「人を殺す」の反対って何だと思いますか?
「人を助ける」だと思いますか?

違います。
「人を殺す」の反対は「人に殺される」です。

なぜそうなるかというと、
それが人を許す条件になっているからです。

人を殺した人がいて、その人の罪が許されるのは、
「その人も誰かに殺されて苦しんだ」ときだけです。
「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」の通りです。

これは感情における清算の考え方です。
人は、自分より苦しんできた人に対しては、
寛容になれるものなのです。逆もしかりですが。

私たちは感情の生き物ですから、
罪滅ぼししたいのであれば、どれだけ苦しめばいいか、
という観点で考えなければなりません。

「1人殺して1人助ければ±0になる」というのは、
人口の増減での話であって、感情の観点からすれば、
まったく的外れとなります。

罪が許されるのは、
「己の受けた苦しみが人に与えた苦しみよりも大きい」
ときだけです。

受けた苦しみが足りないと判断されれば、周囲の人間は、
「こいつはもっと苦しむべきだ!」求めてくるのです。

ただし気をつけなければなりませんが、
悪人であろうと罪人であろうと、彼ら彼女らを苦しめれば、
苦しめた人もまた悪人となります。

誰かを殺したなら、許されるためには、
「それと同じ苦しみを味わうこと」が求められます。
「目には目を、歯には歯を」のハンムラビ法典の如く、
奪ったなら奪われなければならないのです。

(続)