91話 ビギナーコーナー①

 

ハイレベルなセッションデーは、その後もセットメンバーを変更しながら続いて行き、いつまでもお呼びの掛からなかった僕は、テーブルでジャガとの会話で盛り上がっていた。

確かにこの日の目的はセッション演奏への参加ではあったものの、こういったお店での出会いなんて、リストラ続きの会社の同僚との飲み会などでは決して味わえないものだ。

それは、久しぶりのわくわくとした楽しい時間だった。

 

あまりに僕だけを褒めそやすジャガに、僕の方も負けじとテンションを上げて言葉を返した。

「いやぁ、そんな。ジャガさんも良かったですって。本当に。ははは」

自分の音についての自虐的な話を陽気にしゃべり続けるこのジャガに、気がつけばさっきまで落ち込んでいた僕の方が、すっかり慰める側にまわらされていた。

 

するとジャガは、今度は襟を正したように言う。

「さて、自己紹介は終わったところで。俺はね、広瀬さん、情報だけは結構ありますからね。この店もだけどBar系の『セッション情報』は、これからなんでも聞いて下さいよ。ね?演奏力自体は、あんなもんですけど。ね?」
それは驚くような展開だった。どうやら彼は、僕の「お世話役」になってくれるという事のようだ。

聞けば「ジャガ」はプロミュージシャン志望。音大出のため譜面に強い一方、感覚で演奏するような事が苦手らしく、そういった面を鍛えるためにと、畑の違うブルースセッションに足繁く顔を出していたのだった。

その後のステージでのセッションは、全てジャガなりの「セッションの見方」を、僕に熱く解説してくれながらの、実に愉快でためになるものになって行った。

 

「彼ね、今演奏してるギター・ボーカルの人ね。あの人は完全にエリック・クラプトンひと筋なんですよ。なので、吹きモノ(ハーモニカやサックス)には冷たくてね。とにかくギター・バトルばっかり。特に相手がB.B.キングみたいなギターなら、もう大喜び。ホントにもう5コーラス(歌のひとかたまり=1コーラス)、6コーラスと平気で弾き倒しちゃう」
ジャガの解説はテンポが良く、僕は講談でも聞くかのように、どんどん引き込まれて行った。
「ほら、ね?見ました今の。あれね、あのドラムの人のやり口なんですよ。今のなんておかしいでしょう。なんで、あのタイミングで、リズムチェンジするんだ?って、誰だって思うじゃないですか。あれね、メッセージなんですよ、自己主張。『俺様もいるぞ、お前らのバックに退屈してるぞ』ってなもんなんですよ」

僕はそれからのジャガの解説で、セッションも所詮は会社などの集団とそう変わらない、共同作業をする際の人間関係なのだと理解するようになった。

そう考えると僕がされた意地悪なんて、会社でも良く古株から新入社員がされる洗礼のようなものだし、そもそもブルースにもハーモニカにも全く関係のない部分だった。もちろん僕の方だって落ち込む必要もないし、酒の席でよくある嫌な思いをさせられた新参者というだけだったのだ。

 

そんな時、ステージ上のマスターから、ようやく僕にも演奏のお声が掛かった。けれど残念な事に、それは「ビギナー・コーナー」でのセットメンバーとしてだった。

特にその日は腕利きが集まっていたようなので、まだ音すら出せていない僕を「おそらくまだビギナーなのだろう」と判断したのは、セッションの組み合わせを考える司会としては仕方がない事なのかもしれない。けれど、さすがに僕だってそれなりの年季がある訳なので、かなり傷つく部分はあった。

 

ここで急にジャガが大げさに声を上げた。

「マスター!マスター!あのぅ~、実はぁ~、一生のお願いがありまして」
ジャガはまるで揉み手をするような仕草で、ステージにいるマスターの元へと掛け寄って行った。

2人して何やら話しているようだったけれど、マスターが僕の方を見て「うんうん」とうなずいているのが見えた。

それから、ジャガは一旦僕のいるテーブルへと戻り、ニカっと大きく微笑み言った。

「じゃあ、行きましょう!!広瀬さん」

驚いた事に、なんのつもりなのか、ジャガは僕と演奏をしたいので「ビギナー・コーナー」に参加したいとマスターにお願いをして来たのだった。

マスターもすぐに了解し、僕とジャガは一緒にビギナー・コーナーのステージへと上がる事になった。

僕は少々戸惑っていた。ジャガが僕を気に入ってくれ、共に音を出したいというのは分かるけれど、これは行き過ぎのようにも感じる。ジャガの演奏は印象こそ地味とはいえ、僕以上にビギナーなどでは決して無いはずなのだから。

ビギナー・コーナーで呼ばれたメンバーは次々にステージへと上がって行き、その中にサックスを構え陣取ったジャガが、まるで子供がするように僕に大きく手招きをしている。

仕方なく、僕はとりあえずステージ上へと向かった。


程なくして「ビギナー・コーナー」ならではの、グダグダな打ち合わせが幕を開ける。

まず、ギター・ボーカルを担当する参加者がこのセットでのリーダーという事で、他のメンバーに指示を出し始めるのだけれど、それは他の参加者達の手慣れたものとは明らかに異なり、実に人を不安にさせる物言いの数々だった。

