4月20日 | Pokopen Photographic

Pokopen Photographic

写真を中心とした絵日記です。楽しんでいただければ幸いです。なおこのブログで用いられている画像の著作権は私に。また人物画像の肖像権は本人もしくはその所属事務所に帰属します。無断使用及び二次使用は固くお断り致します。

 

この日もKG+

THE TERMINAL KYOTO    

室礼 SHITSURAI -Offerings Ⅹ - Invisible River-

ここは写真と工芸のコラボが見れる。

楽しい場所。

 

 

タカハシ ケンタロウ

 

ジョン・アイナーセン

 

ベーハイム 雪絵・ラオレンティア

この人の写真、映像は面白かった。

 

 

 

 

 

レーン・ディコ

 

シュヴァーブ・トム&安藤 由佳子

 

安藤 由佳子

 


シュヴァーブ・トム
- 
無限の可能性の領域では、目に見えない川(Invisible River)

の流れが渦巻いている。 そこに我々は手を浸し、渦の輪郭を

感じながら、慎重に形を生み出していく。 その萌芽的な形は、

無意識から意識へと、この領域に持ち込むスナップショット

のようなものである。 工芸職人、アーティスト、パフォーマー

の手足、眼、そして見る人の瞳と想像力のいずれからであれ、

創造的な表現の根源は、この豊かで定まり切らない広大な領域

にある。 THE TERMINAL KYOTO「室礼展」10周年を記念して、

写真や工芸、ワークショップ、パフォーマンス、パネルディス

カッションを通して、「Invisible River」を讃える場に皆様も

是非お越しください。





ノードホテル

 

 

 


 髙橋恭司  ”Lost time”

  花の写真 特にキャプションはなかった

けど、なんとなく枯れかけた花の写真のよう。

 

 

 

鏡に映った花の写真と花瓶の花?がマッチ

して美しい。

 

 

  エースホテル 

レーン・ディコ      ”The Weather ”

横線の入った壁の写真。それぞれ年月を経て

色んな模様が入っている。
エースホテル って新風館に隣接している

ホテルだったのか・・。

 

 

ギャラリー素形”Courbe”
松原 博子(写真)

キム・ジュンス (革) 

ラティティア・ジャケトン(ガラス)

3名のコラボ展示。


 



3人のアーティストによる、courbe <曲線>の重なり。

生命のかたわらに、新しい情景が生まれる。フォトグラ

ファー松原博子がヌードに見出した、やわらかな曲線。

皮膚に覆われた骨格が静かに隆起するさまは、時に風が

なでていく草原のように、あるいは風化した石のように、

人の身体を超えて風景を映し出す。共に展示を構成する

のは、樹皮のように有機的な線が連なるキム・ジュンス

の革。2022年LOEWE財団のクラフトプライズでファイ

ナリストに選出されたキムは、ひとつの命が終わり残さ

れた革を余さず使い、独創的な手法で組み上げて弾力ある

オブジェへと新しい命を導く。そして、石に垂れる

ラティティア・ジャケトンの吹きガラス。膨大な時をかけ

て今の姿を獲得した岩石に寄り添うガラスは、川辺の風景

を切り出したような生命力に満ち、再び動き出すのを待つ

流れのようにとろりとそこに止まる。流れるように、

こだまするように、連鎖する曲線。三者の奏でる生命の

対話。

 

creative studio & shop OOO

お店の外観はこんな感じ。山下和正氏が設計したらしい。

 

 

アリ・サロモン「インターフェイス」

町中にある人の顔を連想する物を写真に撮った展示

 

 

 

 



ギャラリー八角

階段上るの辛くなった。(涙)

梅谷隆介、小園井和生、齊藤小弥太、萩原昌晃
「輪郭を纏う」
 

梅谷隆介

 

齊藤小弥太

ゴミを一時的に保管する為に小さな小山が

造られる、そしてそこにも植物等が生える

やがてその山は撤去されるが、その後に

釈物が生えていた写真を映写してその写真を

撮影した。

 

萩原昌晃

バクーの写真

 

 

オデコ スタジオ アンド ザ ストア

 

八木 仁志オデコ 「コラージュ・シティ」
都会で撮ったいろんな写真をコラージュした物

京都の写真もあった。

ご主人は長年NY在住。コロナで帰国。昨年

11月にこの店をオープン。店内にはご主人

が集めた古い米国の集合写真やアンティーク

(大きな地球儀もあった)も展示されていて

そう言う話を聞くのも楽しかった。

こういう出会いがあるのがKG+

 

