89話 ハイレベルなセッション③

 

「君、どう?大丈夫?」と僕に聞いて来たギター・ボーカルの参加者は、常連さん風の振る舞いを見せる中年男性で、落ち着き払った余裕があった。

メガネのふちのデザインが少々インテリ風で、格好をつけているようには見えるのだけれど、見事にビールっ腹だ。会社でも割りとよくいるタイプで、なんとなく意地が悪そうだと直感で解る。みんなで居酒屋に行き「とりあえずジョッキで生!」と全員が合わせる中、自分だけは「ビンとコップで」と言い出すようなタイプだ。

もう一度、僕をチラリと見るなり「ここ初めて?だよね?」との彼の物言いは少しばかり偉そうだったのだけれど、それに腹を立てる余裕はなかった。僕が、いきなり迷惑を掛けてしまうからだ。

 

「キュィィィーン!」と、耳をつんざくほどけたたましく鳴り響くハウリング(共鳴のトラブル音)に、全員が首を引っ込める。

「ったく、誰だよ!?」そう小さめに怒鳴ったギター・ボーカルの視線の先には、僕の借りたギター用のアンプがあった。

ハーモニカ専用マイクはどれも特性上ハウリングしやすくできていて、注意が必要だ。特にセッションともなれば店の機材を使うため、慎重になって然りなのに、自分のマイクに付いていたボリュームがマックスになったままだったのだ。それは明らかに僕の側のミスなので、僕は慌てて「すみません!!すみません!!」と何度も謝った。

そのハウリングを抑えに掛かるも時既に遅し(勘弁しろよ、このど素人)といった凍りつくようなギター・ボーカルの参加者の視線が、痛々しく突き刺さる。

一方、バックを固めるベーシストやドラマーは、ホストという役割からか「いいって、いいって、そんな事」といった、にこやかな表情を見せる。彼らは店側の立場なので、僕へは接客という対応になるからなのだろう。

 

そのセットでのリーダーとなるギター・ボーカルの参加者から(ふん!アンプも使えないど素人め!)といった調子で見下されたまま、最初の意地悪が幕を開けた。

「じゃあ、せっかくブルースハープがいるなら『ジー・ベイビー』でもやらせてもらおうかな?」

それを聞いた僕は、初めて聞く曲名にしばらくはポカンとしていた。

それはちょうどその頃、トップ・ハーピスト(ハーモニカ奏者)ウィーピングハープ妹尾さんの演奏によってハーモニカ界に広がって行った、いかにもブルースハープが映えそうなジャズナンバーだ。とはいえ僕にはまだ到底吹けそうもない曲だった。すぐに客席から「お~い、ブルースじゃねぇぞ」のヤジが飛ぶ。

バックのメンバーは当然どんな曲がオーダーされてもOKなようだったけれど、僕への気遣いから「それはちょっと」というツッコミを入れてくれる。彼らの様子からも、どうやら誰もがわかる難しい選曲での意地悪らしいというのは理解できた。けれど、僕は正直言って「初心者のような扱われ方」に無性に腹がたった。まだ一度も音を出してすらいないというのに。

 

周りからたしなめられたギター・ボーカルの彼は、嫌味なせせら笑いを浮かべながらも、さすがに選曲を変更した。

「じゃあさ、『スイート・ホーム・シカゴ』みたいな曲をやろうよ。どう?それなら、大丈夫でしょう?」

その曲はとても有名な曲ではあるものの、いかにもな「ビギナー向け」の代表曲だった。僕への意地悪はやめても、ビギナー扱いは変えないという訳だ。僕はこの高慢な態度に腹を立て、すでにこの店から帰りたくなっていた。

さらに彼の言葉は忙しく続く。
「でね、でね、後でハーモニカにソロを回すからさ。合図を出すまでは、ちょっと、音を出さないで待っててくれない。いいかな?」
これは、バックやオブリガードには関わらず、回した所だけに参加してという意味だ。つまり、簡単に言えば「自分の歌やギターがある間は、手を出すな」という事で、もちろん明らかなマナー違反の範囲だ。ボーカルがリーダーであっても、曲や演奏Keyを決めるだけで、動き方まで指定する権限なんて無いのだから。


