ここで書くのは、私の地元にある「とある飲食店」についての事だ。

なぜ「とある」と、半ば隠すように書くのかというと、私には隠れ家的な魅力のある店なので、実のところ人には知らせたくはないのだ。

それでいて、こうして書き連ねようとしているというのもおかしな話なのだけれど。

 

それはコロナの第9波がピークを超えてしばらく経った頃だった。

コロナ禍になってからというもの、僕とかみさんは人一倍感染防止に積極的な方だった。2人共が自宅で仕事をしているために、徹底した対策を出来たのが大きいのだけれど、いつまでも手を抜く事無く、マスクの着用、アルコール消毒、手洗いうがいなどを日々欠かさなかった。

新規感染者の増加傾向が落ち着いて来ても、できる限り休日は人混みを避け、外出をしないようにしているし、大概の用事なら平日に済ませるようにしている。買い物やちょっとした外出なども、できるだけ人がいない店舗を選ぶようにするのが、もはや当たり前となっている。

 

そんな僕ら夫婦でも、週に一度だけお互いのスケジュール確認などを行うカフェ・タイムだけは大切にしていた。もちろん人がおらず、できる限りテラスがある店を選ぶようにしている。

そんな中で、最近のお気に入りが、この「とある飲食店」なのだ。

 

海外料理の専門店で、かなりご高齢の主とその妻の2人で営まれている。

道路沿いのテラスは、これといったロケーション的な魅力はないのだけれど、天井からぶら下がった果物が、実に異国情緒を感じさせてくれる。

こちらで飼われている猫君が、自分の方からとなりの椅子などに乗って来て、まるで顔なじみのように振る舞うのも、この店の魅力のひとつだ。

 

その日もいつものように来客は僕らだけで、20人は座れる広々としたテラスを独占していた。

いつも来客を考えていないかのようで、来たこちらの方から、店の奥にいる店主まで知らせに行かなかれば、注文も取りに来ない。会計も同じなので、人を信用しているのか、かなり無用心だ。

この店に来るのはすでに4回目なのだけれど、ふるふると小刻みに震えながらゆっくりと現れるご高齢の主の奥さんが、あたり前のように「初めてですか?」と聞いて来る。

僕らは微笑み、「いえ、何度か来ています」と伝え、「メニューにある食事とコーヒーのセット」を2人分注文する。

 

この店での注文の仕方にはある程度の工夫が必要だ。それによって、待ち時間が大幅に変わるからだ。

ご高齢の夫婦でやっている事と、こだわりの調理法のため、料理にはかなりの時間が掛かる。

まぁ、専門店なのだからそんなものだろうとは思うけれど、それは注文が通ってからの話で、何度かに分けて出て来る水やおしぼり、簡単な季節の会話、実際に注文のやりとり、そして欠品などを知らせに来て、あやまりつつ改めて注文を聞き直すなどの手続きを経る時間が、その前段階にあるのだ。

かと言って、ロールプレイングゲームと同じで、わかってしまえば全ては簡略化できる。

私達夫婦は極力この奥さんを無駄に往復させぬよう気をつけ、効率よく注文を済ませる。そして、後はただ待つのだ。

 

この日は、澄み切った青空だった。

天井から実る果実はすでに食べ頃を迎え、秋の風にかすかに触れ、私達にほのかな香りを届けて来る。

長い待ち時間の間、私達は予定通りスケジュールの確認や相談事を済ませ、まだかなり掛かるであろう食事について、笑いを含み語り合う。

振り返れば、初めて来た時は、まさかかなりの時間が掛かるものだとは思わず、延々と待たされ、うなだれたものだった。ただし、届いた食事の味が予想外に良かったのと、値段があまりにも良心的で、不満に思うのがおかしいほどだとの結論に至った。

さらに数日後までこの店の事をお互いに語らい、心地の良さがいつまでも消えなかったため、こうして何度も足を運ぶようになったのだ。

 

2回目の訪問では、私達は注文に関して改善案を講じた。

この店の料理は、味は美味いものの、量が少な目なのが難点だった。

最初の来店時は、私の方があまり腹が減っていなかったので食事はひとつ、コーヒーを2つにした。それが、待たされ過ぎたせいもあってか、2人でシェアするにはかなり物足りなく感じたのだ。

値段の良さもあり、2回目はこれを2セットに変え、私達は前回同様に待ち続けた。

 

注文から20分ほどが経った。

驚いた事に、届いた食事は1つだけだった。主が言うには、ひとつずつ作るので、時間は倍になるのだそうだ。

お陰で、僕らは予期せず、かなり深い話ができるくらいの時間を、そのテラスで過ごす事になってしまった。

おまけに日が暮れ始め届いた2つ目の食事は、同じメニューなのに完全に味付けや具が違うものだった。聞けば、「同じものよりは、と思いまして」と、勝手な判断で、違う種類を作って持って来たというのだ。

シェフの気まぐれで済むのは、いいところ「サラダ」くらいなものだろう。その年齢にしてこの対応はいかがなものかとは思いながらも、これがまた、文句を言おうとするには、あまりにも美味だった。

「料理を一度に作れない」事や「種類を変えますか?」などの提案を事前にするのが常識ではと思いつつも、料理を運ぶ主の奥さんの一言で、私達の3回目の注文の改善案は決まった。

「もっと早いものもあるんですが」という言葉だ。

 

こうして、3回目の来店でのこちらの改善案は、ゆっくりでも待ちたくなる美味い物と、この店で早く出せるというメニューの2点だ。先に来た1品をシェアしてゆっくりとたいらげている内に、遅れてもう1品が届けば良いのだ。まるでコース料理のような流れではないか。

