可逆

でありながら代替可能な「目-存在」の感覚である。

 

 

 

ホテル アンテルーム 京都 

JAPAN PHOTO AWARD + INTUITION

JAPAN PHOTO AWARD

 

 

INTUITION

 

京都駅ビル7階 東広場北ピロティ  

鷹巣由佳「YELLOW PAGES パラレルワールド」

 

自身の画像を色で検索し、さらにその画像をAIで言語化し、

そのテキストと画像を組み合わせ生成した写真を織り交ぜ、

現在の「発見」について模索する。 このシリーズは、世界中

で共通する色の概念として各国で電話帳がイエローページと

呼ばれ黄色の紙に印刷されていることに着目し、オンライン

クラウドサービスのGoogle Photosに格納した画像を「黄色」

と入力し検索した。するとGoogleが黄色と判断した画像は、

自身では思っていなかった色もヒットした。その写真を写真集

として再編した。私たち人間が予期せぬことは、有機的な空間

においてもAI(人工知能)による検索システムにおいても起こり

うるのである。自分が思っている色もまた、Googleにとっても、

誰かにとっては更に違う感じ方をするのかもしれない。写真を

撮ることには知らないことを知ることと同じ「発見」すると

いう楽しさがある。今ここで感じたことを記録し、予期せぬ

ことに身を委ねつつユニークな行程を経て編纂し生まれた

本作品は、私たちの日常に無限に潜む不思議という存在に

ついて模索し続ける。


THE THOUSAND KYOTO 1F Art gallery

ヴァンサン・フルニエ

 

"Post Natural History - Archeology of the future"

 

京都駅前にはアート・コンテナが展示

されていました。

 


RPS京都分室パプロル

 

22鈴木萌「Aabuku」

沖縄県における有機フッ素化合物(PFAS)による水質汚染

をテーマにした鈴木萌の作品「Aabuku」の二部構成で開催

する展示である。 2人はそれぞれ独自の表現方法を追求

しながらも、共に写真集を媒体とした発表活動で高い評価を

得てきた。また「記憶」や「家族」、「社会問題」を主題に

するなど共通のテーマ性も見出すこともできる。 今回展示

する両作品は「水」、「記憶」という共通のモチーフを扱い

ながらも、藤井は抽象的な表現に挑戦し、一方で鈴木は

徹底的なリサーチと綿密なデータ収集に基づき制作を行っ

ており、まったく異なるアプローチと価値観を鑑賞者に提示

する。そして本展に合わせて刊行される両者の写真集が、

ギャラリーという現実世界の空間にどう立ち顕れるのかを

明らかにする試みでもある。

 

モガナ    

上田佳奈「それはいま現れようとしている」
本展ではInstagram のローディング中に現れるぼやけた

イメージを鏡にプリントした「#illusion # 幻影」

シリーズを展示する。Instagram では投稿の読み込み中

にぼやけたイメージがプレビューされる。画面中央に円の

マークが表示され、読み込みが完了するまでの少しのあいだ、

スクリーンには時代や場所といった紐付けがなされない

ニュートラルなイメージが浮遊し、見るものの想像力を掻き立

てる。「#illusion #幻影」シリーズは日々大量に投稿され流

れていくそうした幻影を捕まえ、痕跡として定着させる試み

である。視覚情報を頼りに生きている私たちにとって、はっ

きりと見えないからこそ見えてくるものがあるのではないか。

そうした問いかけのもと、展示空間も見るもの自身を映し出

す鏡をイメージして構成する。



カリモクコモンズ京都

平野淳子「ゲニウスロキ」

 

