フラッシュバックが起きてから、
10年経って、
なんとか働けるようになって、
治そうとすることを辞めて、
何とか寿命が来る前か、
娘が大人になって
それほど私が必要じゃなくなる迄、
耐えて頑張って、
生き延びて行く方を選んだ。
耐久レースしているみたい
だったなと思う。
私の人生、生まれたときから、
ずっとそうだったけど。
真っさらで生まれて、
辛さを溜めて行く子ども時代よりも、
子ども時代の虐待が、
頭の中に全部はっちゃけちゃった状態で、
成人期の人が圧倒的に多い社会で、
成人期の人が圧倒的に多い社会で
被虐者=異邦人が働いて生きるって、
心が傷まるけになると思う。
働いて生きてきたから、
フラッシュバック後に働いていた頃が、
耐久レース感を、1番強く感じる。
ある出来事が、
きっかけで、治そうと決めた。
良くなってたわけじゃ全くなかったから。
カウンセリングを
受けるようになってから暫くして、
少しだけ楽になった時、
あのまま働いていたら、
線路に飛び込んでいたかもしれない。
と思ったのを覚えているから、
相当、辛かったと思う。
虐待されてた時に、
誰にも聞かれず、
心に溜めてきた思いと、
フラッシュバックが起きてから、
治そうと彷徨ってきた時に、
誰にも聞かれず、
心に溜めてきた思いとを、
携えてカウンセリングを受け始めた。
カウンセリングを始めてからも、
話したいことが話せないことは、
多々あった。
それまでは、
門前払い状態だったから、
その頃に比べたら、
沢山、話を聞いて貰ったし、
その分は、良くなって行ったけど、
どうしようもなく
聞いて貰えない部分があって、
虐待が酷いから、
理解できなかったんだと思う。
人って、
分からないことを
聞き続けること出来ないから。
その聞いて貰えない部分だけが、
残っていった辞める前の
最後の方に受けてたカウンセリングは、
傷つけられて、
ストレスが溜まるだけの悲惨なもの
だったなと思う。
ブログに、
辛くて、辛くて堪らないけど、
前のカウンセリングを辞められなくて、
今のCOに、
辛くなると話を聞いて貰いながら、
何回か続けて、
やっと辞められたって話を書いたけど、
最近、
何で辞められなかったかを、
カウンセリングを
受けていた時に気づいた。
我慢して頑張る生き方しか
知らなかったから、
分かって貰えないことを
分かった貰えるように
頑張ってきたんだって。
前のカウンセラーの
カウンセリングの手法は、
父を彷彿とさせたから、
虐待だよね。
頑張って耐えてそこを抜けなけば、
って思いが、
余計に、
強くなったんだと思う。
気づいて、それほどまでだったか!
と呆然とする思いがしたよ。
で、色々、 あって
前のカウンセラーを辞めて、
満身創痍の状態で、
今のカウンセラーに変わった。
それまで聞いて貰えなかった話や、
返ってくる言葉に
混乱を与えられた話しを、
何も遮らず、
聞いて貰えて気持ち良かったし、
返ってきた言葉は、
ずっと私が思ってた言葉だった。
やっとこれで話せる。
と思った。
でも、そのカウンセリングが終わった時、
『もう、そんなに
カウンセリングを受ける必要はない。』
と言われて、
終わってから発狂するように慟哭した。
やっとこれで話せる。
って思ったんだよ。
カウンセリングを受けてきていても、
話せてなかったんだよ。
自分の中に、
聞いて貰えた時間と、
聞いて貰えなかった時間が、
存在するから、
安心感が育たないで、
ブツブツと途切れた苦しみが、
自分の中に、
蓄積してて…、
それが、解消できるかも?
