私はずっと普通になりたかった。
だけど、

普通になりたい
って
普通の人に言うと
普通じゃなくていいって必ず言われる。

私が指す普通と、
普通の人が指す普通
根本的に全く違ってたし、

私が受けとっていた意味も、
普通の人が伝えてた意味も、
根本的に全く違った。

普通の人が指す
普通じゃなくていいって、
おおむね、
人はそれぞれ違う。貴方は貴方。
世の中の普通に収まらなくてもいいんだよ。
違うのは個性だから。

って意味だと思う。

私は四半世紀くらい
普通になりたいって思い続けてたから、
思い変わらずとも、
段々と、
普通の人が
普通じゃなくていいという意味の
ニュアンスだけは、わかるようになった。

だけど、
そうだと思えたことは全く無かった。

コレ絶対、
普通になりたいって思っている人は、
普通の人が普通じゃなくていい
という意味を
で理解することはできたとしても
で理解することはできないから、
普通じゃなくていいと
何回言われても、
モヤや苦痛を感じるばかりで、
普通じゃなくていいと思えることは
ないと思う。

普通になりたいと思わなくなっても
『普通になりたい』
と思ってきた自分の思いを
どこか肯定できないまま、
今までいたんだけど、

この間、
普通になりたいについて書いてあるものを
たまたま読んでいたら、

自分の中でパンっと繋がって、
心理的ネグレクトを受けて育ったら、
普通になりたいって思うの
当たり前だ。
それ以外何を思えと言うんだ
って思った。

辛かった思いも出てきたけど…


そう思えたら、
ずっと普通になりたいと思い続けた私を
肯定できた。


クローバークローバークローバークローバークローバー


高橋先生の『消えたい』より
心理的ネグレクトについて

〜本文抜粋〜

心理ネグレクトとは、
親が子どもとの間に愛着関係を作れず、
その結果、
子の心理的発達が阻害されることである。

つまり、
愛着関係の不成立
=心理的ネグレクトである。

心理的ネグレクトを付け加えた理由は、

法に定められた4つの虐待があれば、
それには必ず心理的ネグレクトを
伴っているからである。
つまり、すべての虐待の背景にあるのが
心理的ネグレクトである。

例えば、
身体的虐待があれば、
その背景に、
親は子の身体的、
精神的な痛みに無関心で、
子の気持ちを読み取れないという
心理ネグレクトがある。

他の3つ、ネグレクト、心理的虐待、
性的虐待もしかりである。

一方、
心理的ネグレクトだけがあって
他の4つの虐待は見られないこともある。
心理的ネグレクトだけを見ると、

具体的には、
⚫︎子どもに声をかけない
⚫︎子どもが甘える気持ちに気づかない
⚫︎子どもが落ち込んでいたり
喜んだりしていても無関心である。
⚫︎子どもが悩みを相談しても
内容をくみ取れない。
⚫︎子どもが泣いていても
いたわる言葉をかけられない。
⚫︎子どもが喜んでいても一緒に喜べない。
などである。

クローバークローバークローバークローバークローバー

心理的ネグレクトのある家で育つと、

自分が何を感じているか?
あやふやで掴めず、
表情も乏しかったりするし、
喜怒哀楽が淡い。
自分の気持ちがわからないし、
母親に愛着して繋がれないと
他者とも繋がれない。

少し大きくなって家から外にでた時から、
毎日、毎日、
おびただしい数の
理解できない
『普通の子や普通の人の言動』や、
『普通の子たちの織りなす光景』に
出くわしながら、
何かよくわからない混乱は
解消されることなく、
私は大人になった。

