私たちの行為の善悪は、前提条件と目的に左右されます。
「何かをするために何かをしなければならない」、もしくは、
「何かをするために何かをあきらめなければならない」です。

例えば、「太りたくない ⇒ あまりガツガツ食べてはいけない」
となります。「太りたくない」という目的があるからこそ、
「あまりガツガツ食べてはいけない」となるのです。

何の前提条件も目的もなく、
「ガツガツ食べてもいいですか?」とだけ質問されても、
良いか悪いかの判断はできません。同様に、

「人を殺すことはいけないことか?」と、
何の前提条件も目的もなく問われても、
善悪は判断できません。何をするにしても、善悪は、
前提条件と目的によって変わるからです。例えば、

大量殺人した極悪人を処刑するのは善か悪か?
自分を殺そうとする相手を殺すことは善か悪か?
生きていても苦しいだけの患者を安楽死させることは善か悪か?
…。

などなど、前提条件や目的が変われば、途端に、
「善」と見なされたり、「悪」と見なされたりします。
このように、善悪は相対的に決まっていきます。

「一人を殺せば殺人者だが、百万人を殺せば英雄だ。
 殺人は数によって神聖化させられる。」
と言って、
世界大戦を通して経済大国となった当時のアメリカ
を批判したのは、喜劇王のチャールズ・チャップリンです。

同じ人殺しであっても、あるときは悪で、あるときは善なのです。

(続)