身の回りのコミュニティが次々と解散していく人間は、おそらく自分の誕生日を尋ねられることもなく
そしてもちろん祝ってもらうこともないのだろう。
人が離れていくきっかけを作っているのは自分なのだから当然である。
そこに自覚して反省するようなら次々と嫌われることはないのだから、繰り返し縁を切られる。
悪循環から抜け出す術を知らないのか、もしくはそれ以上に本人にとって重要なものに執着しているのか、全く理解に及ばないが。
誕生日を祝われない人間というのは生きている目的や意味について考えることもないのかもしれない。
生きがいや夢といったものも抱いてないのかもしれない。
野望という形で復讐心や攻撃性を持つことにはなるかもしれない。
さみしい、かなしい、という感情から逃げるために人を攻撃する。
そうすることでしか自分を守れない。
自分の非を認めることが怖くて仕方ない。
そんな哀れな人間、人から嫌われるのが当然である。
どうにか人を引きつけようと嘘をついて自分を大きく見せたがる。
一時の優越感に満足して、嘘という自覚も持たなくなる。
すぐに嘘はバレて嫌われる。
ここに被害者意識を持って相手を攻撃するようになる。
精神年齢としては4歳児くらいだろう。
4歳児でももっと大人な子もたくさんいるから先天的なものなのかもしれないし、
環境が人を育てる意味では後天的なものかもしれない。
僕もまた、そういった人間は大嫌いだ。
実際にそういった人間に抱く感情は「死ねばいいのに」の一言。
それは相手の苦しみを望む意味ではなく、迷惑を被る人々をなくすために。
生きていても社会の役にも立たないし、人に迷惑かけるだけで生きてる価値のない人間。
死んだとしても葬式に誰も来ないんだろうな。
そんな風に言い放たれてしまうようなクズは確かにこの世に存在する。
人権だとか倫理観だとかはまずおいておいて、
歩道に停められた放置自転車のように邪魔だなと思う。ゴミ同様に近寄りたくない。
そんなゴミのような人間はいずれ犯罪を起こすだろう。
小さな犯罪からエスカレートして大きな犯罪へと発展するのだろう。
社会的に必要とされない=無職となり生活に苦しむ中で窃盗や詐欺を働く。
更に承認欲求を満たすために新聞に載るような犯罪に走ることもあるだろう。
このバッドエンドの物語の途中までシナリオ通りに進んできている知人がいる。
執拗な嫌がらせ、目的不明の攻撃が続いている。
僕だけでなく共通の知人にも同じように嫌がらせをしているらしい。
当たり前だが僕が知りうる範囲でのコミュニティは全て解散し、ゴミは誰からも好かれていない。
視界に入れるのも残念な詐欺師。
数年以内に逮捕されるだろうと踏んでいる。
短いスパンで人間を騙し、そして嫌われて一人になり、を人生ずっと繰り返してきたのだろう。
よく懲りないなと感心するほどだ。異常者の思考回路は理解できなくて当然か。
刑務所に入っても出てくればまた繰り返すだろう。
自分は絶対に悪くないという信念を貫き通して悪事を働くのだろう。
ゴミを育て上げてしまった母親はおかしなカルト宗教に入り込んでいる。
そうなるのも仕方ないかもしれない。一番つらいのは母親なのだろう。
現実逃避することでしか救われないのだろう。
ゴミを目の前にすると僕は自分がいかに恵まれていて幸せなのか再認識する。
決して気持ちのいいものではないが、どう落ちぶれてもこうだけはなりたくないと思える。
ゴミはゴミ箱の中で、回収される日を大人しく待ってほしい。