 

 


関西日仏学館 
渡部さとる、苅部太郎、ローン・セローシ、ジュリー・ヴァシェ
屋久島国際写真祭 x ヴィラ九条山コラボレーション『post-』




我々が認識しているものとは一体何か。

言語学者フェルディナン・ド・ソシュールによれば、
人間は社会システムの影響を無意識の内に受けており、
言語の恣意性により認識の齟齬が生まれるとした。
概念的に日本語では”蝶・蛾”は区別されるが、フランス語

では”Papillon”で統一される。国や地域の差異によるこの

認識の齟齬は、無意識の内に世界の見え方や思考に影響を

与える。
文化相対主義を謳った文化人類学者レヴィ・ストロースは、
社会に優劣はなくルートの差異なのだと言った。
一見、合理的には見えない文化・風習であっても、
そこには緻密な体系を持った知的フレームワークが

存在する。
世界を分類し、秩序を与え、厳密な論理性を備えた

”ブリコラージュ”なのだと。社会は無意識的な構造

とその関係性によって構成され、それは普遍で多様である。

本展示会は日仏4名のアーティストが、
それぞれ風土から培われた”感覚” ”認知” “概念”を用いて

創造した作品をアメーバのようにブリコラージュした。
空間がもたらす高次的且つ球体的な思考により、
“post-“の洞察のための機会となる事を願っています。
「”post”とは既に提起された一連の問題群の上で思考し

続けることである。」
文化研究者スチュアート・ホール
大きな物語は終焉を迎えた?

 

 

同じく関西日仏学館 
 Lorraine THIRIA ”The light of wall”    

20日からとの事ででしたが開始は17時から え~~~。

 

 


百万遍知恩寺

4名同時展示と思ったら

山口規子、木下大輔、kanamaru.、mappy

”KASANARI -Overlap of live” 

私が行った時はmappyさんの展示

川辺に集まる人達を撮影した写真でした。

口規子さんは4/27-5/4

 

 

グリーン ファーム でソフトクリーム頂きました。

 

つぼみ堂    

ama-ZONE"Kyoto-MUNE-Tokyo"
京都の有名な寺社などの古門扉に金具は乳房を想像させる。

調べてみたら「乳金物(ちかなもの、ちちかなもの)」

というらしい、赤ん坊が最初に飲む“源泉”としての

乳房をテーマに乳金物の撮影を行ったそうです。

一方東京には乳金物がないので代わりに送水口

の写真を撮って両方を展示してました。

 

町かどギャラリーぜん 


ティエリー・マンドロー、佐藤純、アラン・ロベール
”Who are We?” 

人の顔をテーマにした写真展

夫婦の顔が似て来るという事でお二人の顔を

合成した写真

人間の二面性を同時に表現した写真

色んな遺跡、教会等に彫られた人物像の写真

の3種。

意外にも遺跡、教会等に彫られた人物像の写真

が面白かった。

 


ギャラリー・ジャパネスク  

写真家グループWOMB   "WOMB 10th Anniversary"

植田真紗美 、川崎璃乃、カリーナ・レナード 、幸本紗奈

植田真紗美 

二人で同時刻に異なる場所でピンホールカメラを

使って撮影。似たような写真を並べて展示。

額も骨董価値のある額らしい。

川崎璃乃さん自作を熱く語っていました。

  ギャラリー16    

内田聖良 「バーチャル供養講」

《バーチャル供養講》は、炎上や分断が「厄災」を生む

現在に「ありえるかもしれない架空の信仰」を体験する

インスタレーション。VR空間に建てられたお堂に、

様々な人の思い出の品が3Dアイテムに変換され奉納

されている。内田は本作の制作にあたり青森の地蔵信仰

で目に見えない死者と人々が供物によって関わる

インタラクションをリサーチし、現代の見えざる他者―

アルゴリズムによって分断された人々を想像させる

手法に転換した。思い出の品の3Dオブジェクトへの

変換は、大量の写真を3次元に合成する手法

「フォトグラメトリ」によって行われる。これらの

データをダウンロード可能な状態にし、別のゲーム等

の一部として活用=(転生)させ未来の物語の生成

プロセスに介入するなど、現代の写真のあり方や

記憶の流通・価値についての模索が行われる。

 本シリーズは、展示空間に合わせ物語とVR空間

が変化しており、本展でも新版が語られる予定。

VRお参り体験:本展覧会では作品の一部である

「バーチャル供養堂」お参り体験ができます。

体験前にVRお参り作法

 