幼稚園に通うようになってから
見てきた理解できなかった光景

⚫︎転んで泣き出して駆け寄った先生に
慰められる子

消えたいの中の文章をやたら思い出すから

リプログ貼ってみました。
母親をあの人と呼ぶ子 自分のことをママと呼ばないママ


⚫︎おしっこがかかっちゃったから、
ズボンの替えが欲しいと先生に言う子。
殴らない先生。

⚫︎お人形の取り合いをする女の子

⚫︎戦闘ごっこをする男の子

⚫︎喧嘩で怪我したことを
母親に報告する先生と聞いてる母親、
どちらも子どもに怒っていないこと。

⚫︎砂場でトンネルを作った男の子が
怖がりもせず、先生早く、早くと
水を持ってくるのを急かし、
怒る様子もなくせっせとバケツの水を
運んでる先生

⚫︎絵本の読み聞かせをする先生、
不思議に思う様子もなく、見入る子たち。

⚫︎母の日に、
お母さんの絵を書くこと。

⚫︎幼稚園の先生に怖がりもせず、
キャッキャと近寄って、
腕に捕まったりする子

⚫︎母親が迎えに来ると
嬉しそうに駆け寄る子

⚫︎父兄参観に沢山来ている父親

⚫︎将来の夢の作文を書くこと。
怖がりもせず、堂々と皆んなの前で
読む子が一杯いたこと。

⚫︎母の日のプレゼント作りがあること。
皆んなが普通なこと。

⚫︎誕生日はどんなことする?
と祝われることが前提で聞かれること。

⚫︎給食が美味しくない。
家のご飯の方がずっと美味しいという子

⚫︎給食のメニューに喜んだり、
ガッカリする子

⚫︎女の子にブスと言って楽しむ男の子と
言われて怒って追いかける子

⚫︎スカートめくりする男の子と
捲られて怒る女の子

⚫︎引っ越しする子とのお別れ会で
泣き出す子

⚫︎卒業式に泣く子

⚫︎アイドルに夢中になる子、
そういう話しで盛り上がる子

⚫︎運動会に嫌そうさがなく来る親、
すごいご馳走の弁当、
親が来るのが嬉しそうな子

⚫︎リレーの応援に熱狂する子

⚫︎クリスマスプレゼントの話をする子
正月、雛祭り、クリスマス、誕生日、
入学式とか、発表会、運動会、授業参観って
恐怖の行事だけど、逆だから、理解できない。


⚫︎心配ごとを親に聞いて貰った話をする子

⚫︎衣食住に不憫そうじゃない子
ばかりなこと
気にかけられることを知らないから
身の回りの物に困っていなそうなのが
なぜなのか理解できなかった。


⚫︎夏休みなどに子どもの希望を聞いて
遊びに行く親の話

書き出したらキリがないくらいでてくる。

幼稚園に通い始めた日から、
あまりに家と違い過ぎて、
理解できなかったんだとわかっていたけど、

私の家は、

無視か責めるか殴るしかなく、

全く方向性が逆過ぎて

そこでパニックになってるから、

幅広い対応は見えていても

もはや意味不明だったんだと

あらためて思った。

小学校中学年を超えてくると
心理発達レベルもだけど、
感情の幅の発達レベルが、
幼児のまま止まってる私からすると
同級生はもう異次元で、
中、高の記憶が殆どないのも
もう引っかかりどころすら無かったから

記憶にすら

残らなかったのだろうなと思った。


今まで理解できなかった上の光景は

理解できるようになったし、

子どもの頃と全く同じ体験を持つことは

不可能だけど、

自分の気持ちとも、

他者とも繋がれるようになってきたから、

体験できるようにもなった。


普通になってきたから、

自ずと普通になりたいと

思わなくなったんだと思うし、

私の普通じゃない個性って、

虐待育ちだと思うけど、


昔はそんなん個性違う💢って

思ってたけど、

自分が悪いから虐待を受けている

と思ってたから

虐待育ちを責めてたし、

劣等感と恥辱感の塊だった。


可愛いそうだったな、

自分が一番大切にしてあげるべき

私の痛みだと思ったら、

個性って言葉も気にならなくなった。


クローバークローバークローバークローバークローバー


子どもの頃から
思い続けてた普通になりたい
の普通って、

簡単に言うと、
赤薔薇赤薔薇
虐待する親を持ち、
虐待育ちの記憶と発達じゃなくて、

普通の親を持って、
普通に育った記憶があって、
成人期まで心理発達した心が欲しい。
                                        赤薔薇赤薔薇
ってこと。

普通の人と被虐者だった私が
どれくらい違ったかって言うと、
⚫︎愛着がないと、
存在の許可が得られないから、
この世にいていいって思えない。
私は、生きていていいと
思ったことが一度も無かった。

