ディズニーギャラリーのクローズに思うこと | ママで英語講師の、一人ディズニーログ。

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2人の娘のママです。時々英語講師です。ディズニー大好き。スターウォーズも大好き。
娘たちはおうち英語っ子。オンラインも英語教室もなし。お金をかけずにどこまでやれるか挑戦中。

昨日、衝撃冷めやらぬままディズニーギャラリー、ドローイングクラスのクローズについて投稿しました。


ニュース発表直後は「年パス買うことにしててよかったあせる沢山通おう!」くらいに思ってました。


でも、なんだろう気持ち。


この気持ちはどこからくるのだろう。


この殺伐としたこの気持ち。


お風呂につかりながら考えに考えた結果、一つの結論に達しました。共感いただけるかはわからないけど、そして長くなるけど書いてみようと思います。


結論。
私が悲しいのは、OLCが「親切」すぎるから。


はい、皮肉です。


そもそも、私がパークを好きなのは、大好きなディズニーの世界に実際に入り込めて、自分もその登場人物の1人になり、その世界を「体験」することができるから。


そこに私にとってのパークの意義があったんです。


そういう意味ではディズニーギャラリーの代わりにオープンする「ビビディ…」は完璧なプリンセスに変身させてもらえて、それこそ願ったり叶ったりのように思えますが、私にとってそう単純ではなく…


この気持ち、ドラゴンクエストが回を重ねて世界観が詳細に描かれるようになる度に、それに反比例するようにワクワク感が減っていったのに似ています。(と言ってもドラクエ大好きです。念のため。)


当初のドラクエはドット画と呼ばれる粗い描き方で、キャラクターの表情も服装も街の雰囲気も知ることができませんでした。


そのため、プレイヤーが好き勝手に想像できたのです。これは、プレイヤーの数だけオリジナルのドラクエがあるのと同じです。


それが、続編が出る度にビジュアルが美しくなり、キャラが詳細なセリフを言い、結果主人公の表情も伝説の武器の様子もプレイヤーが想像する必要がなくなってきました。


想像の余地が減る。それは私にとってドラクエがパッケージの中にある「それ以上でも、それ以下でもないもの」になってしまったということです。


更に皮肉なことに、詳細なビジュアルを親切にも与えられた結果、それが「あの世界の続きをこの目で見てみたい!」というプレイへの欲求を低下させることになってしまった。


その反省があるのかはわかりませんが、最新作のドラクエ11では、なんと改めてドット画でも遊べるような選択肢もできました。これはすごく画期的なことだと思います。


さて、どうして長々とドラクエの話をしたのか。


それは、プレイヤーの「もっと見たい、より本物に近い体験をしたい」という希望を言葉のままにうけ、親切すぎるほど完璧に近いものを提供しようとしてつまらなくなったドラクエと、至れり尽くせりで完璧なプリンセスをつくるビビディを増やそうとするOLCの行く末に同じ匂いを感じるから。


ビビディ・バビディ・ブティックはそのサービスのよさ、ドレスやヘアメークのクオリティから、ほぼ完璧なプリンセスを作り上げてくれます。女の子たちはドレスを着て魔法をかけてもらい、物語の中にスムーズに入っていくことでしょう。


一方、ディズニーギャラリーのアート鑑賞やドローイングクラスでの体験は、何かをキャストにやってもらう「受け身」の経験ではなく、自分がこちら側から積極的に関わる体験です。


ドローイングではキャストのお手本のように完璧には描けないかもしれません。
アートも自分でめくってみたり鑑賞しようとしないと目に入ってこないかもしれません。


でも、そうして関わることでその体験は他の誰のものとも違う自分オリジナルのもになる。


それが本当の意味で「その世界の中でその世界を体験する」ということなのでは?


そして、その体験はキャストが手を取り足を取り親切に与えてくれる完璧なものとはちがい、未完成であるがゆえに、「また来たい」「もっと深く体験したい」という次への期待につながると思うのです。


決してビビディ…を否定してるわけではありません。我が家の娘たちもプリンセスになるのは大好きです。より完璧に近いプリンセスになりたい。その希望を叶える施設があっていいと思います。


でも、予約困難とはいえ既に一つ存在するビビディを更に増やし、ディズニーギャラリーを閉鎖するOLCのやり方には、私たちゲストが自分たちで積極的に「体験」し、ディズニーの世界を楽しむことができるというポテンシャルを信じず、ウォルトが大事にしたイマジネーションの価値に重きをおくことを辞めるOLCの方向性を見た気がします。


OLCは「親切」すぎる。
もっと、ゲストが自分勝手に想像し楽しめる余地を残しておいてほしい。
その「未完成の満足感」がきっと「また行きたい」につながると思うから。