タッセルホテル三条白川 

伊藤 妹 「函館」

 

函館で育ったものの好きにはなれず、一旦は故郷を

離れたものの、帰省の度に、衰退化が進む故郷に

寂しさを感じるようになっていく。そこで写真で

もって地域創生を試みる事になった。主に食糧生産者

(漁業)を中心に撮影を行っている。

 


 eN arts    

澤田華、谷平博
「showcase#12 "現実の⾏⽅" 」

谷平博

 

澤田華

 

澤田華

米国の古い恐怖映画を公園等で上映しそれを

再び撮影。シリアスな場面が映る背景に突然

「お楽しみください」という看板が現れたり

となかなか面白い。



現実の⾏⽅ 第12 回目のshowcase は、驚くほど緻密に書き

込まれた鉛筆ドローイングで注⽬された⾕平博(たにひらひろし1982⽣)

2017年度キヤノン写真新世紀優秀賞(Sandra Phillips選)を受賞してから

活躍著しい澤⽥華(さわだはな1990年⽣)を取り上げる。 ⾕平の作品では、

⼤⾃然の中でシャーマンと化した⼈物が、硬い鉛筆で精緻に描きこまれている。

写真は、その登場以来、⾁眼に⾒えないものを次々と映像化してきた

(最果ての⾃然や宇宙の写真、コンマ以下の瞬間を捉える科学写真

やスポーツ写真、⼼霊写真…等々)その結果、我々の知る「現実」は、

可視と不可視を問わず、もはやすべてありふれた写真と成り果てたと

⾔って良い。写真こそが現実だ、写真のように描かないと⼈はもは

やリアルだと⾔ってくれない……1970年代に⽣じ、いまだに

YouTubeなど巷でよく⽬にする、スーパーリアリズムのドローイングは、

その事実の⽪⾁な表現なのだ。それとは異なり⾕平は、写真化した「現実」

を超えるもの、写真に写らないものを求めて鉛筆を握る。紙⾯を刻むよう

な⾕平作品の本質、その超細密の線の輻輳から⽣まれる灰⾊の輝きの

美しさは、そのコンセプトからして写真に写らない。必ず実物を⾒て

ほしい。 さて、写真とはつねに「何か」の写真である。この「何か」、

すなわち写真の指⽰対象(レフェラン)は、写真の外に存在する現実

とみなされてきた。澤⽥華の対象は、インターネットで出会う画像である。

それはすべてスキャンされた画像であり、⾔い換えれば真空パック画像

である。ここで澤⽥は、真空パックを切開し、現在可能なデジタル的⼿法

を駆使して、ぺちゃんこになった画像を三次元に復元することで、かつて

存在した「何か」、すなわち写真の外部へと遡⾏しようとする。いったい

そんな「何か」は現実に存在したのか、しているのか?もっとも、かつ

て存在した「何か」を澤⽥⾃⾝も信じているわけではない。澤⽥作品は

懐疑的な遊戯性に満ち、むしろ「かつて存在した何か」から完全に

切れてしまった現在のデジタルイメージのあり⽅をユーモラスに浮

かび上がらせる。 2024年4⽉、清⽔ 穣

 

 

Art Spot Korin

スコット・ハンター、ロバート・バン・コエスヴェルド

Scott Hunter, Robert van Koesveld

”Gestures of Place”

環境問題をテーマにした写真展。

和紙にモノクロプリント

 

TIME’S

ここ来るの久々。
荒川幸祐、荻野NAO之、尾崎ちはる、中澤有基、

ルシール・レイボーズ、山神美琴、山内浩
本展では、KYOTOGRAPHIEのスタッフをしながらも作家

として活動する7名が、サンエムカラーの印刷技術で制作

した作品を発表する。だそうです。

 

 

荒川幸祐

 

荻野NAO之

 

 

山内浩

 

ルシール・レイボーズ

 

 

山神美琴

 

 

中澤有基

 

尾崎ちはる

 

 

 

 