この改善案は非常に上手く行った。

ただし、かみさんの注文したやや個性的なドリンクが、足を引っ張る事になった。かみさんの食後のドリンクがいつまでも来ず、私達はまた、日が暮れるのを2人で眺める事になったのだ。

もちろん悪いのはこちらだ。ひとつずつ作るのは知っていたのだから。

 

そして4回目となる今回、僕らはまた新たなる改善案を講じていた。

時間が掛かるものと早く出せるもの、そしてすぐに出て来るコーヒーを2セット注文したのだ。これで、ほどよくゆっくりとした時間を過ごし、食事をし、さっと食後のコーヒーを飲み、スムーズに帰宅ができるのだ。

 

ところが、いつものように何度か行き来を繰り返す店の奥さんが、何度目かに初めての言葉を口にした。

「今まで、何度か来ていただいていているいう事は、すみません、実は今まで、サラダを出していませんでしたね。忘れていました」と。

 

ご高齢なのはわかっているし、味自体には満足をしているので、付け合せがなかった事など今となってどうでも良い事だった。それに、かみさんの方は野菜好きだけれど、私は好き嫌いが多過ぎて、正直サラダは無くても別に構わない。

むしろこの話で、お店の奥さんの人柄の良さも解ったのと同時に、良心的な値段に「良心的過ぎはしないか」と、やや気の毒にすらなって来る。コロナ禍も終わらず、この値上げラッシュに、むしろ店を開けない方が良いのではとすら思えて来るほどだ。

 

そして私達は4回目にして、完璧な注文で料理を待っていた。

この日も猫君は、私達夫婦をもてなすかのように、今までの横に並ぶ別の椅子ではなく、私達のテーブルの上に座り込み、強い西日に目を細めた愛らしい顔で、日向ぼっこを決め込んでいた。

 

料理は早いものから届き、そこには小皿で、話に出て来た「サラダ」がちょこんとついて来た。

けれど、そのサラダは想像をしていたよりかなり豪華なものだった。季節の野菜のバーベキューで、見事に香り立つドレッシングが掛けられている。

一瞬(えっ、これオマケなの)と疑いたくなるそのゴージャス感、さらにかみさんと目を見つめ合うほどの旨さだった。私は野菜は好きではない、けれど、これならばあえて注文をするかもしれないと思うほどだった。

 

サラダをたいらげ、2品目の時間の掛かる方の料理を待つ間、私は自分の中で何かが変化した事に気が付いた。

このサラダはオマケではない。セットが10とするならばコーヒーは1、メインは7といったところか。とすればサラダは2くらい、いや、このクオリティーなら3くらいだろう。

つまりこのマイナス3掛ける来た回数分を、私達はこの店の老夫婦のミスにより搾取され続けていたのだ。いくら良心的な値段とは言え、標準のサービスが受けられないのでは評価は様変わりする。今日から、辛口の対応をせざるを得ないではないか。

 

まぁ、そうは言っても相手はかなりのご高齢だし、こちらに嘘を付いて「今日からサラダがつきます」と言っても良いところを、わざわざ「今まで忘れていて」と馬鹿正直に告白をして来たのだ。腹を立てるのは筋違いだろう。

私達は2品目を食べ始めた。

この日の料理は2品ともが美味く、テラスに吹き抜ける風はまるで夢心地とも言える絶妙な塩梅を保っている。さらに私達をもてなす猫君は、私達の料理が届くや甘えた声を上げ、自分の食事を出してもらうという和みのエピソードで、存分に楽しませてくれたのだ。

これで良い。考えてみれば、今後はこの付け合せの「サラダ」という楽しみが、新たに増えたのだから。

 

すると店の主の方がテラスに現れ、ズンズンと私の横に寄って来た。

そして無言のまま、いきなり私の肩越しに触れていた店のアンティークなハシゴを引張り出し始めたのだ。

それはテラスの壁と他の椅子、そして私の椅子の全てと接しているため、こちらを驚かそうと乱暴に揺らしてるかのような異様な状況だった。最後に無理やり引き離そうと力む加減などは、ともすればやや暴力的ですらあった。まるで(全く、邪魔な客だな)とでも言わんばかりに。

 

私は正直困った。もちろんお気に入りの店で腹も立てたくはない。100歩譲れば、店のハシゴがあった場所にある席を選んだこちらの方が、まずかったのかもしれないのだ。

それにしても残念だ。ここまで最高だった一日が、この店主の「雑な動き」で台無しではないか。

この店と良い関係でいたいと思う私は、かみさんと目配せをし合い、さりげなく席を立ち、帰ろうとした。

すると店主は、そのハシゴに登り始めながら、なんとも言えないタイミングで、私達に言葉を掛けた。

「果物は好きですか?」と。

 

私達は言葉を失いながら、ぽかんとしていた。

主はにっこり笑いながら、ハシゴにまたがり、慣れた様子で天井から実る果物を選び、ハサミを入れる。軽く水で洗い小皿に乗せ、私達のテーブルへと届けてくれた。

こうして私達は、ぽかんとした顔のまま、食後のデザートとして、天井からぶら下がる見事な果物を頂く事になった。

売り物とは違う、嫌味のない甘さ。採れたてとは、こんなにもみずみずしく旨いものか。

 

なんだろう、この感情の揺らがされ方は。新手のツンデレのようなものなのだろうか。

それにしても、この果物まで含めて、次も確実に食べられないものだろうか。おそらくは「初めてですか」から会話が始まるのだろうし、またそれなりの出来事も待っているのだろう。

 

こうしてうすピンクの夕暮れの中を、私とかみさんは次の注文の改善計画を語り合いながら、いつもの帰途についた。

 

おわり