和紙、箔、雲母、裏打ちなどの日本の伝統的な技法と

デジタルを行き来して作品を制作している。
2015年、国立競技場の壊された跡地との出会いが

「ゲニウスロキ」というテーマのきっかけになった。

その土地の歴史を紐解き現在や遥か未来をも彷彿と

させるイメージを極薄い和紙にプリントされ

てレイヤーのように裏打ちされていく。そこには事象的

な歴史の重層だけでなく技法的な歴史も重ねられている。
その土地が持つ武蔵野の原野や戦争の記憶、また、樹々

や鳥たちと儚い人々の営みとの関係性へと繋がっていった。
コロナ、ウクライナの戦争、気候変動と次々と新たな禍が

降り注ぎ、インターネットによって世界の情勢が生々し

く伝わる現代に於いて、地球全体に思いを馳せ自然界から

の報復を畏怖し、未来を案じている。
ゲニウスロキとは ラテン語の「Genius」(事物の守護霊)

と「Loci」(場所・土地)からなる土地の守護精霊の意。

 

 


Flow (若林久未来, 松本和史, 谷村良太)
 

 

 

日印関係は古く、六世紀に仏教が日本に伝播した頃に始

まったが、実際の人的交流は近代に入ってからであった。 

とくに明治後期に多くのインド人が日本に移住し、関西で

一大コミュニティを形成してきたことは、あまり知られて

いない。我々は、インド総領事館の協力を得ながら、関西

におけるインド社会の記録を続けている。 本作のテーマは

、Flowsである。 関西におけるインド社会は、長い年月の

中で絶え間ない変容を続けており、それは川の流れのよう

に何一つ、その形を元のままに留めおくことはない一方で、

溶け合い、混ざり合い、新たな文化を生み出してもいる。

 過去、やがて過去になっていく現在と未来、それらは全て

大きな流れ(Flows)の中にある。 我々は撮影した写真に、

古典写真技法とデジタル技術を用いて、新たな写真表現を

試みた。 或る移民のコミュニティを記録である本作が、

今後のグローバル化の行方を考える一つの切欠となれば

幸いである。

 

 

ヴォイスギャラリー
酒井一貴"new world"

 

"new world"って何?見てみたら大阪の写真

とは言っても大阪の「新世界」ではない。

朝早くの写真らしく人が少ない。

酒井さん普段は京都で撮影、大阪というのは

酒井さんにすると"new world"なのか?

 

ある日、大阪で写真を撮ろうと思った。都市を撮ろう

と思ったのである。深くは考えず気のむくままに、

京都から京阪電車に乗って通い始めた。自らの歩幅

で距離を測り写真にしていく大阪は、それまで知った

大阪とは異なり、即物的で等身大の眺めがある。ある

がままにそれを受け入れ、ひとつ所に色を塗り重ねる

ように、私は繰り返し写真を撮る。タイトルの

「new world(新しい世界)」とは、今の時代に漂う

倦怠の空気の裏返しである。しかしそれでも「犬は吠える

がキャラバンは進む」、街も人も続いていくのである。

前も後ろもわからないような今という時代の世界の

片隅で、私は「そこに人が生きている」という引力に

身を任せる以外にこの後の希望は見つからない、

そう思ったのである。

 

 

VOU

榎本耕一 <鳩の間>

 

 

 GOOD NATURE STATIO

横山隆平 ”LETTERS / the noise in my eyes”
 

 

 

 

LETTERSと題された本シリーズでは、キャンバスに写真を

プリントし、その上に作家が自身の眼差しの原点と語る

様々な小説や詩集、歌詞等からおよそ無作為に選び出され

た文字がオイルスティックによってライティングされている。

それらはまた風景に向ける眼差しと本来その裏に在る原点

が交錯し、静かなる混沌とでもいうような、新たなる追体験

的原風景として立ち現れます。ストリートフォトグラファー

として様々な表現を行ってきた横山隆平の新たな作品シリーズ

の発表となります。ぜひご高覧ください。

「これまで出会ってきた文字どもはいつしか、イメージとなり、

分かち難く渾然となって紡がれ、やがてノイズのような旋律と

なって僕の眼差しの内、静かに響き続けるのだった。 それら

はまた、都市を巡る旅へと僕を連れだした、遠い彼方からの

手紙のようなものだった──。」

 

おしまい