こうして、自分は歓迎されてはいないながらも、とりあえず「難しい曲でのいじめ」からは逃れられはしたと、情けなくも密かに胸を撫で下ろしていた。やはり大勢が観ているステージの上で恥をかかされるのはごめんだ。

そして演奏するKeyが告げられると、カウントから短いイントロで曲へと入る。

けれども予想に反して、そのカウントはスローなテンポだった。「スイート・ホーム・シカゴ」という曲は「ジャッカ、ジャッカ」とミドルテンポで軽快に演るのが普通で、スローで演奏するなんて聴いた事がない。やはりこういう違いが、ハイレベルなセッションでの遊び心なのだろうか。

 

「合図までは手を出すな」と言われた僕は、両手にマイクと一緒に持ったテンホールズハーモニカの音は出さぬまま、ただコード(和音)の流れを耳で追っていたのだけれど、なんとみるみるその曲のコード進行が通常の「スイート・ホーム・シカゴ」ものと変わって行った。
やがて変わり果てたその曲は「ストーミー・マンデー・ブルース」という、ブルースのナンバーでありながら途中ジャズのコード進行(和音の流れ)を含む展開となる、かなり特殊な曲だった。もちろん「スイート・ホーム・シカゴ」と比べればかなり演奏が難しく、上級者の選曲だ。

ホストバンドのメンバー達も一瞬渋い顔を見せ、お互いが気まずそうに目配せをし合っている。その様子を見るに、ギターボーカルの参加者はどうやら僕をビギナーと決めつけた上で、ステージ上で難しい曲を演奏し、あえて恥をかかせようという狙いのようだ。

そうはいっても曲はもう始まっているのでどうしようもない。とりあえず、今はこのメンバーでこの曲を演奏するしか無いのだ。ハプニングを楽しむのだって、セッションの醍醐味のひとつなのだから。

 

なんにしても、前もって僕のハーモニカの出番まで限定したというのに、さらに曲自体でも意地悪をしようとは、一体どこまで性格が悪い参加者なのか。その陰湿さに腹わたが煮えくり返って来る。

とはいえ実のところ、嬉しい事に、その曲は僕が吹けない曲ではなかった。むしろ「よくそんな曲吹けるよね」と驚かれる事もあるくらい、すでに慣れている曲でもあったのだ。ならば、むしろ僕のハーモニカに合図をふって来た時に「どうだ」とばかりの見事なハーモニカ・ソロをぶちかましてやり、相手の「しまった」という顔でも見てやろうじゃないか。

僕は音を出せない分、密かに仕返しの想像にほくそ笑み、ハーモニカ・ソロのフレーズを吟味しながら、その合図をじっと待つのだった。

 

案の定、ニヤニヤしながら「ストーミー・マンデー・ブルース」の歌詞が始まり、次いで自慢げな、長い長いギター・ソロへと続いて行く。そのギター・ソロはまるでインスト曲かと思えるほど何コーラスも繰り返され、伴奏をするホストバンドのメンバー達も、そのワンマンさに呆れ顔をしていたほどだった。

僕は音を出すなと言われた側なので、この長さをなおさらに拷問のように感じた。なにせ、自分はまだ一音も出せてはいないまま、同じステージで、スポットライトを浴びているのだから。

 

そして、気が遠くなるほど長いギター・ソロが終わると、ようやくまた彼の歌の続きが始まる。客席からはなんの拍手もなく、だらけたムードが漂う。流石にこの後にハーモニカ・ソロを吹く事になる僕の側も(さすがに曲自体が長過ぎちゃうよなぁ~)と不安に感じてはいた。

けれど、陰湿な意地悪をされた側としては、もはや曲全体の長さなど問題にしてはいられない。自分だってテクニカルなソロを長めに吹いて、「どうだい!こんな曲くらいは当たり前に吹けるんだ!」という事をたっぷりと見せつけてやりたいところだった。

 

ところが、予想もしなかった事態が起こった。

彼が自分の歌を一段落させると、急にホストバンドのメンバーの方を向き合図を出し、なんとそのまま曲のエンディングを弾き始め、強制的に曲を終わらせてしまったのだ。

僕は(えっ!?何、エンディング?終わり!?)と慌てるものの、身体は演奏の方に反応し、普通にエンディングフレーズにハーモニカを合わせてしまった。

ホストバンドのメンバー達も同様で、演奏こそ問題なく合わせるものの(えっ、いきなり終わるの!?)という驚き顔を隠せない。

 

