「老後のため!老後のため!」と老後資金をため込んだり、
「家族に迷惑をかけたくない」と介護サービスに備えたり、
「病院に行かなくて済むように…」と健康に気をつけたり、
老後に向けていろいろな努力をされていることでしょう。
そのように、有るか無いかも分からない老後については、
「備えあれば憂いなし」の如く備える一方で、どうして、
確実に訪れる死については、こうも無関心なのでしょうか…。
死がある以上、死後を考えるのは当然のように思えますが…。
なぜ、“宗教"の一言で片づけて、
まるで法律で定められているかのように、
その話題には触れようとしないのでしょうか?
「いやいやいや、死後の世界なんて、
あるかどうか分からないじゃん!」と言うのであれば、
老後だってあるかどうかは分かりません。
「死後なんて無い!」と言う人もいますが、
ではなぜ「無い」と言い切れるのでしょうか?
「分からない」ならまだしも、
「無い!」と主張するのであれば「理由」が必要です。
本当のところ、私たちは、あの世どころか
この世のことについてもまったく理解できていません。
(知れば知るほど、知らないことが分かってきます)
当然、死後の世界についても分かりませんし、
今後も明らかになることはないでしょう。にも関わらず、
「死後は無い!」とか、「死後は有る!」とか、
何となく悟った気になって安心しているから、
いざ己の死を目の当たりにして、
オロオロすることになるのです。
私たちは、死後の世界について、
「知らないし、知ることすらできない」
ということを知らなければなりません。
(続)