と思った矢先だから
打ちのめされるってものじゃなかった。
狂おしいほどの慟哭する思いがした。
言葉で蓋をされたり、
言葉で混乱させられたり、
言葉で、傷つけられて、
話せなくて
燻って凝り固まって
残っている思いが一杯あった。
それが重くて、重くて、動けない。
話しを聞いて貰って、
楽になった部分はある。
でも、代わりに
沢山、傷も与えられた。
前のカウンセラーのカウンセリングは、
私にとって、
虐待の二次災害だったと思う。
かなり酷い目に遭った。
幼い頃から蓄えた、
未だ不消化な思いと、
フラッシュバックが起きてからの、
未だ不消化な思いと、
カウンセリングで受けた傷を抱えて、
今のカウンセラーに変わったんだよね。
やっと遮られないと思った途端に、
『もう、そんなに
カウンセリングを受ける必要はない。』
って言われて、
私の人生ずっとそう。
すぐ道を、塞がれる。
そうされてきた苦しみが
とぐろを巻いて胸から湧き出てくる。
発狂するほどの慟哭だったんだ。
だけど、
発狂するほどの慟哭、
そのままの熱量で主張する力がないから、
中々、
伝わらなかった。
何10年に渡る、
聞いて貰えない体験から募りに募った、
この慟哭する思いが
どれほどのものか‼︎
が、誰にも伝わらない絶望を、
どれだけ、
どれだけ味わってきたか、
誰も知らない。
これも、ずっと終わらない
思いを分かって貰えない苦しみ。
私が、ブログを書く理由だと思う。
発狂して慟哭したことを話し、
カウンセリングをどう受けるかに、
何かを言うのは、
お願いだから辞めて欲しい的なこと
を言った。
今のカウンセラーに変わって、
言葉で混乱させられることは、
なくなった。
傷つけられることも、
凄く減った。
だけど、
聞いて貰えなくて、
蓋をされる言葉を言われることは、
度々、あった。
蓋をされて話せなくて
問題が解決できないことは、
それまでそうして来た様に、
聞いて貰えなかった話を、
その言葉を言われると
話せなくなると言って、
どんな思いがするかを、
主張できる様になったことで、
何とか話しを聞いて貰って
解決して行けた。
虐待を受けて育つと
自己主張を阻まれて育つから、
被虐者は、主張できない。
私もそう。
私は、内容によって、
主張のできなさの強弱が違うから、
主張できない思いが強いものに、
話せなくなる言葉を言われちゃうと、
主張できるようになるまで、
長い間、
足踏みさせられている気持ちになった。
今年に入って、
随分、主張できるようになって、
カウンセリングで、
今までだったら、
言ってはいけないと
口から出せなかった思いを
滔々と話すようになって、
今まで、工事現場の通行止めの
バリケードが、
一歩進めばある状態の心で
生きてきたのに、
急に、箍がなく話せるから、
何の柵もない大草原を、
自分の思うまま歩き出した感じで、
そうしている自分が、
不思議で、変で、
口にすることを阻むものがなさ過ぎて、
こうしちゃいけない
というガイドがない、
道がない道を
自分で歩いてるみたいだ。
って言うようになって、
話す方が、良くなると、
聞く方も、楽になるんだと思う。
話せなくなるものをあまり感じない
カウンセリングになってきて、
これから色々、話せると思ったら、
COが返す言葉から、
私が受けた気持ちが、
以前、通っていた
トラウマの先生のところを
辞めるきっかけになったときと、
被って、
その当時の気持ちが彷彿と蘇って、
その気持ちを、
次のカウンセリングで話したら、
その次のカウンセリングでは、
今度は、前のCOと被った。
トラウマの先生のところを
辞める時に起きたことは、
傷ついたけど、
仕方がないと思えることだったから、
それが被って、
そのときの思いが彷彿として甦っても、
その頃も、
仕方がないことだったとは、
思ってはいたけど、
自分を責める思いもあったから、
振り返れてかえって良かった
くらいの感じで済んだけど、
前のCOと被ったのは、
前のCOは、
不誠実だったから、
今のCOに不誠実さを
感じたのはかなりショックで、
打ちのめされたよね。
また、カウンセリングを
辞めなきゃいけなくなるのかって。
調子良くなって、
期待する度、
こと如く、こと如く、
打ちのめされる。
いつまで
続くんた‼︎
ぐらいの煮詰まった思いがあったから、
余計、打ちのめされる。
結局、次のカウンセリングで、
その話を何の問題もなく話せたんだけど、
募りに、募ってた
それが嫌だって思いを
生まれてはじめて
グチグチ言うような感じで話した。
その自分の行為に恐怖を
感じたのもあると思う。
母に、嫌というほどされてきたけど、
ただ、一言、文句を言うことに、
殺される恐怖を感じてきたんだから、
グチグチ言うなんて、
私がしたことあるはずないよね。
自分のしでかしたことに、
若干の恐怖を感じていたところに、
それを聞いてる
カウンセラーの顔が、
うんざりしている様に見えたら、
見捨てられる恐怖が、
バーンと出てきて、夢にまで見た。
その見捨てられる恐怖の話しを
した時だと思う。
COの態度を見て、
初めてCOが信用できた。
そのとき、思ったことは、
あー、COはちゃんと
高橋先生の手法をやろう
としているんだなってこと。
上手くできるかどうかじゃなく、
それをしようと誠実に思っているだろうと
感じられたから。
高橋先生の手法を、凄く信頼してるんだよね。私。