 富澤大輔「臥遊」

「臥遊」とは東晋から南朝宋にかけての隠者、宗炳

(そう へい、375年 - 443年)の言葉「臥以遊之」

からきており、自ら描いた山水画に対して、臥したまま

、つまり、寝そべりながら、実際の山水の中をたずね歩く

かのように楽しむという態度を語ったものである。 本展は、

令和3年から発行を続けているビジュアル紙《時代》及び令

和4年から5年にかけて発刊した写真集『字』『平行写真』

『遊回』の四作品の延長として、この「臥遊」をテーマに

構成したインスタレーション作品である。 写真という

メディアそのものが持つ世界への窓としての性格を前近代的

なものの見方に思いを馳せながら、「過去のとある瞬間

としてではない写真」の在り方を考える。

 

 


Gallery Take Two 

Daniel Sofer「閑かなる京都」
コロナ禍によって、観光客がいなくなり、京都の自然の美しさを

撮影するユニークな機会を与えてくれた。 「閑かなる京都」 は、

この一期一会を記録した写真集である。

とのこと。




同時代ギャラリーでは.名の方の展示。

 

 

三宅章介「 絵空事」

撮った写真についてAIを使ってプロンプトを導き出し、

それがら画像を生成した写真を展示。

ご本人の意図は説明されてましたが・・。

正直それって何の意義があるの?って感じ。

まあ面白いっちゃ面白いけど・・。


かとうあやこ、野村美和、山中南実    「In Bloom」

「in bloom」は「開花する」という意味であり、世界を隔

てることなく降り掛かったコロナ禍から、数年を経てわたし

たちが取り戻しつつある日常への変化を象徴している。 

花はその目まぐるしい変化の中でも、変わらずにわた

したちの日常に寄り添い、次へのたねをつくるために

花を咲かせる。 浅草にほど近いまちで日常にひそむ

意図せぬユーモアを撮り続けているかとうあやこは、

「なんかヘン」と感じた花との場面を捉える。 人と自然の

関わりについて表現を続ける野村美和は、中判フィルム

で菊を撮影する過程を通して故人に花をささげる。 日常に

おける自然現象の仕組みをテーマにする山中南実は、用途を

もたないただ植物としての花のあり方を種子を通して見つめる。 

本展では、バックグラウンドや世代の異なった3人の作家

それぞれがもつ視点で「花」の存在を見つめる。少しずつ

未来へと開花してゆく作品群をどうぞご高覧ください

 

 

 

こんどうみか 「エモフィルター」

何気ない日常を撮影した写真 




ドリックマルセル



Sean Goodall"Making It Up"

祖父が使っていたライカ M3。祖父を理解するために

このカメラを使って撮影する事とした。

時代を感じるカメラを使用することでしばしば他人の

好奇心を刺激し、その多くは会話を交わした直後に撮影。

ランダムな人とのインタラクションが写真の楽しみの

大部分を占めます。そんな小さな瞬間が、

写真を共有する最大の喜びなのかもしれない。

 


THE NORTH FACE STANDARD

 

 


白石晋一朗「地/図のあいだで」

コラージュによる風景写真

風景、それを眺める人々、そして私。 それら三者は決して

隔てられたものではなく、共存し、混在していた。 その地

(=Land)に降り立って図(=Picture)をつくる時間的・

空間的な「あいだ」に在る私たちの原始的欲求は、美しく

わたしたちに内在している。 アイスランドを訪れた際に、

多くの観光客が名所を訪れては同じ風景を撮影している

光景をきっかけに、その原始的欲求について私は考えていた。 

私たちはパソコンや携帯で一度目にした風景を現実の領域

として「確認」するために撮影していたのではなく、風景

そのものを「獲得」するために撮影していたのだろう。 

それは地図や絵画、庭園のような、現実の領域を表象する

イメージの所有であり、それは魔法のように現実を所有

する夢を見せる。 その魔法に魅せられて、風景と人々を

意識の中で溶け合わせ、煌めいた瞑想的時間へと昇華する。 

コラージュによって生み出された新たなイメージを浮遊

する時もそう。 新たな風景と遭遇する悦びと等しく、

造景したイメージもまた風景の獲得という私の内側

にある根源的な興奮のドアをノックし続けている。


会場に登って行く階段ではコラージュの

作成過程を動画にしていた。これも

作者の心の動きが垣間見れた様で面白かった。

 



この日はこれでおしまい。疲れました。