始まって間もない段階で、スローな上、かなりの長さだった曲が終わったという事もあり、客席からは拍手どころか、「ふぁ~ぁ」という背筋を伸ばす時のような唸り声が漏れる。見ている方だって嫌味のひとつも言いたいところなのだろう。

そして客席の中からも、別の意味での「まずい状況」を察知していた人達が、ざわつき始める。僕のハーモニカ・ソロが無く、エンディングになって、わずかに音を重ねただけの奇妙な参加だったからだ。

 

そして曲の音が完全に消えるやいなや、ギター・ボーカルの参加者から僕にトドメの一言が放たれる。

「君、この曲、知らなかった?全くのお手上げ?」
その物言いはいかにも上から目線で、見下し切ったという態度だった。どうやら、僕が音を出さなかったので「吹けないと判断した」というのが、彼の言い分のようだ。

完全にしてやられた僕は、ワナワナと慌てふためきながら、情けないほどに食らいつく。

「だって、指示までは吹くなって!!だって、あのぅ、僕は、」


この様子に慌ててマスターがステージへと割って入って来ると、マイクを通し、店の参加者全員に聞こえるように言った。
「え~と、ね、まぁ、ソロくらい回せってね。最低限ね。頼むね?いい?」

それを言われたギター・ボーカルの参加者は(へ~い、すいませ~ん)といったようなおふざけ顔で、自分の席へと戻って行った。やはり明らかな確信犯だったようだ。

さらにマスターは、僕へ小声でささやく。
「まぁ、ハープの君もさ、『ストマン』は結構セッションでやるからさ。次の機会にでもね、トライしてみて下さいよ。ね?」

そう言って、ふるふると震えるまで腹を立てていた僕をたしなめた。

マスターは最初のやり取りまでは見ていないので、僕が全く吹こうとしなかった以上、吹けなかったのだろうと思ったようだった。

 

間髪入れず次のセッションメンバーが入って来て、忙しく自分の楽器のセッティングに入る。その参加者もチラリと僕の方を見るけれど、すぐに目をそらしホストメンバーと自分のセッション曲についての打ち合わせを始める。

 

もう全ては後の祭りだった。僕は自分のマイクのシールドを引き抜き、力なくハーモニカケースを抱え、よろよろと自分の席へと戻り、テーブルに荷物を置くと、静かに腰を降ろした。

僕は自分の座る席からかなり離れた席に座るギター・ボーカルの彼を見るけれど、彼はこちらをチラリとも見ようとはせず、自分のギターのネックを布で磨いていた。

彼のギターの技術がかなりありそうなのはよく解った。加えてその立ち振る舞いから、おそらくは僕と同じただの会社員で、日常の憂さ晴らしをセッションの意地悪でしてやったというところなのだろうとも。

そうは言っても、今までライブBarジロキチなどで自分が観てきた演奏者のようなプロのバンドマンレベルかと言われれば、明らかにアマチュアの範囲だろうとは感じていた。けれど、ハッキリとそう断言しづらいのは、彼の弾くギターに「ジャズっぽい部分」が多かったところだ。自分には専門外で、ジャズっぽいというだけで、どことなく専門性が高そうに感じてしまうからだ。

 

それにしても、なんていう手の込んだ陰湿なやり口だろう。自分は一体どうすれば良かったのだろうか。あの曲は自分には吹ける曲なのだから、指示など聞かず、勝手に吹きまくれば良かったのだろうか。けれど、相手はおそらくこの店の常連のようだし、初めて来た僕の方からケンカ腰の構えというのも良くないだろうし。

困った事に、今のたった1曲のトラブルで、店の雰囲気も悪くなってしまったようだった。

(あ~あ、レベルが高いって、こういう事なのかぁ~?)

僕はわざわざ選んでまでこのBarのセッションデーに参加した事に、ただうなだれるしか無かった。

 

その時だった。僕に話し掛けて来た人がいたのだ。

「どうもどうも、いいですか、ここ座って?」
それは、片手にサックスを持った、どこか怪しい、顔中、カールしたヒゲだらけの男の人だった。

 

つづく

 

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(この配信回で、物語に登場する「セッション」について解説しています)