3月30日~4月2日(3泊4日)で水俣・長崎学習旅行を実施しました。

昨年に続いて2回目、メンバーは4家族11名とスタッフ3名(+長崎現地スタッフ1名)の16名です。

羽田空港集合で熊本空港へ、帰りは長崎空港から羽田で解散。

九州での移動はハイエースを2台レンタルしての移動でした。

 

一日目

羽田空港集合 展望台へ行ったり、お昼を買ったり、ドキドキの旅のはじまりです。

 

  

 

熊本空港からレンタカー2台に分乗して、熊本城に向かいました。

熊本城ではグリーンコープくまもとのみなさんが、歓迎してくださり、一緒にガイドの方に案内していただき、熊本城とその周りを見学しました。

熊本地震の爪痕の残る熊本城の雄大さに心奪われ、遠い江戸の時代に思いを馳せました。

 

 

  

 

熊本城の桜の馬場で、買い物や見学をした後、その中の「すずらん」でグリーンコープのみなさんと同じテーブルで楽しいビュッフェスタイルの夕食をいただきました。

その後の交流会では、熊本弁講座に大いに沸き、ブリンバンバンやサンバおてもやんで盛り上がりました。

 

  

 

その夜、八代のホテルに泊まり、翌日は水俣に出発しました。

新水俣駅でまち案内していただく相思社の葛西さんに同乗していただき、水俣の風景や町を見ながら、水俣病の歴史を解説いただきました。

<ツアー内容 湯の児半島大崎洟より不知火海・八幡残渣プールを眺望⇒排水浄化装置堀後氏に見学⇒水俣駅~チッソ正門⇒百間排水溝⇒水銀ヘドロ埋立地親水護岸⇒坪谷漁村>

 

  

 

  

 

 

昼食は貝汁とわっぱめしをいただき、午後には相思社へ行きました。水俣病歴史考証館を見学し、水俣病患者の方のお話を聞きました。

お話してくださった水俣病患者のきみこさん(仮名)は、子どもたちの学令を聞いては、その時のことを思い出しながら、涙ながらに自分の歩んできた道を話されました。それはそれは辛いお話で、涙が溢れました。

相思社のみなさんと二日間お世話になったグリーンコープくまもとの方々にお別れを告げ、大雨の高速の中、熊本駅近くのホテルにたどり着きました。

 

熊本駅に隣接するショッピングコートのレストランで、魚介丼や肉丼を堪能しました。

翌朝、ホテルで朝食を済ませ、有明フェリーに乗るため長洲港に向かい、多比良港まで40分の船旅を楽しみました。

 

  

 

多比良港では、私たちのレンタカーを運転してくださるために、グリーンコープ(長崎)の方が待っていてくださり、坂が多く、道が狭く、一方通行や袋小路が多い上、路面電車が走る長崎市内を慣れぬ私たちが運転しなくて良かったことは、とてもありがたかったです。

 

長崎ではグリーンコープ(長崎)のみなさまの歓迎を受け、一緒に原爆資料館を見学をし、昼食の麵づくしコースをいただきながら、交流会を開催してくださいました。

 

  

 

その後被爆者の城臺(じょうだい)美彌子さんのお話を聞きました。

当時の壮絶な体験、母を思う気持ち、子や孫を思う気持ち、被爆者として教育者として、被爆後30年間は話せなかった気持ちや今伝え続けていること、ひとつひとつが心にドスンと衝撃を与えます。

その後、高校生平和大使と100万人署名活動をしている高校生たちと参加者の子どもたち交流、大人たちはグリーンコープの方々や城臺さん平和大使の活動を支えている先生と交流をしました。

 

  

 

原爆投下から79年が経つその地の高校生が平和運動に取り組んで、世界に伝え続けていること、とても勇気をいただきました。

そして、長崎に暮らすひとりひとりの人が、戦争、原爆、被ばくに関して歴史を持っていること、それを話す機会もなく過ごしていることを知りました。

大きな課題を地元の方々と一緒に考えたことの大きさと深さに感謝します。

 

交流会の間、小学生は、佐世保ごまの体験をしました。

 

  

 

城山小学校を見学し、一度ホテルに寄った後、めがね橋に行き、トルコライスという不思議でとっても美味しい夕食をいただき、稲佐山の夜景を見に連れて行っていただきました。

 

  

 

 

 

最後の長崎の夜を過ごし、翌朝オランダ坂や中華街をお散歩したり、前日のコマ回しをみんなで体験したりした後、ホテルで朝食を食べました。

 

  

 

そして2グループに分かれ、ボランティアの平和案内人の方に長崎の町の遺構巡りを案内していただきました。

  

 

前の日に観た原爆資料館や城山小学校、被ばく者のお話など思い出しながらの遺構巡りでしたので、感慨深かったです。

被ばくくすのきには勇気づけられます。たくさんの遺構を町に残して、大切にしている長崎の人たちのメッセージをしっかり受け取りました。

私たちは、原爆の直後はかなり放射線量が高かっただろうと心配してしまいます。

 