「えーと、KeyはEのスローなんですけど、まず、ギターソロから始まるんです。私が聴いてたバージョンが『オーティス・ラッシュ』で、彼のCDがそうなってたんで」

すぐにキーボードを担当する別のメンバーが気遣い無しに言葉をかぶせる。
「あーっ、あーっ、出てます?マイク、これ出てます。これ?あーっ、入ってます?」

どうやらキーボードを弾きながらコーラスでも参加したいようで、ボーカル以上に大きな声を張り上げている。

さらに、もうひとりギターで参加するメンバーが加わり、その人の参加によりせっかくのホストメンバーのギタリストはステージを降りていた。この参加者もまた負けじと自己主張を重ねて来る。
「ちょっと、待って下さいよ。まだアンプの方がね。すいません、このボリュームなんですか?あれ?なんだろう、エフェクターの電池切れかな?どうしよう。すみません、お店で電池って売ってませんか?ねぇ、ちょっと、マスター!!」

誰もが無駄に大声を出しながら、同時に楽器の音も出し続けている。お互いに話を聞こうとしない一方的な言葉の重なり合いのまま、すでに5分近くが経過してしまっていた。

これが本当に大人の集まりなのだろうか。まるで僕が高校の同級生達と初めてスタジオに入った時みたいな有様ではないか。

 

時折ハウリングすら混じる雑然とした打ち合わせの中、ジャガはその誰の声も聞かず、絶えず僕に顔を寄せ話し続けていた。
「とにかく、サックスは単音でロングトーンで薄く引っ張るか、ベースラインを頭だけなぞるような感じにしますんで、広瀬さんはガンガン、ハープで自由にオブリガードをかまして下さいよ!!ね!!」

僕は場の気まずさから、若干はビギナーメンバー達との打ち合わせに耳を傾けているように振る舞いながら、ジャガに小声で言葉を返していた。
「いやぁ、そんなに気を遣わないで下さい。オブリパートも分けましょうよ。1コーラス目と2コーラス目で、ハーモニカとサックスとで交代するとかで。それに他の人だって、オブリをやりたいかもしれないし」

それでもジャガは他のメンバーなど全くの無視で、僕にだけ言葉を返し続ける。
「いやいや、このメンバーでは無理でしょうね。広瀬さんがひとりでやって下さいって。俺は近くでハープを聴く為に来たんだから。お願いしますよ!!ね!!」

ジャガの押しは強く、にこやかな笑顔で僕を説得し続ける。

そしてどうにかこうにか、セッション演奏がスタートする。

リーダーの不慣れなカウントの後、何度かのイントロのやり直しの末、ベースとドラムとがプロのホスト・バンドだったおかげで曲自体はなんとか始める事ができたものの、それは想像を遥かに超える、聴くに耐えないほどの低レベルな演奏だった。

それでいて「自分達とホストメンバーの何が違うの?」と言わんばかりの、自信満々な態度や身振りが誰からも見て取れていた。楽器の音量だって馬鹿げて大きく、真似をしたいミュージシャンのフレーズをつなぎ合わせただけの異様なメロディーが、頭から最後までまるで噛み合わないタイミングで繰り広げられて行く。

もうこうなるとオブリパートがジャガのサックスか、僕のハーモニカかなんてレベルではなかった。「正直、このセットには関わりたくは無い」という気持ちが、自然に表情にまで出てしまうほどの嫌悪感だ。

ビギナー・メンバーのひとりがバツの字に手をふって、何度も「最初からやり直そう」と合図するものの、ホスト・メンバー達は耳を貸さず、半ば強制的にそのまま演奏を続けさせようとする。ここでやめたら、またこれを最初からくり返すのに付き合わされるからだ。

 

僕は、最初のセッションと同じく、自分の持って来たハーモニカ専用マイクこそアンプにつないではいたものの、前とは別の理由でいつまでも音を出せずにいた。もはやひとつでも音を追加する事が、よりひどい結果になると思えていたからだ。

たかだか数分ほどが過ぎただけだというのに、僕はすっかり疲れ果てていた。今が一体何コーラス目なのかも解らなくなるほどだった。

そして自分がそう感じているのと同じ様に、自分も同じレベルの演奏者として十把一絡げに見られているという事が、絶望的に悲しかった。

そんな誰もがお互いに敬意を払おうとはしない状況の中、ただ一人サックス吹きのジャガだけが、僕に愛のある視線を送り続けていた。
当時の未熟な僕は、この不思議な男から学ぶ事になるのだった。

音楽は、どの段階からでも、立て直す事が出来るのだと。

 

つづく

 

☆私、広瀬哲哉が配信するハーモニカの娯楽番組「ハモニカフェ」もお楽しみ下さいませ♫

(この配信回で、物語に登場する「セッション」について解説しています)