虐待はなぜ起きるのか?

ってタイトルを書いたけど、


虐待って言っても、

範疇は広いし、

人其々、

虐待の認識や理解の仕方に差があります。


大雑把に、

虐待には、

愛着がある虐待と

愛着がない虐待があって、

両者にはかなり違いがあります。


愛着がない虐待を私は受けてきたので、

私が書いている虐待は、

愛着がない虐待の話と

そこからの心の回復の話になります。


愛着がない虐待から、

心が回復していくこと

自体も難しかったけど、


回復するための関わりができる

カウンセラーや医師に出会うことすら、

わけがわからないほど、

異常に難しかった。


それが

私のリアルな体験からの感想です。


母子間で、愛着が形成されないと

激しい虐待を例え受けていなくても、

大きな心の傷を抱えて

生きづらくなります。


これすら知らない方は多いし、

虐待当時者の方自身が、

自分の生きづらさがなぜ起きているか?

わからないことで、

こんなことでいつまでも苦しんでいる

と思ってしまって、

自分を責めて苦しむことが起きます。


虐待からの心の回復をしていくのに、

私が凄く理解が必要だった

と思うものをリプログしました。

高橋先生関係ばっかりだけど 笑笑


⚫︎親子関係で愛着が形成されなかったり

虐待がおきたりする5つの理由


⚫︎子どもとの愛着が形成できない

母親について


⚫︎母親との愛着があったか?どうか?

その違いについて


⚫︎母親との愛着が持てなかった人が

抱える心の傷について

この順で下にリプログを載せました。



リプログさせて頂いた

ソレア心理カウンセラーセンターさんの

ホームページの簡単な内容紹介


母親との愛着が形成されなかったり、
虐待が起きる場合の
以下に書いた①〜⑤について、
解説が書いてあります。

①母親が軽度知的能力障害(⇒多数)
②母親が統合失調症(あるいは類似疾患)
(⇒少数)
③母親に被虐体験がある(⇒少数)
④母親が思春期心性で心理的虐待がある
(⇒まれ)
⑤2歳までの間に養育者が変わっている
(⇒まれ)

①の母親との愛着が形成されない場合
について
知的能力障害の程度の違いによって
起きる虐待の違い
について書いてあります。


↑母親が軽度知的能力障害〜

境界知能だと

なぜ子に共感できないか?

それがどうして虐待に繋がるのか?

について高橋先生の著著の中の

文章を抜粋して書いてあります。



↑愛着障害は、

母親との愛着がないこと

なんだけど、

愛着が足りない、愛着不全

と誤解している方はとても多い。


実際は、

愛着障害を抱えた心と

愛着不全を抱えた心は全く違います。


愛着があったか?なかったか?

の違いがよくわかる

高橋先生の著著の中の文章を

抜粋して書いてあります。


ひらめき電球ひらめき電球ひらめき電球ひらめき電球ひらめき電球

愛着障害がある方が、

愛着不全と見立てられて、

心理療法を受けると

もの凄く苦しむと思います。


虐待からの心の傷の上に

更なる不理解の傷を作らないために、

愛着があったか?なかったか?

この理解はもの凄く大切だと

私は思っています。


この世で一番自分が劣っていて、

おかしい。

だから、

みんなは正しくて間違っていない。


私はこう思う思い込みが

強すぎるほど強かったから、


心療家は心のプロだし、

行き違いがあれば、

それは私の頭がおかしいから、

長い間、そう思ってきた。


だけどそれは違ったと思っています。


母子間に愛着があるって、

本当は、

太陽が東から昇って、

西に沈むくらい、

当たり前のことなんです。


虐待ができる、

子どもを殺してしまっても、

そんな惨殺を我が子がされても、

それほど心が痛まない親の方が、

本当は珍しいんです。

私の両親ともこうだったから、

理解できるのに時間がかかったけれど。


母親との愛着関係がある中、

育った方にとって、


愛着関係って、


太陽が東から昇って、

西に沈むくらい、

当たり前のこと過ぎて、


意識にのぼることすら

あんまり無い

暗黙の前提であることに対し、


母親との愛着関係が全くなく、

愛着が何かも、

その当たり前さも、

頑としてわからなかった私、


子どもを気に入らないってだけの理由で

殺せる親がいることが、

私の親の当たり前の前提だった私、


回復するに従って、

その真逆さを

痛感していったからこそ、


愛着障害を理解することは、

どんなに経験や資格を持っている人

であっても、

愛着がある育ちをした人にとって、

とても難しいこと。

私はそう思うに至りました。


愛着がない、愛着障害を

愛着があるけど

愛着不全だと思っている方は、


愛着があるか?ないか?

を見極める視点すら

持ち合わせていない。

ということです。


愛着障害を

本当には知っていないから。


その場合。

愛着障害を愛着不全と聞き続けられる

心理療法を受けていること

になります。


愛着障害だと理解して関われる

そういう心療家かどうか?

