映画「神々のたそがれ」 | Pokopen Photographic

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「神々のたそがれ」と言ってもワーグナーではありません。
ゲルマンといってもドイツ人ではありません。


冒頭からだじゃれっぽい事書いてしまいましたが、アレクセイ・ゲル

マン(ロシア人)が監督した。そして遺作となった映画「神々のたそ

がれ」を見てきました。今回はすべて異なる映画館で4回見ました。


上映時間3時間の大作。さらに映画館によっては彼の他の作品を

同時上映している映画館もあって久々に「フルスタリョフ、車を!」と

「わが友イワン・ラプシン」も見る事が出来ました。


この映画ベースになった小説はストルガツキー兄弟の「神様は

つらい」(直訳すれは神様になるのはつらい}。


かなり前にSFブームがあってその頃封切られた同じ作者の作品

をベースにしたタルコフスキーの「ストーカー」の場合割と簡単に

原作を読めたのですが、今だと多分「XXSF大全集」といった本を

買わないと読めなくたってしまって。


原作読まずに見ることになりました。


アレクセイ・ゲルマンの映画のイメージって外は深々と雪が降る
情景で家の中に入ると人々が密集して時々それらの映像が別

の物で遮られる。そんなイメージでした。ただこの映画は雪が

出てくるのは最初と最後。後はただ映画全編どろどろ、ぐちゅ

ぐちゅの世界。


相変わらず、人物が密集し、突然前景に物が入ってくる
と言う演出は変わりませんが・・。ともっかく一見静謐な映像
ですが、休みなく一つの画面内で次々と映像が現れ、セリフも
少ないながらその言葉の背景に色んな意味を持たせていて
3時間かなり集中してみていないといけない映画です。


映画のストーリはアルカナルという、ある惑星の都市。ぱっと

見て地球でいうと、ちょうどルネサンス初期。そこに興味をひ

かれ地球から、調査団が派遣される。しかし、ルネサンスの

ような状況は起こらず、ドン・レバ大臣の支配下、大学は破壊

され、知的な人物は狩られ、処刑される。


調査団の一人主人公のルマータは密かに知識人をかばう

ものの基本的にはこの都市での惨劇をだた指をくわえてみる

だけの生活。


ドン・レバ大臣による知識人狩り、処刑、権力闘争と、徹頭徹尾

、凄惨な表現に終始する。これらは多分スターリンの圧政をイメ

ージしているのは判ります。
(ストルガツキー兄弟によるとドン・レバ大臣はスターリン最後の

側近ベーリアをイメージしていたとか。)


そういう意味ではこの映画は過去のものを描いたもの、今の日本

には関係ない・・・。なんて思うかと思うとそうでも無い様な感じも。


映画の中でドン・レバは
「お前はなぜ知識人を殺すなと言うんだ?知識人なんてどんな

体制でも邪魔なだけじゃないか」とルマータに語ります。


「体制や社会に役に立たない人間は存在価値がない。」ドン・レバ
の言葉をこう解釈すると今の日本で起こりつつある事を考えると
他人事とは思えない。そんな印象を持ちました。


映画は多分原作をすでに読んだ人を対象にして作られていると

思います。その為ストーリの説明はかなり省略されている所が

あります。幸いプログラムに原作と映画の比較がされている記事

があって、これはなかなか参考になりました。この記事によって映画

の詳細なストーリが理解できましたが、ただ映画の印象が大きく

変わるかと言うとそうではなかったです。逆にこれでもか、これでも

かと出てくるどろどろ、ぐちゅぐちゅの映像の印象が圧倒的でした。


映画の中で、「強い者、権力者が、弱い者を抑圧する。弱い者
が団結して、強い者を倒しても、弱い者のなかのマシな者が権力
を手にし、さらに弱い者の抑圧に向かう。」そういうセリフが
ありました。人間というものはそういう物なのか、そしてその

様子をただ傍観しているだけのルマータ。


映像は泥だらけの世界ですが、唯一ルマータの体だけが綺麗

でいつも綺麗なタオルや水で清潔に保たれています。それでも

自ら自分の顔の泥をやコールタールを塗ったりして単なる傍観

者である自分を蔑しむ様なシーンもありました。


まさしく「神様はつらい」という事なんでしょう。



かつてカンヌ映画祭の審査委員長だったマーティン・スコセッシ
は「とにかく凄いのだが、なにがなんだかさっぱり分からないので、
他の審査員を説得出来なかった」と別の作品でしたが、ゲルマン
の作品について語っていましたが、この映画の印象も同じでした。


映画の冒頭で槍を持った人が「刺すものなんか何もない」と言った
言葉や画面の常時出てくる鶏、さらにルマータの身代わりになって
殺された少年や調査団の一人が養子にした孤児など多分意味

があるとは思いますが、正直その意味が判るまでには行きません

でした。


数少なく理解できた一つは冒頭ルマータがジャズのようなメロディ
を演奏します。すると奴隷たちは耳栓をしたり道ゆく人は耳を
手でふさぎ歩いて行きます。ところがラストシーンで再び同じ曲
を演奏すると元奴隷であった人物もそれに合わせて演奏したり
道行く親子ずれがこの音楽を聴いて子供が「この音楽をどう思う」
と尋ねると「まあまあだなあ・・」と答えるシーンがあり
ルマータがこの世界に理解され、受け入れられ始めて来たような
印象を持つシーンとなりました。これがこの映画で数少ない
「救われた」と思ったシーンでした。



最後に登場する人すべて本当に綿密に考えられ、隙のない演技

にはびっくりしました。


ともかく見ごたえのあった映画です。と同時にもしかしたら
もう見る機会がなくなるのではないか・・。そんな予感もしました。


映画は

大阪:シネ・ヌーヴォ

京都:京都みなみ会館

神戸:元町映画館

京都: 立誠シネマ


で見ました。その中で特筆すべきは「 立誠シネマ」。ここは
立誠小学校が廃校となりその建物の一部を利用した物です。
廃校利用としては「京都芸術センター」がありますが、こちらは
ちゃんと手が入れていて綺麗ですが、こちらは廃校時とほぼその
まま。結構廃墟っぽいです。しかも映画館は一寸大き目の教室に
なんとひな壇があってそこに座椅子が並んでいます。
前の席の間には足を入れるスペースはあありますが、背の低い
女性ならともかく男性は体育座りで見なくてはいけません。
さらに座椅子のクッションがそんなに厚くなく、初めて
行った時は上映時間が2時間程度だったのでギリギリ持ちましたが
1時間30分位をこえるとお尻が痛くなりました。そんな
チープな映画館でしたが、実は素晴らしい物があります。
それは音響装置です。音がクリアーで結構分解能が高いです。

この映画ここの映画館で見て初めて、音質の素晴らしさに
気付きましした。中央で聞くと、本当に音場が広がって実に
心地よい。池に石が落ちる音や、ベルの音等本当にリアリティ
があってきっちりと定位しているって感じでした。


まあこれが無かったら救われない映画館ではありますが(笑)