残ったわずかな時間に出島に行きました。そして空港で大勢のグリーンコープ(長崎)のみなさまの見送りを受け、長崎を後にしました。

 

  

 

帰りの飛行機では長崎空港で買った、巨大な佐世保バーガーを楽しみ、羽田空港で4日間家族のように過ごしたメンバーと別れました。

 

長くなりますが、子どもたち、お母さん、スタッフの感想を載せます。

あまりの衝撃に、言葉にできないことも多いのですが、心の引き出しに入れた体験やお話は、これから生きていく中で何かしらの力になっていくと信じています。

 

子どもたち

・チッソ社長が「この水は安全です」と言って水を飲んだこと➡福島でも「この水は安全です」と処理汚染水を飲んだパフォーマンスがあったと聞いた。今も全然変わってないなぁと思った。

・水俣患者の体験談。生きるために必死だった行いが、自分を苦しめる、ということに考えさせられた。被爆者の話を聞いて、こんなに苦しい思いをして亡くなった方がいたこと、もっと他の人に知ってもらいたいと思った。

・水俣・長崎、いろんなつらいことを経験して、何度も裁判を起こして、自分の権利を認めてもらおうとしていること。たくましい。リスペクトしたい人たち。

・外国に、今戦争やめるなら原爆を落とさなない、と言われたのに戦争をやめなかった。水俣は、水銀の流出をやめるのではなくて、排出場所を変えた。国はどうしてそんなことをするんだろう??と思った。

 

お母さん

・水俣と長崎を巡り、直接当事者の方のお話を伺う貴重な機会をいただきました。

福島に住む自分たちの立場に置き換えて感じることもあり、苦しいこともありましが、とても良い経験・学びになりました。

 語り継いでゆく、忘れないでいることの大切さと難しさを感じ、また高校生の姿に勇気をもらいました。

今回の学びをこれからの日々に活かしていきたいです。 

 

・水俣では、葛西先生が街巡りをしながら案内してくださったのでとてもわかりやすかったです。水俣のきれいな海が水銀に汚染されていたこと、今でも工場が稼働している事に現実を見たような気がしました。水俣病歴史考証館では患者さんのお話を聞く事ができました。辛く厳しい日々の事を涙を流されながら話して下さったことは、生涯忘れる事はできないと思いました

 

・ とても内容の濃い4日間でした。水俣病は前もって勉強して行きましたが、当事者からのお話はとても辛く、また許されない人災だと思いました。熊本城見学出来た事は良かったです。水俣病患者の方も、被ばく者の方も、つらいはずなのに、一生懸命伝えてくれてありがたかった。子どもたちも子どもなりに考えてくれた。
 

 

スタッフ

・初めて知ることが多すぎた。現地に来ないとわからないことが多いと思った。
水俣は被害があることを知りつつ隠した。原爆は、威力が大きいことを知っていながら落とした。しかも広島長崎の惨状を見て、それを利用しようと、さらに実験を繰り返している。国、政府は何考えているのだろう、という怒りが湧いた。
今でも毎日苦しんでいる人がいて、立ち向かっている人たちがいる。原爆も水俣病も福島の原発事故もまったく過去のことではなくて、現在進行形だと改めて認識した。毎日考え続けることはできなくても、せめて年一回の節目の日にそこに向き合う、というのはとても大事なことなのだと思った。もっと知りたい、もっと知ろう、と思った。

 

・実際に現地で話を聞くって全然違う、と思った。一生懸命に伝えようとしてくれていることに、学ぶことが多かった。昔と今とが同じ構造になっている。強いものが強い、弱いものが虐げられている。こんな社会を後世に残したくない。自分も個人でできることをしていきたい、と思った。高校生の活動も刺激を受けた。福島の人たちと一緒に何かできたら。。次の世代に伝えていくことの大切さを改めて感じた。

 

・今回も多くのみなさんの助けがあって、成り立っていることに本当にありがたく思い、水俣や長崎では、グリーンコープのみなさんが一緒に体験してくださることで、より深く心に残る体験が出来、慣れない地での体験なのに、身近に感じることが出来た。
水俣の街歩き、考証館見学と水俣病患者の方のお話、長崎の原爆資料館見学、被爆者の方のお話と遺構巡り、子どもたちだけでなく、お母さん方やスタッフも辛いこともたくさんあり、すぐには言葉にできないことも多い。でも、一緒に体験したことでこれからも事あるごとに話していくことが出来ることは、大切だと思う。
どうしても福島に重ねて考えてしまうお母さん方とスタッフ、伝えるということ、話すということ、すぐに解決する問題ではなく、長く長くかかる道のりだということ、いろいろな課題を投げられたようで、苦しいけれど、一緒に考えていく仲間がいることが、とても心強い。
中高生を中心に、親子で体験するこの学習旅行を、これからも続けていきたいと、心から思った。