虐待からの複雑性PTSDを抱えて、

物事を客観的に捉えるのが

難しい脳と心で、

診療家を

クライアント側が見極めなければ

ならないことが起きることも、

多々あるそれが現実だと

私は思っているので、

今回、敢えてハッキリ記述しました。



母親との愛着が形成できない、

心理的ネグレクトの中を

育つ心の傷について、

これもまた高橋先生の著著の抜粋が

書いてあります。


この心の傷が

正当なものだと扱ってくれる

心療家に出会い、


自分の傷を責めることから、

癒す道へと進んでいける被虐者の方が、

増えることを

心より、心より願っています。


クローバークローバークローバークローバークローバー


愛着がない虐待の場合、

母親が軽度知的能力障害〜

境界知能であることが多いのだそう。


私の母は、

軽度知的能力障害だった。


そして父と姉は境界知能だろうと

去年わかったけど、

あんまり過ぎて向き合えなかった。


やっと生きづらさを終わらせる気になり、

父と姉の理解、

境界知能の理解をしよう

と思うに至りました。


母を理解して、

母の恐怖からは解放されたから、


親の障害を理解することは

虐待の生きづらさを終わりにすることに

直結するくらい大切なことだと

私は思っています。


同時に、

自分を失ってしまうほど、

恐怖を覚えることでもある。


ここをもう少し深く書くと、

被虐者は、

幼い頃から、

虐待を受けて育つから、

幼いなりに親を理解して育っていく。


子どもだから

正常な脳をもたない親を

普通の親だと思おうとして、

自分が悪いと思って育つ。


だから、

大人になって、

客観的に親を理解しようとしても、

子どもだった自分が

親に対して

理解してきた強い思いが

理解を妨げてしまう。

これを、無理に理解しようとすると

とても危険だと思う。


だから、

私もずっと向き合うことを

避けてきたんだと思っています。


もう一つ、

親を理解する難しさは、

正常な脳からの感覚

親を見てしまうことと、

長年、思いこんできた思いが

混ざってしまうことにあると思う。


『軽度MR』の理解がある

COと話すことで、

自分では見えなかった視点からの

指摘で気付けることは多いし、


何より大切なことは、

親を本当に理解するって、

何もない宇宙に吹き飛ばされるような、

足元にある大地を根こそぎ失うような

恐さがあるということ。


そして、

それは当然に感じる恐さです。


心理をネグレクトされる中、

育つって、

一時もじっとしていられないような

本当は凄く恐ろしいことだから。


それを

自分が悪いと思うことや、

親は〇〇だからという思いで、

恐さをあまり自覚せず、

帳尻の合わないことに

帳尻をつけ自分を支えて、


周りにどんなに人がいようとも、

心は誰とも繋がれず、

孤立して、

孤独な心を抱えて生きてきた。


歪んでいても、

唯一の心の支え大黒柱になる認知です。


親を本当に理解するということは、

その支えを抜いてしまうようなもの。


だから、

恐ろしいことだと

ちゃんとわかっている方の支えが

何より必要だと思います。


軽度知的能力障害だった母は、

幼かった私でも、

普通じゃないとわかっていたから、

その母を理解することは、

それなりに大変ではあったけど、

父ほどの恐怖はなかった。


父には、

被虐の方が通常、

母親に寄せる

幻想を持ってきたから、


ある意味、

父が母みたいな部分があって、

父への幻想やその強力さは半端ない。


私にとって、

父を理解することが、

生きづらさからの回復の

最後で最大の難関かなと思っています。


向き合えるタイミングは

人それぞれだけど、


虐待から心の回復をしていくことは、

本当に大変で、

わかってくれる人がいなかったから、

彷徨いまくったので、


いつの日かくる

誰かのタイミングに

このブログが目に止まること

タイミングがきたとき、

思い出すことを願って

この記事を書いてみました。


クローバークローバークローバークローバークローバー


ここからは

自分の恐さとのせめぎ合いだし、

被虐者が親を理解することは

誰にとっても危険を伴うこと

だと思うので、

『境界知能』を理解していく記事は

アメンバーで書いていこうと思います。


クローバークローバークローバークローバークローバー


私のブログは

前置きがいつも長いのだけど、

今回は超長かった 笑笑


愛着がない心からくる

気持ちや考えや

愛着がない虐待の異常な世界観が

とにかくずっと通じない、


発狂したくなる日々を

なんでか?

カウンセリングを受け始めてからも

何年も過ごしてきたので、


愛着がないことを理解されることの

難しさや辛さに対する思いが

並々ならず私にはあるし、


そこに対する、

被虐者の方への思い入れも強い。


だから、

一緒に回復❤️‍🩹の道に

歩いていこうよ💕

其々のペースで。


って思いが凄くあるので、

今、書ける限りを

書き尽くして置きたかった。


ここまでのことを書いていくことで、

ザワザワ揺れていた気持ちも

落ちついてきました。


共感性がない、

宇宙の果てのような家に

生まれ落ちてしまったことは、

言語にできない思いがあり過ぎて、


何も言えねぇ


っていうのが

正直なところだけど、


自分に共感性がある

っていいものだな💕と思います。


誰かを、

それも特定ですらない

この世にいる誰かを

ただ思うことで、

自分の気持ちが

こんなにも落ちつくのだから。


たとえ明日、

世界が滅びようとも

今日、

私はりんごの木を植える

                                    ルターの言葉


極めて、極めて、

人間らしい言葉です。


人間らし過ぎて、

人間を見たことのない育ちをした私は、

こんな人間居るんか‼︎

って長年思ってきたけども


😩😱真顔ゲッソリ滝汗真顔ポーンチーン

この中の

どの顔の気持ちもあり過ぎて、

もはや

どんな顔していいかすら

よくわからないんだけど、


その思いが、

意外にも、

自分の中にもあることを

今、誇らしくすら思います。