どうせ言ったところで伝わらない、と言いながらわりと構って欲しがりという自分のスタンスを再確認するために。
大丈夫、いつも言ってることの焼き直しだよ。
今年のヅカ観劇は残すところ星組大劇・新公と蘭コンであります。
で、昨日バウホールで「Victorian Jazz」を観劇してきまして、こりゃまだまだヅカ上がれねえな!と思い直した次第。
劇団の姿勢に思うところあるのはみんな一緒だろうけど、
どの演目でも共通の、
このタイミングで・このメンバーで・この作品を上演するという奇跡の積み重ねが現状を変えていくんだろうな、とぼんやり思いました。
花組ファンなので当然自組の演目には思い入れが強くなりますww組子全員識別できるから、あぁこの方は今こんなお芝居を!とか安定の歌ウマ!とかこのバランス感やべぇなオイ!とか興奮するし、そういう演目こそ他組ファンに観てほしいとか、どのファンもみんなそう思えたらいいなぁ、とかそんな。
誰のファンがどうでとか、偉いとかダメだとかそんな相関関係は考えれば考えるほどある種の歪みが生じるものなので考えないようにしています。というかそういうバイアスがめんどくさい。どこにいてもクズはクズで底辺は底辺で、素敵な人はいつだって素敵、です。
宝塚に限った話ではないのだけど、
ヅカ界隈は自分の立場をわきまえて歩いてなんぼだと思うんだよなー。
いかに自分がちっぽけな存在であるか、そして世界は広くて、自分の感性がスタンダードではないと自覚できるか、が何するにしても大事で。
押しつけは良くない。けど確信犯の自己主張はよくキメるw
色々に飽きてきたり疲れてくると、
「君の見えている世界は、その程度なんだよ。」って言葉、投げつけてやりたくなる。
正義の基準はその時々で変わる水物で、頑なではとてもとても生きづらく。常に他者ありきのコミュニケーションをとれるかどうか。
好きなものを悪く言う人ってさ、「自分はその程度のものを好きになったかわいそうな人なんです」って自己紹介してるのと一緒なんだよねー。
残念ながら私にはそんな暇はないのでー。っていうか「その程度のもの」なら最初から好きになってない。
この書き方で気を悪くされる方がいるのは承知の上で。
基本的に客観性というか、ともすると調査するようなスタンスでこの世界を眺めてるのかもしれん、と思った。固く考えると。
固定されたメンツよりも、いろんな立場・年代の方と接する方が楽しい。そして調査はサンプル数が多い方が信頼性が高まる。
嘘です調査なんて、宝塚というフィルターを通していろんな方と出会えるのが楽しいだけです。
議論・ディベートの基本として、相手の立場・自分と反対の意見を踏まえたうえで行う、というのがありますね。中立の意見まで形成したうえでそれでもなお自分はその立場を取るのか?という自問自答を繰り返しながら、なんとなぁくぼんやりとこの世界を渡り歩くんだろうなと思いつつ。
こんなスタンスでもよかったら、まだ仲良くしてやってください。
そうこうしてるうちにまた公式が動いたじゃないか…