おばあちゃんちで不思議体験 3 (2の続きです) | この世界の本当のこと★ぽいきブログ

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続きです(*´˘`*)♡

 

ちょっと霊体験的な話になりますので、苦手な方は、スルーしてくださいね♪

 

(^^*

 

 

その日は、無事に妹と二人で二階に上がって、眠ることができました。

(その時親戚のお姉ちゃんには、話したのか話さなかったのか・・・ちょっと忘れてしまいました。お姉ちゃんは当時、「何かそういうことがあっても私には話さなんといてー!」と言ってた気がするので、黙っていたのかもしれません。)

 

ところが。

 

夜寝ていたら、なんだか体が動かないんです。おかしいなと思って目が覚めたら、金縛り状態。

 

あれあれあれ???

 

そして、ふと見たら、私の右側にちょこんと、その女の子が座ってるんです。

 

あれーーー?!まだ居たーーー!!

 

これには本当にびっくりしました。しかも体が動かないので、ちょっとドキドキです。

 

妹と親戚のお姉ちゃんは、もう一つ隣の部屋で寝ていたので、この部屋には私一人です。

(当時高校生だった私は、深夜のテレビ番組などに興味がなくて、結構早寝だったんです。夜10時からのテレビが始まる音がしたら、もう布団に入っていました。でも、妹とお姉ちゃんは夜の番組を見るので起きていて、そのため私だけテレビのない部屋で寝て、妹とお姉ちゃんはテレビのある部屋で寝ていました。)

 

仰向けで膝を立てて寝ていた私の横から、覗き込んだりいろいろしていた女の子は、次に私の足元に回って、なにか固くて角のある大きなものを、私の右足にギューッと押し当ててきました。

 

スネのあたりが痛くて、あ、痛いよ痛いよ!と思いながら見てみたら(今思うと、仰向けで金縛りになっていたのに、どうやって足元が見えたのか不思議です。幽体離脱してたのかな?)、その当時大切に使っていた『ラジカセ』、ダブルデッキと言われる、カセットを入れるポケットが二つついている、横幅50センチくらいある持ち運びできるものがあったんですが、それが宙に浮いて、私の右足のすねの部分をギューッと押しているんです。

 

その横に小さい女の子。ニコッと笑っています。

 

その子がラジカセに手を添えていたので、持ち上げているようにも見えましたが、体のサイズから言って、小さな女の子が軽々と持てるものではないので、宙に浮いている、というように見えました。

 

なんだろう、遊んで欲しいのかな。

 

でも痛いからやめてーー

 

そう思ってしばらく過ごしていたら、スーッと楽になって、何事もなかったかのように朝を迎えました。

 

ラジカセは?!と思ってみたら、もともと置いてあった枕元のところに、ちょん、と置いてありました。

 

夢だったのかな、なんだったのかな・・・そう思いながらも、親戚のお姉ちゃんや妹をもう怖がらせないようにと思って、そのままそのことは黙って学校に行きました。(多分。このへんちょっと記憶が曖昧です。妹には話したかな・・・?妹、どうだった・・・?)

 

そして、学校で部活も終わり、朝のことも忘れて帰ってきて、また二階に上がります。

 

トントントン、と階段を登って行く途中で、また「おや~?!?!」と、不思議に気付きます。

また手すりと反対側を登っている自分がいます。

 

そして・・・、

 

そうなんです、また上から五段目あたりまで登ってくると・・・、やっぱりまだあの子が居ました。

 

 

ちょこんと、同じ角度で、同じ服装で、同じ髪型で座っています。

 

むむむ・・・。まだ居る。

 

これはどうしたものかな。

 

ちょっと悩んで、やはりこれはおばあちゃんに、もう1度伝えることにしました。

 

その間、1階にあるトイレに行ったりお菓子を食べに降りたり、数回階段を上り下りをしました。

降りるときも登るときも居ました。

もはや私の中で、座っているのが当たり前になってきています。

怖くもなくなってきてました。

 

ところがです。

 

いままで、こうした不思議なことがあった時に、おばあちゃんに感知できなかったものは1つもなかったのですが今回だけは、おばあちゃんには見えないのです。

 

