先日ティックトックの上げた『いじめる側にも問題がる』という動画ですが、今回もそのコメントに言及していきます。
いじめる側に対する言及や指摘が世間であまりにも少ないという現状がある為にこのような動画を上げた意図があったのですが、それでもいじめられる側に問題があるというコメントがいくつかありました。
いじめられる原因・問題・理由、解釈によって言い方は様々な言い方ありますが、だからと言っていじめをしていいわけではないですよね。どうしてもいじめられる側に不快感が出るよな人柄や態度があるとしたらそれをはっきりと本人に伝えればいいと思います。もしくは関わらないようにする事。前のブログでも言いましたが、関わりたくない人に対して無視をする事は必ずしもいじめになるとは限らず、それをいじめとして相手が主張してきたらそれは相手の取り方であり、もし無視をしたことでいじめになるとしても成立は難しい面もあるかと思います。
問題はいじめの意識があるかどうかです。相手と関わりたくないから無視をするのとは違い、相手を陥れてやろうとする意識を持って無視はいじめとして成立する事になると思います。そしてその無視を個人的にやるだけじゃなしに周りの人々に無視の共有を求めるのだとしたら、悪質ないじめになる事になるでしょう。
さらにいじめにはもう一つあり、積極的・攻撃的ないじめもあると思います。関わりたくないではなく、罵声や怒号を浴びせさせる、嫌がらせをする、そして暴力を振るうなどのいじめに発展すると、そこまで行くといじめられる側の問題ではなく、完全にいじめる側の問題、いじめる側の心の持ちようの問題になるのです。
しかし社会的に見ても、いじめる側の問題点の指摘や言及、検証などをする機会が余りにも少ないです。そしてそれをいじめた側への本人たちに伝える事もなくそのまま何もない状態で終わってしまう事も多いのではないでしょうか。
ただ、いじめをした人々というのは基本的に他人の立場や心をあまり考えないまま大人として成長すると思われますが、その事を自覚しないまま社会に出ると心の中で蓄積していた他人の立場を考えない事が、パワハラやカスハラ・セクハラ・DV、迷惑行為にも発展する事によって社会的地位を危ぶまれる事も多くなってきてる兆候もありますね。
他人の立場や気持ちをろくに考えない事で社会的地位を追われることのないようにするためにも、子供のうちからいじめをする側にも問題があるんだという点において、もっと指摘や言及が社会的に多くなることが必要だと思われます。