猛 毒 通 知 。 -5ページ目

猛 毒 通 知 。

うちの猛毒両親はレベル120。
私たちは蜘蛛の巣に引っかかった虫なのです。
あまりにも酷いのでメンタルクリニックで話を聞いてもらっています。
HSP妻とADHD夫が妻の実家で猛毒両親と対峙するブログ。

 

 

私と夫は1年前、

東京から北海道に移住した。

 

住まいは私の実家だ。

 

どうしてそうなったのかというと、

父の強引な誘いだった。

 

去年、

子供のいない私と夫が

子供のように愛していた

うさぎが12才で亡くなった。

 

12年も一緒にいたので

もう小学6年生を

亡くしたようなもの。

 

本当に精神的にダメージを受けた。

 

そんなとき、

父からLINEがきた。

 

『夏に1回遊びにおいで』

 

コロナの影響で

実家には何年も帰っていなかったし

夫はそれ以上

私の両親と顔を合わせていなかった。

 

傷心旅行のつもりで

1ヶ月実家に帰った。

 

出不精だったはずの父が

積極的にイベントに

私達を連れ出し

楽しくて涼しい夏を過ごした。

 

コロナでイベントにも

全くいかなくなったし

人が多いところにも

行かなくなった私達は

もう東京にいる意味がない

という話をしたら、

 

「だったらこっちに来ればいい。

南海トラフ巨大地震もくるし、

雪かきもそろそろしんどいから

手伝ってもらえるなら嬉しい」

 

と言われた。

 

一緒に暮らしていた頃は

もっと居心地が悪くて

息が詰まりそうだったはずだけど

15年も離れていたし

両親ともに年を取って

丸くなったのかな

 

そう思ったし、

夫も悪い気はしておらず

いずれ家を建てたいから

それまでの間

お金が貯まるまでの間

住ませてもらおうか。

 

そういうことになった。

 

そうと決まったあとの父の行動は

光の速さだ。

 

私達が東京に帰って

1週間後には

 

『仕事部屋に机を1つ作って

合計2つにしたぞ。

早く引っ越してこい』

 

という文とともに

写真が送られてきた。

 

今まで狭い部屋の地べたで

仕事をして

腰を悪くした私達にとって

 

とても仕事環境が

よくなりそうな予感がして、

 

早く移住したいね!

 

という思いで

いろいろ手配をして移住。

 

正直、

両親に少し近くなるという意味で

北海道ならどこでもよかったし

スポーツチームを

応援しているので

その拠点に住もうか

と話していたのだけど、

 

部屋を勝手に作られてしまっては

もう実家に移住しなければ

いけなくなってしまった。

 

やっぱりうちの父は

人が喜ぶDIYをしない。

 

その後も

 

『窓にはシートを貼って

すりガラスにしたぞ』

 

『寝室はこんな感じにしたぞ』

 

もう絶対に断れない雰囲気を

DIYしてきた。

 

男って卑怯だな……

 

そう思ったのは

私が2回目に結婚した

旦那さんに

プロポーズされたときと今回。

 

その話は

猛毒とはズレるので

ここでは触れないけれど

 

相手が断れない雰囲気に

持っていくのは卑怯だ。

 

今日も私達は

新居に必要なものを見に

家具屋さんなんかを回って

とても楽しい時間を過ごし、

 

夕飯の門限までに帰宅する。

17時。

 

小学生の時の門限よりも

早まったような気がする。

 

 

私と夫はフリーランスで

働いているので

納期に追われているときは

本当に仕事しかできない。

 

ご飯を食べる時間も惜しんで

仕事をしたいのだけど、

 

この夏

母の車を父が修理していた時期が

数ヶ月あった。

 

その間、

母は足がないので

父が車を出してくれるのかと

思いきや、

 

母の足は私だった。

 

年金が振り込まれる日、

 

「銀行と郵便局とスーパーと薬局に

連れて行ってくれる?」

 

と言われた。

 

その日は納期に追われていて

正直そんな時間は

なかったけれど、

 

そこで断ると優しくないなと思い

乗せていった。

 

断ったら

 

「毎日お世話してるのに」

 

と言われかねない。

 

そう言われたら

腹が立つので

イライラしそうなことは

事前に遠ざけなければならない。

 

それ、

父に頼めないのだろうか。

 

もとはといえば

父が母の車をいじっているから

母の足がなくなっているわけで

そのくらい

手伝ってあげても

いいのではないだろうか。

 

その日、

父は留守番として

リビングでテレビを見ていた。

 

結局その日は3時間を

仕事に使えず、

朝方まで仕事を進めた。

 

「今日は朝まで仕事するの?」

 

とか

 

「昨日朝までやってたの?」

 

とか

聞いてくる母にはうんざりした。

 

自分のせいで

とは考えていなさそう。

 

最近は車が使えるようになって

母も自由に出かけているので

私が足になることは

なくなったけれど

 

高齢者なので

いつかはそんな日が

またくるのかなと思うと

今から憂鬱だ。

 

 

私が高校1年生の頃の話。

 

こんな私にも

彼氏という存在ができた。

 

とはいっても、

当時は『ベル友』

流行っていた時代なので

ベルで知り合った人と

付き合っていただけだ。

 

少し離れていたので

毎日のように電話をしていた。

 

父は私にそういう

『ポケベル』『PHS』

のようなものは

一切持たせてくれなかったので

 

母に頼んで内緒で買ってもらった

ポケベルだった。

 

ピッチもこの頃

父に内緒で買ってもらったが

代金が怖いので

多用はしていなかった。

 

最初はベルだけだったので

友達から

 

「ナニシテル?」

 

とくれば

自転車を漕いで

近所のスーパーにある

公衆電話まで行き

返事を返していた。

 

今考えれば

プライベートの時間を

奪われ始めたのは

ポケベルのせいだったな。

 

ここから

繋がっていないと不安

という女子学生が

生まれたのでしょう。

 

ピッチを持ってはいたけれど

父に内緒で持っていたので

電話をするときは

家の電話を使っていた。

 

ある日、

彼氏と家の電話で

話していたときのこと。

 

我が家は家電でもなんでも

便利で新たしいものが出ても

買い替えないでださい工夫をする。

 

その頃我が家で使っていた

いえでんは、

リビングに電話機がひとつ。

 

祖母の部屋に子機がひとつ。

 

そして

2階の父の書斎に

前に使っていた電話機がひとつ。

 

この2つは

同時に受話器を上げた状態だと

三者通話ができるみたいなものだった。

 

そういう仕様ではないが

ださい工夫がそうさせた。

 

上で彼氏と電話をしていた。

結構長く話してしまっていたけれど、

相手もちょっと

変わった人で、

無言でも切らずに

なんとなく繋いでいた電話。

 

そのとき

 

がちゃ

 

と下の受話器を上げた音がした。

 

電話をしようと思ったら

上で使ってた

 

というよくある事象とは

少し違うっぽい。

 

下で上げられた受話器が

いつまでたっても下ろされず、

人間の吐息だけ聞こえた。

 

父が盗聴していたのだ。

 

今までも無言だった私達だが

そんな状態で

話ができるわけもなく、

しばらく全員が無言だった。

 

それから下の受話器が置かれ、

私達も電話を切った。

 

下に行くと、

 

「何も話さないなら切りなさい!

何やってんだ!」

 

と怒られた。

 

怒りたいのはこちらだ。

年頃の娘の

彼氏との会話を盗聴する父親が

どこにいる。

 

今でもこれを思い出すと

うちの父親って気持ちが悪いなと思う。