階段を一緒に見てもらっても、おばあちゃんが居るときにはその子は現れません。

一緒に登って降りて、をしてもらっても、現れません。

 

なので、誰もいないね、ということになります。

 

でも、妹にも見えたし、私は何度も見ています。

 

おかしいなあ、どうしたのかあな。

 

でも、これにもおばあちゃんはまったく普通、という反応です。

「小さい子やったんやったら、あんたら子供にだけ会いに来やったんやろ。また来やったらそっとしといたったら大丈夫や(^^*」

そう言って、晩ご飯の支度を続けます。

 

そんな感じで、数日の間その子は、その階段に座っていたり、私が寝ている時に部屋に来てちょこちょこ動き回ったりしていました。

 

私はその度、ちょっと金縛りにあったり、いろいろしながら過ごしましたが、しばらくすると居なくなって、そうすると不思議なことに、思い出すこともなくなったのでした。

 

 

今になって振り返ってみて、もしあの子が「座敷わらし」的な子だったのだったら、何かいいことあったかな・・・?と思ってみたら。

 

そういえば、あれから1年間くらいの間に、私にとっては嬉しいことが結構立て続けにやってきていました。

 

小さい頃から、とにかく学校に馴染むということが難しかった私は、この1年間が1番、学校生活というものが楽しくてウキウキと過ごすことができていました。


友達も沢山出来て、部活も楽しくて、お勉強も割としっかり出来て、健康で、何か困ることも特になくて。

 

そういう生活がすごく理想で憧れていたので、本当に幸せな1年間でした。

 

 

 

そして、そういえば!と思ったことがもうひとつ。

 

私は高2の途中で転校して、2つ目の高校に行きました。

 

1つ目は進学校で、結構受験用の勉強をバリバリやっていました。

でも2つ目は、割とゆったりした学校で、進学する人も少なくて、ほとんどが就職、残りの人は専門学校へ、という感じだったので、受験というようなものが意識されていない学校でした。

 

なので、私もどうしようかなーと、ぼんやり感じていましたが、特に何も考えすに3年生になりました。

 

そしたらある日現国の先生がやってきて、生徒指導室に呼ばれ、伝えられたことがありました。

 

それは、

実はうちの学校に、急にある女子大から1枠だけ、国文科の推薦の枠をもらえた。

特別に貰うことができた枠だ。

その枠に、1人だけ推薦できる。

君は転校してきたので、他校の学力で入ってきたため、うちの学校の中では1番推薦に近い場所にいる。

どうだろうか。

 

という、降ってわいたような、ありがたいお話だったのです。

 

それで、その推薦をありがたく受けさせていただきました。

 

一応学内選考があったようですが、それも無事にパスして、「小論文のみ」という簡単な試験を受けさせていただきました。

 

その「小論文」も、

 

「恩師に、大学合格のお礼の手紙を書きなさい」

 

という内容で、私はその頃文通マニアで、しかも文学少女だったので、毎日何通もちょっと古風な手紙を書いては文通仲間に送っていた流れから、スラスラと書かせていただくことができました。

 

「拝啓 ○○先生(もちろん推薦を押してくださった現国の先生宛)

 

春の日差しが暖かくなってまいりました。○○先生にはいかがお過ごしでしょうか。

 

などなどなどなど

 

敬具」

 

というような、お手紙を書きました。

 

 

大学受験の小論文て、こんな内容でよかったのかな・・・と、ちょっと不安に思いつつ数日過ごしました。

 

でも、ありがたいことに無事合格。その大学に、通わせていただくことができました。

 

 

四年制の大学受験、といえば、1年くらい前から準備をしたり、3年生の夏くらいからは部活もやめて本格的に予備校に行ったりして、本当に大変だと聞いています。


でも私は一切そういうことをしないで、「受験勉強」というものを体験しないまま大学に合格させていただけましたので、本当にありがたい恩恵をいただけたんだなあ、不思議なことだったなあと、当時もよく思ったものでした。

 

この本当に不思議で、するすると流れるようにやってきたお話は、この小さな座敷わらしちゃんのおかげだったのかな・・・?と、今思っています。

 

 

 

(^^*