ファンタジーオンアイス 2024
幕張も愛知も盛り上がり、とても良かったですね。
始めは羽生くんの目の上の怪我で「大丈夫か?!」と心配しましたが、いつも通り、いつも以上の羽生結弦だったわけで… 
結果、見事にショーを成功に導いて、今年もまた、私達を夢の世界に連れていってくれました。
西川さんや城田さんファンとの互いの推しの称え合いも最高〜爆笑

SNSもとてもいい雰囲気で、何より羽生くんが一番いい顔で幸せそうだったから、私はそれで全て満足です。

ルンルンカラダが 夏にナル
  カゲキで 最高〜音符

って、

もう6月に入って実際の季節も゙夏になってきているのに、「春は、あけぼの」とかちょっとずれてるタイトルすみません。

前回ブログより先に、春真っ盛りの時に書き始めて、途中放置しちゃっていたのだけど、やっぱり仕上げようと再びやってきた次第…
マイペースで行きます😅






みやぎ蔵王スキー場ゲレンデの水仙畑





清少納言は有名な枕草子のなかで、日本の四季、春夏秋冬それぞれの良い所について述べています。



その中の春について。


春は、あけぼの。
やうやうしろくなりゆく山ぎは、
すこし明りて、
紫だちたる雲の、
細くたなびきたる。

【現代語訳】
春は、明け方。
だんだんにはっきりしていく
山の稜線に近い空が、
少し明るくなって、
紫がかった雲が、
横に細長くかかっている。





情景を思い描くと、とても美しいですね。
春の優しい山の稜線がだんだんにはっきりしてきて、夜の静寂(しじま)が残る紫がかった雲が細長くのびていて、その下から少しずつ明るい光が顔を出し始めている。これから始まる今日という日。その、夜が明ける直前が春は一番いい。

なんだか、深い…。



2024.1.1夜明けの頃 仙台





けれど、

あなたならば

「春のどこがいいですか」と
もし聞かれたなら、

私の場合は




春は、
やまざと。

山里の景色です🌿






















ずーっと前のことなのですが、
私の初めての海外旅行はシンガポールでした。
当時、仙台空港からシンガポールへの直行便があって。
マーライオンや植物園など普通に観光地を周り、途中凄いスコールにも遭い「これが亜熱帯地方の雨か」と驚いたり。




そして
仙台に帰ってきてすぐに蔵王方面に遊びに行きました。




ちょうど季節が春だったのです。
春の始め。
窓から見える田畑、木々、遠くの山々の景色。
新葉が萌始めたころで、
その色あいがぼんやりしていて本当に優しくて。

木の芽や生まれたての新葉。透き通るような黄緑。少しずつ濃さを増している若葉。また常緑樹やまだ葉を落としたままの木々も。


みんなが同じ色ではなく、灰色の樹木や薄赤の芽、そして萌え出た新葉達の黄緑、萌葱色…などなど、山全体が微妙な色あいの繊細なグラデーションで覆われていて…。
その薄いぼんやりした色の重なり合いからは、内包されたこれからの始まりへの静かなパワーも感じられたのでした。



その数日前に海外でつやつやとした緑の葉をたくさん見てきていたので(わずか3日間だけど)戻ってきてのこの眼の前の光景に、初めて来た観光客のように胸がときめきました。

「これが日本。
日本の春はなんて綺麗なんだろう」

私が、日本の四季の美しさを初めて実感した時だったのでした。




春は、やまざと。
繊細なる色どりの重なり合い、
いと優しき。
また静かなる力あり。















さて
今年の春に数回、蔵王の山里の方に出かけましたが、
早春の、その優しい色の木々のなかに、美しい桜が花を咲かせているのを目にしました。

そこにも、あそこにも。




花が咲く前は、遠くから眺めても周りの木とほとんど違いなくて、みんな同じような木に見えます。
でも、そこに花が咲いて色がつくと、そこに桜がいたのだとわかるのだなあと思いました。












その次に里山に行った時は、桜の花はほぼ終っていたのですが、、
まるでバトンタッチしたみたいに、紫色の藤があちらこちらで咲いていました。

山にこんなに藤が咲いていることが驚きでもあり、また、桜の時と同じに紫色の花があちこちに咲いてその存在を示していたからこそ、そこに藤の花がいたことがわかったというわけですね。








