85話 ゴジラ対、悪ゴジラ②

 

仲の悪い「大常連さん」と「サングラスの彼」は共にボーカルだったので、一緒のステージでセッション演奏をする事は決してないまま、イベントは進行して行った。

この店のセッションには珍しくギター・ボーカルが数人しかおらず、ボーカルの2人は常に引っぱりダコだった。ブルースは歌を中心とする音楽なので、ボーカルにこだわりを持つ2人がいるのは、誰にとっても望ましい状況だった。

ブルースらしい定番ソングを歌ってもらえる回と、荒々しいロックっぽい回とを交互に味わえるとなれば、楽器を演る側もそれぞれの違いを存分に楽しめるというものだ。

ともにブルースを歌うのを心から楽しんでいるように見え、まさに「生きているぞ!」と言わんばかりの表情でステージを沸かせ続ける。

 

この日のハーモニカでの参加者は、僕以外、客席からハーモニカを吹いて邪魔をして来た人と、あともう1人明らかにビギナーの方の3人だけだった。2人の演奏はまだ始めたばかりというような段階で、正直、まだこういう店には早いんじゃないかなとさえ思えたほどだ。

僕はこのハーモニカビギナーの2人のお陰で、少なくともこの店の中では、同じ楽器の人から見下されたりマウントをとられたりという事は無さそうだという安心感で、完全に初めての参加による緊張からは開放されていた。今さっきまで自分だってBar自体ビギナーで、初めての出来事の連続にビビりまくっていたというのに、全くいい気なものだ。

 

ステージの中央に置かれたスタンドマイクの前に立つ店員の男の子からは、次々にセッションの組み合わせが読み上げられて行く。後半に入ると、客席は今か今かと自分の名前を待つソワソワとした様子もなくなり、自分の出番でなければ後は別に良いという、緊張感のなくなった、楽器を持つただのほろ酔い集団となって行った。

大常連さん達のボーカルは交互に続いて行き、ついさっきの悪口が表面化するような事態にはならなかった。

僕はこの件をあまり考えないようにした。考えてみれば、その日にその場で出会った人と音を重ねるのがセッションな訳だし、いろいろな人がいて当たり前ではないか。さっきの常連同士の少々の陰口を、会社の派閥争いと同じように大げさに受け止め、気にし過ぎた自分が(ほんとに会社人間になってしまったんだな)とつくづく嫌になって来る。そして(やっぱり音楽は、人をつなぐのかもな)と、僕は一人のんきにうなずくのだった。

 

けれど、司会の男の子の他愛のない一言のせいで、僕はまた新たな窮地に追い込まれてしまう事になる。

「はい、おつかれさまでした。いつものアダルトチームで、渋く行きましたね。では、その次はヤングチームで、アクティブに行きましょうか。今日初めていらっしゃったハープの広瀬さん、また演奏の方をお願いしますね。いいですね、広瀬さんのハープ。広瀬さんはどうやら『そちらの組』みたいですね」

その途端、たまたまタイミング悪く全てのざわつきが一瞬途絶えた。ちょうど、ブルースのブレイク(一旦音を消す部分)の時みたいに。

一体なんのつもりだろうか。やはり彼は水商売として完全に失格だ。

僕は今の一言を2人が聞いていなかった事を願いつつ、ハーモニカの入った布ケースを抱え、静かにステージへと向かった。

 

僕は、気まずさから無駄にへらへらと笑いつつ、余計な一言を言った店員の男の子に声を掛け、今度こそ店のギターアンプを借りたいと申し出た。

そして自分の持って来た「ブルースブラスター(ブルースで使うハーモニカ専用マイク)」を差し込み、まるで、さっきの発言など聞こえていなかったかのように、あえて忙しそうに分厚く歪んだ音を作るのに専念した。

「ボウゥ~ン」と、こもった音がアンプを温めるようにうなり始めると、いよいよそれは僕を夢中にさせたエレクトリックハーモニカの音色に仕上がって行く。その音は上々で、しばらく電池式のミニアンプの音でそれなりの満足にとどまっていた僕を、心底ぞくぞくとさせた。

さまざまなツマミを回転させ、音を調整する僕の姿を見守るように、後ろにはボーカルを担当するサングラスの彼がおり、嬉しそうに僕の調整のメドを待っている。今にも叫び出しそうに大きく口を開け、あごをガシガシと音が出るほど動かし、彼なりの歌の準備をしている。

 

