「負けて悔しい。その一言です。」
「正直言って悔しい。
4回転を決めることができなかったのが悔しい。」
4回転を決めることができなかったのが悔しい。」
「いまの自分にとって悔しいという言葉が一番合っている。」
「『悔しい。絶対に勝ってやろう』と思った。」
「ぼくは心が広くないので悔しい。」
「情けない、悔しいという思いしかない。」
負けて悔しがるだけの王者なら・・・
我々はこうも心惹かれはしないのである。
やがて注がれる他者への深いまなざし・・・。
「でもハヴィエルがすごくいっぱい練習をしてきて、その結果が実ったというのは嬉しい。」
「彼はいつも『おめでとう、誇りに思うよ』とぼくに言ってくれていた。
ぼくもこの立場になって初めて、彼の気持ちがわかった。」
ぼくもこの立場になって初めて、彼の気持ちがわかった。」
「試合では負けてしまったけれど、その陰には、ずっと背中を押してくれている皆さんがいた。負けた悔しさとともに、しっかりと、皆さんが支えてくださっているというのを忘れないようにしたい。」
以前、「血を流しながら、にっこり笑おう」で終わる岡本太郎画伯の本を結弦くんにプレゼントし、
その後、中国杯で本当に結弦くんが「血を流しながら、にっこり笑ってしまった」ため激しく動揺し、
バルセロナまで生きた心地がしなかった・・・という話を書いたことがあった。
その後、中国杯で本当に結弦くんが「血を流しながら、にっこり笑ってしまった」ため激しく動揺し、
バルセロナまで生きた心地がしなかった・・・という話を書いたことがあった。
岡本太郎の話はまた改めて書きたいと思うのだが、結弦くんを見ていると、太郎の言葉が次々と思い浮かんでくるのである。
「人間は、必ずしも成功することが喜びであり、大事なのではない。
戦って、後に崩れる。
その絶望と憤りの中に、強烈な人生が彩られることもある。」
戦って、後に崩れる。
その絶望と憤りの中に、強烈な人生が彩られることもある。」
「俗に失敗は“成功のもと”という。
そんな功利的な計算ではなく、イバラの道に傷つくことが、また生きる喜びなのだ。通俗的な成功にいい気になってはならない。
むしろ“成功は失敗のもと”と逆にいいたい。
そのほうが、この人生のおもしろさを正確に言い当てている。」
そんな功利的な計算ではなく、イバラの道に傷つくことが、また生きる喜びなのだ。通俗的な成功にいい気になってはならない。
むしろ“成功は失敗のもと”と逆にいいたい。
そのほうが、この人生のおもしろさを正確に言い当てている。」
真の王者は敗者の哀しみを知る。いや、敗者の哀しみを知るからこそ、真の王者なのかもしれない。
「“優勝以外は負け”みたいなイメージをつけ続けていた。」
「“常に成功していなければいけない”みたいな、自分の中の『縛り』、というのがあった。」
「ずっと勝ち続けるのは不可能に近い・・・」
これから何度でも勝利を味わう絶対王者にとって、たまに味わう敗北はまた、スケート人生のスパイスのようなものである。ちょっぴりほろ苦さも加わって、大人のスケートへ・・・。
まだ妖精さんでいてほしい気持ちもあるけれど、これからまたどんな演技で我々を魅了してくれるのだろうか・・・。その成長が楽しみでならないのである。
※画像は動画からキャプチャーさせていただきました。
まだ妖精さんでいてほしい気持ちもあるけれど、これからまたどんな演技で我々を魅了してくれるのだろうか・・・。その成長が楽しみでならないのである。
※画像は動画からキャプチャーさせていただきました。