だから、それを、本当に、しようとしている
って信じられたことが、COを、信頼できた理由
になった。凄い私らしいなと思う。
ずっと心の中に、
どうせ気に食わなかったら、
捨てるんでしょ。
って思いがあって、
それ越しに人を見ていたことに気づいた。
これがあった後、
『シーラという子』トリイ・ヘイデン著
の本のなかのシーンを思い出した。
虐待を受けて育つ
問題を抱えたシーラという女の子が、
トリイが働く
特別学級に入ってからの
心の交流を描いた実話。
シーラが学級に入ってから、
色々な問題を起こしつつ、
愛着して分離してきた頃、
トリイが、研修に行くから、
学校を3日休むとシーラに話す。
それを聞いたシーラは、
あんたも私を捨てるんだ
としか、思わない。
そうだろうとしか思わなかった。
一方のトリイは、
賢い子だから、
帰って来ることは、分かるはずって、
なんでそう思えるのか全く理解出来なかった。
今は、別の地点で色々、考えることができる。
思い込んで、
信じて帰って来たら、
3日間、
シーラが荒れて暴れ回った話しを、
沢山聞かされて、
シーラに期待を裏切られた
怒りをぶつけて、
帰って来るなんて
全く思っていなかったし、
その不安を訴えてたんだよね。
シーラは。
なのに勝手に期待して、
裏切られたって怒りをぶつけられて、
シーラも、
怒り返して、
トリイが、
シーラが本当に
トリイが帰って来るとは、
思わなかったことを知って、
そうだったことは、
シーラの育ちからすれば
当前のことだったと
気づいて反省して仲直りする。
その喧嘩して仲直りをした話しを、
シーラは、トリイがうんざりするほど、
繰り返し、繰り返し話す。
このシーンが思い浮かんだ。
人との信頼関係を知らない被虐者は、
多分、ただ、親切にされるだけの時間
が続いても、
その人を信用できないと思う。
どうせ、何かあったら捨てるんでしょ。
越しに相手を見るから。
だって、それしか知らないから。
何かがあって、
喧嘩して仲直りできた方が、
ずっと相手を信用できる。
この本を、読んだ時そう思った。
実際、そうだったから、
思い出したんだと思う。
このシーンを繰り返し、
繰り返し話すシーラの気持ち、
めちゃくちゃ分かるもの。
裏切られてできた面々とできた心の傷の
自己手当てだったんだろうと思う。
私も、小さい時にこんな体験できたら、
心に擦りつけるように、
何度も、何度も、咀嚼したと思うし、
したかったよね。
その後、
見捨てられ恐怖の夢を見て、
余程、怖かったんだなと思った。
あれで恐怖が抜けたのか?
COに言われたら、
聞いて貰えなかったトラウマを
刺激されて嫌な言葉って、
いくつかあったんだけど、
感じ方や捉え方が、
微妙に変わって、
言われても、
あまり気にならなくなった。
代わりに、
贅沢になって、
苦痛はないけど、
言われたくないなと思うようになった。
今まで辛かったから、
そう言う言葉を私に聞かせないで。
配慮して。って気持ちを
持つようになった。
相手に気持ち的なことで
何かを求めようと思ったことがないから、
ちょっと変化に戸惑ったけど。
自我が育ってきたのか、
口を止められなくなっちゃって、
思ったら、戸惑ってても、
言っちゃうようにもなった。
その頃、
カウンセリングが終わった後、
アレ私、
何も気にしないでして、
話してた?…安心してた…?
って気づいて、
COが怖かったことに気づいた。
COが怖かったっていうのは、
CO越しに、
常に、ずっと、
見捨てられる恐怖を見てきたってこと。
これ☝︎全ての人類にだと思う。
だから、人が怖かったんだろうし…。
CO本人が怖かったわけじゃない。
その見捨てられる恐怖が強くて、
相手がどんな人が見えてなかった
というか、
見えていても、
それを受け入れられなかった。
もし、捨てられたら怖いから。
常に、
どこかしら意識していたCOを
気にしない分、
自分の話す話に流れる感情や思いに、
集中できるようになった。
今度こそは、
私が、それを必要としなくなる迄、
続きますように、
祈るように、祈るようにそう思う。
カウンセリングが終わってから、
高橋先生の言葉、
被虐者の回復は、
って欲求は、
母親との感情の共有をしながら、育ち、
生まれてから、2歳くらいで、
愛着を得る。
愛着できなかった私が、
私は、この欲求を凄く強く感じてて、
愛着ができなかった私が、
それを求めるのは、
当たり前じゃないのか?
ってずっと心で思ってきたけど、
その欲求、
絶対、持っちゃいけないもの
だったから、
我慢して抑えつけて生きてきた。
その欲求を強く思いながら、
抑えつけて、
自分が本当は、喉から手が出るほど、
それが欲しいと思っていることを、
中々、認められなかったし、
それを、人に求めることも、
人にその欲求があると
見せる(言う)ことも、
殺される恐怖があるから、
出来なかった。
私の持ってた強い殺される恐怖は、
見捨てられ不安だったんだね。
修正しててやっと分かった。
だって、それが欲しいって、
幼い頃に、
求めたら、
散々、拒否されて来たのだから。
幼い頃の子どもが、
母親にそれを拒否された心の傷が、
どれだけ深いものかやっと分かる。
昔はそんなことぐらいって、思ってたけど。
だから、高橋先生の言葉、
母に出会う前の私に還る
って、コレだったんだって思った。
母親に出会う前は、
絶対に持っていたはずだもの。