答え合わせ | ポカポカの思いつき日記

ポカポカの思いつき日記

日常生活で思いついたことや思っていることを書き残すメモに近いブログ。

いつまでも若いと思っていたが、もう人生の引退時期となってしまった今日この頃、負け犬人生だった私であるが昔入学時は一応同一スタートライン上にいたと思われる大学同期の内、ドクターコースに行った者達の人生が今どうなっているのかに興味がありちょっと調べてみた。

 

私が進学した学科は化学系であり同期は40人いたが、その内の一人は入学後直ぐに文学部に転部し同期としては39人になる。

(ちなみにこの転部した人物は入試では学科で1番だったと思われる。入試時の得点を9掛けした得点が文学部の合格最低点を上回っていないと転部できないし、彼が転部してからあわてて各研究室の教授達が我々を集めて新入生歓迎会を開いたことからもそう考えられる。)

 

ただ39人という少ない人数であるが、私は2、3人を除いて他の同期の連中とほとんど会話をしたことが無い。

これはクラス単位の授業が1回生のドイツ語以外に無かったことと、私が勉強に熱心では無かったため余り授業に出ていなかったためである。なのでドクターコースまで進んだ正確な数は知らないが、一応検索して進学したことが判明した5人についての今を調べてみた。

 

まず誰もが認めるクラスで1番であったA君であるが(唯一クラス単位のドイツ語の授業でいつも彼が満点で1番であったため)、ドクター途中で私大の助手として赴任し、今はその大学で教授となっていた。私としては一旦他の大学に行きそこで実績を上げて再び母校の教員として戻っているものと思っていたがそうではなかった。

 

 

次に先のA君といつも一緒に行動し、いつも教壇前の席で授業を受けていたB君であるが、彼はちょっと複雑は動きをしていた。

彼は学部卒業後、別の学科のマスターコースに進み、ドクターでまた元の学科に戻り、そのまま助手となり母校の研究所の教授となり、その後地方の国立大学の教授も兼任しているような感じであった(この辺りは合っているかどうか分からない)。そういえば彼が学部時代入った研究室は教授が決まっていなかったので、これは私の想像であるがそのために別の学科の研究室に行ったではないだろうか。

 

ちなみにA君、B君とも私は全く接点が無く(彼らは教卓の前、私は一番後ろの席のドアの横が定位置なので)、私は彼らのことをよく覚えているが彼らは私の存在すら知らないであろう。

 

クラスで一番声がデカくて一番授業中に質問をし目立っていたC君であるが、彼はドクターコース途中で地方の国立大学の助手として赴任し、その後途中でメーカーの研究所かなんかに行ったようである(この辺も合っているのかどうか分からない)。彼はまんべんなくクラスの皆とコミュニケーションを取っており先生方の受けもよく、私は個人的に「こいつはメーカーとかに行けば社長にまで出世できる奴やなあ」と思っていたが、社長にはなっていないようである。

 

イケメンで在学中全く接点が無かったD君だが、彼はドクターコース途中で助手となり、そのままトントン拍子で助教授、そして教授まで登り詰めていた。彼とは本当に全く接点が無かったので優秀であったことすら知らなかった。

 

あと私と同じ研究室だったE君。彼は研究室に配属後、直ぐに教授に呼び出され「ドクターまで行きなさい」と言われた秀才であるが、ドクターコース途中で東京の国立大学の講師として赴任し、そのまま教授にまで登り詰めていた。彼は優しい人で私が落ちてばかりでなかなか就職が決まらずにいたところを慰めてくれた記憶がある。

 

以上が私が検索で確認できたドクターまで行った同期のその後であるが、他にもまだドクターまで行った人がいるかもしれない。

(実は同期の4分の1ぐらいしか名前を憶えていないため)
 

まあ言えることは勉強を頑張った人達はそれなりの成功を収めるようである。

ただクラス1番だったと思われるA君が母校の教授になれなかったことなんかを見るとある一定以上から先は運の要素が大きい気がする。