⚫︎母親にこれ美味しいねとか
感じてる感情を教えて貰いながら
共有して貰ったことがなく、
心理を常にネグレクトされていたから、
美味しいとか、嬉しいとか、楽しいって
わからず、
生きている実感を全く感じなかった。
というより
乖離し過ぎて、いるか?いないか?
すらよくわからない状態で
40年前後生きてた。

⚫︎気持ちをネグレクトされていると
安心ってできない。
私はしたことないし、
普通の人が安心して生きていることを
知らなかった。
振り切れるような恐怖の中を
フラッシュバックが、
起きた日から20年近く生きてた。

⚫︎気持ちが繋がって共有した時間がないと
学校に通ったという無機質な記憶は
あっても〇〇ちゃんと喧嘩したっていう
思い出はもちようが無いから、ない。

⚫︎感情を共有できないから、
どんなに生きていても
意味を持たない記憶があるか、
記憶すらないただ生きていただけの
空虚な時間の連なりしかなく、
生まれた時からの
誰かと時間と感情を共有した繋がり、
↑自分の人生を実感をもって
生きてきた歴史もない。

⚫︎愛着して存在の許可が得られるから
自己主張ができる。
自己主張して自我が育って、
反抗期をへて自我同一性を獲得して
成人期発達する。
私は自我すら無かった。

回復してきた時に、
普通の人は心理発達を経て、
大人になっているから
心が豊か過ぎて
『ない』が見えないんだなって
気づいたけど、落差半端ないね。


普通に、育った人にとって
私がいう普通って
当たり前だから意識すらしないし、
ないことすら
想像しないものだから、

普通に育った前提から、
会話が始まるって、
普通じゃなくていいって返答が返る。
単純なカラクリでしかないんだなと
拍子抜けするけど、

大人になって
普通になりたいって強く思っていた頃は、
虐待のフラッシュバックの中、
子育てしてたから、

娘は普通に育てたいけど、
普通が全くわからない。

だから、
普通に育った記憶と発達が欲しい、
って思ってた。


切羽詰まったら窮状からくる

喉から手が出るくらい

切実な思いだった。


頭の中、フラッシュバックが、
常に回っていたから、

普通じゃなくていい
って言われると、
虐待を受けて殺されそうになったくらい
いいじゃないか‼︎
そんなことで子育てできんわけなだろう‼︎

って聞こえてたんだよね。

普通の人はなんでそう聞こえるか?
からわからないと思うけど、

トラウマがあると

話した内容を知的に理解してとるよりも

反射的に

自分の中で強く思っていることを

否定されたように聞こえると思う。

その後、本当はどういう意味を

伝えたかったんだろうとは思うけど、

会話している時は、

トラウマ思考の方が早いから、

圧倒されて…何にも言えなかった。


虐待を受けて殺されそうになったくらい
いいじゃないか‼︎
そんなことで子育てできんわけなだろう‼︎

って聞こえても、

虐待の痛みや恐怖を
ネグレクトされることしかなかったし、
それしか知らないから、
やっぱり世の中の人もそうなのか…
っていつもなってた。


だけど、
本当にそうなの?
って疑問も消えないから、

いつもモヤっとしていて、

ポロッと誰かに普通になりたいって言う。

でも返事はいつも同じ。

やっぱり親と同じ人しかない世界?
ってなるジレンマから10数年、
私は、出られなかった。


虐待を受けて殺されそうになったくらい
いいじゃないか‼︎
そんなことで子育てできんわけなだろう‼︎

って聞こえているのに、


怒ることすらなく、

腹もたたず、

痛みも感じず、
仄かにおかしんじゃないかな?
しか思えなくなってたことが
心理的ネグレクト、
虐待の怖さだと思う。


その頃は、

わかってもいなかったけど、

普通じゃなくていいって言ってる人は

大概、普通の人だし…ね。

そこに怒りすら覚えもしなかった

ことを思うと、

回復するほどに異常な事態だったなと思う。


クローバークローバークローバークローバークローバー


ずっと自分の受けてた虐待の程度を

かすり傷くらいにしか思えなかったし、

それでも

嫌でも虐待だと思うしかない映像が