全員の準備が済み、曲の指示を一段落させた彼はマイクの前で一旦沈黙し、それからまるで自分のライブのワンシーンのようにパフォーマンスをやってみせる。それは少々、派閥色のようなものを感じさせるスピーチだった。
「え~と、このね、ブルースハープのね、彼ね、広瀬さんね。彼とすごい話が合っちゃってね、一緒にやらしてもらいます、ってね。じゃぁ、行くぜ!!俺を、天国へ連れてってくれよ!!頼むぜ!!1・2・3・4」
さすがはロックンローラー、彼はステージというものをよく知っている人だった。彼の発言を文章で読めば「ボーイズ・ラブ」のようだけれど、たったこれだけの言葉で、演奏の温度を十二分に上げてしまう。

 

彼らしい、激し目のブルースが幕を開けた。

実際に一緒に演奏をしてみると、サングラスの彼は演奏中の立ち回り方が実にスリリングで、目が離せないような危うさがあり、大常連さんとの気楽さとは対極的な魅力を持っていた。

2人は同じように自分の歌にハーモニカを絡めて欲しそうにしていても、大常連さんのそれは相手を盛り上げるように、一方の彼の方は張り合っているかのようだった。それは確かにケンカ腰という言い方が似合う感じでもあった。

彼は、共演者の僕を挑発する。
(来いよ!!来いってんだよ!!ハープ・マンよう!!)

言われた僕も、ステージでは臆する事なく全力のハーモニカで絡んで行く。
(おうよ!!行くぜぇ、俺のハープで、天国へ行っちまえー!!)
一瞬、僕も人格が変わったようになり、不思議と今まで尖って生きて来た人間みたいな力強さをみなぎらせた。ハーモニカを吹く以外はただの漫画・アニメヲタクだという事を忘れ、「俺の演奏を聴かない奴はこの店から出ていけよ!!」くらいな無敵感を持っていた。そういう気分にまでさせてしまう一瞬があるのも、何ものにも変えられないセッション演奏ならではの醍醐味なのかもしれない。

店のアンプから出るエレクトリックハーモニカの唸りは、まるで大きなエンジンをフル回転させているような興奮を、僕に与え続けてくれていた。

そんな熱いセッション演奏が終わると、彼はまるで自分のライブのように、客席へ「サンキュー!!」と言い放ち、そのまま参加メンバー全員の肩を叩いて周る。参加者達は皆、ステージを降りた後も、なんとなく彼の席の周りに居続け、興奮さめやらぬといった状態が続いていた。

 

その後も大常連さん、サングラスの彼が交互にボーカルをとるようにセッション演奏は続いて行った。

やがて、ハーモニカの参加者は僕とビギナーの方の2人だけとなり、演奏の順番も幾分多く回って来た。

客席からハーモニカを吹いてきた年配の酔っ払いの人は、どこかの段階でもう帰ってしまったらしく、迷惑を掛けられたのは、結局あの時1回きりの事だった。

そんな中で、充実した最高の時間は過ぎて行き、いよいよラストセッションとなるメンバーが告げられるタイミングが来た。

 

店内がそわそわと落ち着かない雰囲気に包まれる。

「どうかな、呼ばれるかな」と期待する人。「なんだよ、全然回らなかったな」と文句を言う人。そして「さってと帰るかな」と諦めるそぶりをする人。その全員が、ステージのスタンドマイクの前の店員の男の子から、自分の名前が呼ばれるのを心待ちにしているのだ。

そんな周りのさまざまな反応には理由があった。どうやらこのBarのラストセッションというのは「その日、もっとも優秀な演奏をしたプレーヤー同士が、最後を締めくくるスーパーセッションをする」という事のようだった。

もちろん、ハーモニカならもうひとりのビギナーの人よりも僕の方がはるかに専門的にやって来てはいるけれど、店にはギタリストの参加者が多いので、必ずハーモニカを入れるとは限らない。

そんな訳で、僕もそれなりにその発表に注目していたものの、発表されたのは予想外なメンバーだった。

 

ボーカルは大常連さんが選ばれ、ギター、ベース、ドラムとそれぞれの参加者の名前が呼ばれ、最後に僕の名前もチラリと出て来た。

「え~と、で、ブルースハープはですね。今日初登場の、え~と、広瀬さん、良かったですよねぇ~、広瀬さん、大変、良かったんですが、で・す・が、」
この言い方だと、どうやら僕ではないらしい。バイトの子は店の奥の方を見つめ、暗がりの中、目を凝らし誰かを探しているようだった。
「あっ、いたいた!ボンさん、ハープをお願いします!」

今まで登場していない名前のため、数人だけがお付き合い程度のまばらな拍手をするものの、店内は不満げにざわつき始める。

僕は、最後のスーパーセッションの時になり、いきなり呼ばれた謎のブルースハープ奏者「ボンさん」に、店にいた誰よりも注目するのだった。

 

つづく

 

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(この配信回で、物語に登場する「ロック風なセッションに合うハーモニカ」について解説しています)