日本人は昔から和を重んじる国民性があるため、何か議論や討論というと避けたい風潮があるように思います。
みんなに合わせておけばとりあえずいいや、って感じで少しおかしいと思ったことでも気にしないようにする。
でもそれじゃあ問題を避けて通るだけで解決にならないのですよね。
和を重んじて衝突を避けようというのは一つの逃げだと思います。
新約聖書とかでも福音書はキリストと弟子たちや、反対者との問答、そしてパウロ書簡もパウロが教会の問題を解決するべく送ったあれやこれやの考えを記した手紙が中心の内容になっています。
私も、無用な衝突はできるだけ避けて通りたいとは思いますが、議論好きなほうだと思います。
幼い頃、従兄弟が理屈っぽくて自分で「屁理屈の王様」と呼んでいました。
母親と喧嘩して家を追い出されたとき、「もうご飯を食うな」と言われて「ああ、食わんよ」と出て行った後、夜中に二階の窓から入ってきてお腹が空いたのでパンを食べてたら見つかって「ご飯は食わないって言っただろ」と言われて「ああだからパンを食ってるんや」と。
「なんやその屁理屈は?」
「俺は屁理屈の王様や」
って、半世紀以上経った今でもその時の記憶よく覚えています。
その従兄弟にはよく遊んでもらいました。
また学校の勉強というより、地頭が良かったので、いろいろ学びました。
多湖輝の頭の体操という本を教えてもらって私も読みました。
またシャーロックホームズなどの推理小説もよく読んだものです。
それで、学校でも人とはちょっと違った思考で物を考えるようになり、私は変わった奴だと思われるようになりました。
反骨精神が育ち、クラス全員が賛成することでも一人だけ反対に手を挙げたりもしました。
もう一つ、影響を受けたのは教会の先生でした。
私が幼い頃から通っていた大阪ホーリネス教会は、福音派の中でもちょっと変わっていて社会的な面でも証しをたてていたのではないかと思います。
信仰に対してもとことん反抗しました。
そして、311があってからこれまでの世界観も大きく変わり、政府やマスコミに対しても不信感が募り、今日に至るというわけです。
負けず嫌いの性格もあって議論では絶対負けないつもりです。
でもただ頭が良かったり、力が強ければよいというのではいけないと思います。
そういう中で、NOTEに人と議論するときに気をつけなければならないことをまとめてみました。
これはいろんなテーマにも当てはまることではないかと思います。
この前後に具体例を挙げた有料記事も前半、後半にわけて書きましたのでそちらもよければお読みください。
既に購入してくださった方がいて嬉しいです。
少しでも世界がよくなるように、私たちは議論をしましょう。
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