頭の中を回ってたから、

私は、虐待だと思えたけど、


心理的ネグレクトが背景にある虐待や

心理的ネグレクトのみの虐待を、

受けていると、

本当は相当の生きづらさを抱えて

当然の過酷な子ども時代を育っているのに、

虐待だと思えず、

自分の辛さを

凄ぶる過少にしか評価できなくなる。


その仕組みをわかっている方と

話すと自分を理解していけると思うし、


その仕組みをわかっていない方と話すと

辛さが見えにくいから、

見過ごされて

何を話しても、

普通になりたい。

普通じゃなくていいです。

モヤッ、本当にそう?

みたいな平行線の会話の応酬になると思う。

しまくったもん私泣くうさぎ


虐待からの回復って、

実際に回復していくことより、

回復するには

このままのやり方じゃダメ

って気づいたり、

ストレスになる親や

そういう人間関係から離れたり、

親みたいなタイプによっていき、

安全で安心な人と距離をとる体質に

気づいたり、

色々な回復する環境を

整えられていくまでの方が

遥かに難しいし時間がかかると思う。


クローバークローバークローバークローバークローバー


高橋先生の勉強会で、

何げなく聞いたり読んでた、
傾聴カウンセリングの手法
黙って賛成して聴くって、


えっ!聴く側が、

話を賛成して聴いてるって

ずっと受容しているのと

一緒じゃん。

って気づいた時があって、

わかってなかったわけじゃないけど、

あらためてハッて気づく時あるよね。

そんなん良くなるに決まってるし、

受容してるから、

言ってることと違うこと言われて

邪魔されることが殆どないし、

凄い理にかなってると思って

興奮してたんだけど、


黙って聴いて貰うなんて

甘いこと思ってはいけないって

禁じてたり、責めてる部分がずっとあって

今もあると思うけど…

そういう部分は、

そんなんでいいの?

ってしつこく思っているの。


虐待を受けて育って、

普通が無かったんだから、

普通になりたいの当たり前って

ずっと思えなかったから、

そこ黙って聴いてていいの

って思いも抜けなかった。


どこか自分の落ち度、弱さ

みたいに思っていたんだと思う。


普通になりたい気持ちを肯定できたから、

だと思うけど、

それ人間の子として

当然の思いだし、

普通がなかった痛みじゃないか

って思った。


普通になりたい思いもだけど、

普通になりたいにまつわる、

普通じゃなくて辛かったことを

思うまま話してたら重荷が抜けて、


普通の人みたいに、

普通じゃなくていい

ってある日、普通に、

思っていることに気づくと思う。

その時まで

黙って話を聴かれてたって思うって、

剥奪された権利の目録

※下に書きました。

与えて貰ってきたようでいいな、

私はそういうのが欲しかったし、

人はそうやって育つんだから、

回復だってそうが一番いいに決まってる。

高橋先生の傾聴が好きな理由も

そこにあるんだけど…ね。

どうにも自分の中で戦って拗れてしまう…驚き


だから、

普通になりたい思いを

私は、絶対、否定しない。
黙って聴くってスッと思えた。


心理的ネグレクトのある虐待を

受けて育った私には、

愛着の部分、

甘えたり、頼ったりする部分が固い。


そこすらなぜか責めてたけど、

異常に意地悪だった私が、

そういう虐待の中を

生きてきた私なんたなって

開き直ったような気持ちにもなって、


自分に意地悪しながら、

意地悪な自分を発見して生きていたら、

そのうち全然、意地悪じゃない日も

来るかも…そういう発想になった 笑


赤薔薇赤薔薇赤薔薇赤薔薇赤薔薇


子どもというのは

『権利の目録』を手にして

この世に生まれてきます。

それは次のような権利です。


誰かの期待通りの存在だから

ではなく

ただありのままの自分として

大切にされる

親の喪失を埋め合わせるための存在

ではなく

その子自身として慈しんで育てられる


一貫性と、安全と、暖かさと、

理解を与えられ、無条件に愛される


ひどく傷つくような状況から守られる