もし、花たちが自分の色を出さずに他の木々や葉と、同じ色をしていたら誰も気づかないかもしれません。
そこにいても、まるでいないかのように。















しょこらぁでさんのブログを読んだ時、この春に感じた桜のことを思い出したのでした。

【引用】

[声の大きい人たちは目立つ。

でも、そうでないファンもたくさんいるということを、ちゃんと発言して示す必要があると思う。

発言が無理でも、そういう真っ当な意見に『いいね』が多くつくだけでも、外から見える事に繋がる。

透明な存在になってはいけないのだ。]





「透明な存在になってはいけないのだ」

ここは心に刺さりました…。

自分は自分のできることをできる範囲でという思いでずっと応援してきたつもりでしたが。時によっては透明でいたかもしれない。(SNSは楽しいけれど時に怖かったりもするから…)


先日、星野源さんがネットで誹謗中傷されたことをラジオで語っていましたが、その中で新垣結衣さんと共に「ファンからの言葉が嬉しかった」と言っていました。

そうなんですよね。
心で思ってるだけでは伝わらない。
言葉や何かの形で表明しなければならないんだと改めて理解しました。

私達羽生くんのファン達も、昨年末、あまりにも辛いことがあった頃にみんなでタグつけて言葉を発しましたよね。

#羽生結弦さんを応援します

あの時は普段呟かない人や初めてです…という人もたくさんみかけて、これ程たくさんのファンがいてくれたんだと力強くも感じました。





花は、木々や草の中でその色を発することで自分自身を表明している。

星も同じ。

いつも羽生くんを照らす星々の一つで、ありたいと思ってきました。

けれど、光っていなければ羽生くんからは見えないのですよね…

だから私も何かの形で「私もここにいますよ」と示して行きたい。今まで通りに、またもう一歩進ませて。

どこで、何を言うべきか、また言わないか。またそれでいいのか?
そういう判断もできるように、しっかりと物事を捉えられるようになりたいです。


FaOIの幕張、愛知でも見せてくれたダニー・ボーイ。
その滑りが舞いに見えるのも、心に響いて浄化された気持ちになるのも、羽生くんからの品位が感じられるからと思います。清く気高い。
それは、応援していて凄く誇らしいことです。

だから、透明にならないで「私はここにいますよ」と存在を表すとき、それは品位あるものでありたいです。

ツイッターが時々不穏になるのは、そのほとんどが「言葉の使い方」ではないかと思うのですが…。
極端な話、「あなた」と呼びかけられるのと「キサマ〜」と呼ばれるのとでは受け取る気持ちは全然違ってきます。スーツとパジャマの時とで、心の基本が変わるように、纏う言葉でその心内そして性格までも違ってきてしまうと思います。

更に、何かに拘って、

全てのことを「白か、黒か」とはっきり分けなくても良い時もあるのではないかと思います。
春先の野山のように、遠くから見ての曖昧なグラデーションも時に張りつめた心をホッとさせるものです。

ずっと前から、または昨年あたりから、執拗に誹謗中傷を繰り返している人達と、一部メディア雑誌に対しては、諸々を思い出すと私も沸々とする怒りが込み上げてきます。
でも、だからといって誰に対しても、何を言ってもどんな言い方をしてもいいというわけはないですよね。


私は、汚い言葉を発する花や星にはなりたくないです。

小さくても麗しい花に、
ささやかでも煌きのある星でいたいです。










RE_PRAYのMCの時に、羽生くんが言ってましたよね。

「勝ちたいんです。
 誰に?
 自分に。」


そう、羽生くんは「自分」と戦っているわけで。
だから今、他の誰とも比較する必要はないのですよね。
羽生くんはもう、新しい羽生結弦のスケートの道を極めるために、ずっと遠くをみつめてどんどん先に進んでいる。

ただひたすら、彼が表現したいものに向かって努力している姿をみせてもらい
それに対して
「頑張った〜!」とか
「また見たい〜!」とか感じたことを言葉にして表明するのみ。
それらは全部、羽生選手の次への燃料になるわけだから。






このあとからの予定の話はまだないけれど、きっといろんなことが進んでいると思います。
どんなことがあるのか、
何をしてもしなくても何がきても、
全面応援のケツイです。















〈おまけ〉


最後に、

枕草子の「冬」

私バージョン作ってみました😂





冬は羽生


氷上に舞い降りたるは

いふべきにもあらず

白き腕 いと眩し

しなやかなる指先も

ひとすじ垂らしたる黒髪も

いと麗し


瞳の奥 蒼い炎は

勇者の証










https://youtu.be/2Xm2oaM2ha8?si=KbTBgny2ahTwXFC9





さあ、皆でダニー・ボーイを見ましょうね🧊❄⛸〜