【久慈に着いたその夜】不思議だけどほんわかした体験 | 平田真実のブログ

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南米パラグアイから昭和レシピチャンネルを発信する平田真実の個人的ブログ。
昔の思い出話、グルメ、格闘技、ペット、家族、教会、会社、放射能被曝問題のことまで徒然なるままに・・・何のブログだろう?と雑多過ぎる内容ですが、これが私です(笑)

6月24日、盛岡では2年前に亡くなった義兄(妻のお兄さん)の遺骨の引き取り式に私たち夫婦も参加させていただきました。
医療の発展のために自身の体を大学病院の献体に提供していました。
お義兄さんには本当にお世話になりました。
私が結婚した当時は、お義兄さんはまだアフリカでボランティア活動をされていました。
日本に帰国されてご結婚なさるときには盛岡の式場で私が司式を務めさせていただきました。
ボリュームたっぷりで美味しいうに丼や魚料理、ラーメン、お蕎麦などいろいろお店に連れて行ってくれたり、久慈のいろんなところを見せていただきました。


私の両親が一緒に帰省した折には温泉にも連れて行っていただきました。
一時間以上かかる八戸駅へも車で送迎してくれたり、思い出は尽きません。
ほんとうに心からおもてなしをしてくださる性格の温和なお義兄さんでした。


そんなお義兄さんが帰ってくるのに合わせたわけではないですが、私たちが日本へタイミング良く戻ってこれたのはほんと良かったです。
7月に葬儀と納骨を行う予定でその日お骨は久慈にある実家のお仏壇の前に運ばれ安置。


私たち夫婦は盛岡に少し滞在して6月29日に久慈へ移動しました。

動画はこちら↓

山には霧がかかって幻想的な日でした。
夜、お義兄さんが自分で建てた離れの部屋で寝かせてもらいました。

お義兄さんは電気工事士で建築も何でもできる人でした。
部屋にはパラグアイで私が撮影したパラグアイ川の写真がお義兄さん自慢のステレオの上に飾ってありました。


電気を消して寝ていると妻が私を起こします。
「見て見て」と。
何?と起きてみると暗闇の中に光る蛍が飛んでいるではないですか?
妻の話では最初入り口から飛んできてステレオのあたりに止まり、そこからまた移動しているそうで、私も見た時は確かに点滅した光が動いていました。
捕まえて外に逃がしてあげないと朝には死んでしまう。


ということで私が光の方へ近づき妻が電気を点けると同時に捕まえることにしました。
飛んでいるのをうまく捕まえられるだろうか?
光の位置を確かめ、せーのーで捕まえようとしました。
明かりが点き、私は光るあたりを手で覆いかぶせました。


そしたらなんと私が手に触ったのは私の携帯電話でした。
蛍の光と思ったのは携帯電話の点滅する緑の光でした。
蛍はどこにもいません。
しかし、携帯電話だったら移動するはずがありません。
いったい何だったのでしょう?
私一人や妻だけが見たのなら何かの錯覚、間違いということもあるでしょうけれど、2人で見たので確かです。
そのとき私はすぐに感じました。
ああ、お義兄さんだ。
帰省する度に、私たちによくしてくれ、あれもこれも見せようとしてくれたお義兄さんが今回もせめて蛍の光をと見せてくれたのだとほんわか温かい気持ちになりました。

 

今回の久慈滞在中にはほかに鹿やヘビ、狸にツキノワグマ、私たちの車の前を案内するようにしてずっと飛んでいたセキレイ、ほか何度も訪れていたにもかかわらず今まで見たことのない珍しいものをみせてもらいました。

虹や満天の星に流れ星など美しい風景も。

もしかしたらお義兄さんが見せてくれたのでしょうか?



久慈にある美味しいパンのお店。
お義兄さんは亡くなる最後の時、ここのパンが食べたいと食べたそうで、今回そのパンを食べてみました。
確かにほんと美味しかったです。

私が最後にお義兄さんに会った7年前の冬、連れていってもらったラーメン屋さん。

 

亡くなる直前に誰に会いたいかと聞かれた時にお義兄さんが答えたのは私の妻、つまり妹でした。

しかしその時、パラグアイにいてチケットを調べましたが間に合いそうもなくそれは叶いませんでした。

 

今回の亡くなった人がこの世の人に影響を与えるというような話はキリスト教的にはまずない話です。

佛教的にはどうなのでしょう?

今度、お坊さんの友達に尋ねてみたいと思います。

しかし、私も神学校でプロテスタントの神学を学びましたが、それが100%正しいのではないとつくづく最近思うようになりました。

人の心に寄り添う神様。

神学校の後輩たちよ。

頭でっかちになって何かを忘れていないかい?

神学よりも大事なことがある。

そう私は思うのです。