77話 シャボン玉

 

僕が路上で演奏していたマーシとロフトに知り合ってから、数回目の休日。結局、僕は電話番号などの連絡先も知らず、2人のあだ名しか知らないまま、休日に晴れていればその場所で会うというキザな関係を続けていた。

現代のようにSNSなんてものは無いし、大人同士電話番号を交換し合うというのは、当時はなかなか勇気のいる事だった。ましてや路上でブルースをセッション演奏するなんて場面では、それくらいの距離が最も正しいのかもしれなかった。

 

その日も晴れ渡り、僕が到着する頃には2人はすでに演奏を始めていた。

僕は少し遠くから軽く手をあげ「よう!」とやってみせ、ゆっくりと隣に座りハーモニカの布バッグを開く。

マーシが歌っている時はロフトが僕に演奏Keyだけを伝えて来る。僕はすばやく曲のKeyに合うハーモニカを取り出し、薄めの音から重ね始め、2人が頃合いを見計らい僕にハーモニカ・ソロを振って来てから、本格的に音を出し始める。ハーモニカの音量が上がると3人の音はすぐに咬み合わさり、ほどよいハーモニーを作り出す。

僕が途中から加わったからって、それで演奏を途中からやり直したりはしない。全てが曲の演奏中に決まり、進んで行く。その次の曲だって間髪入れる事なくそのままKeyだけを言われて、メドレー曲のように続いて行くのだった。

僕のハーモニカが加わると、行き交う人の目を引きやすくなるようだった。ギターの弾き語りに比べればブルースのハーモニカの音なんて物珍しいし、雑踏でも耳に届きやすいからだろう。おかげで聴いてくれる人が増えたようで、2人はどんどん演奏に積極的になって行くように感じた。

 

観客が完全に途絶えていたり、演奏に疲れた時の休憩時間などは、僕らはよく他の路上演奏者の話で盛り上がった。

「哲っちゃんさぁ、その “宇宙人” って、タンバリン女の事だよ!!ここら辺じゃ、結構名物だよ!!うわぁ~、大変だったんだね、いろいろと」

「まぁ、みんな勝手にやってても、どこかで演ってるのを観た事あったりするからね。哲ちゃんの話に出て来る “クリオネみたいな奴” って、俺、なんとなく心当たりあるもん」

世間は狭い、というか全員が東京を目指して集まって来る以上、そんなもんなのかもしれない。

僕らはお互いにほぼ同世代という事もあり、話はいつまでも尽きなかった。僕は社会人になってから出来た久しぶりの友人関係にはしゃいでいた。

 

会社での仕事中も、僕はぼんやりとあの路地の事を考えている時があった。もちろん以前面倒な先輩に目をつけられていたので、たとえ投げ銭などはしていなくたって、路上演奏の話は一度もしていなかった。

会社の同僚以外の友人ができた事で、僕はさまざまな自信を取り戻し始めていた。上司に叱られようが、自分の企画がボツになろうが、それ以外の世界もあるのだという思いが常に自分を勢いづかせてくれる。先輩達からも「お前、最近元気だね~」なんて言われるほどだった。

 

ただ自分の勢いとは裏腹に、会社の方では急に経費削減や、研究開発費の大幅な見直しなどの説明が増えて行った。歴史的なヒット商品が誕生しバカ売れしていた時だったし、どこもかしこも派手な見本市などが予定され続けているというのに、妙な気がしていた。さらに、朝礼などで、ひんぱんに聞き覚えのない経済用語が使われる事が増えて行くようになり、上司達が難しい顔をしているのがわかる。とは言っても、僕は特に関心が持てなかったためにそれを理解しようともせず、説明にもメモすらとっていなかった。

自分が研究開発職なので、企画を出す、絵を描き試作を作るという目の前の事に専念すれば良いという専門職の割り切りのせいもあったのだけれど、路上での演奏が充実し始めてからは、明らかに僕は会社への興味が薄れていた。所詮は給料をもらうためなので、会社が全てみたいになっていた時期に比べれば、それくらいがちょうど良かったのかもしれないのだけれど。

 

マーシやロフトとトリオで路上のセッション演奏をするようになって、1ヶ月が過ぎても、変わらず、僕らのトリオにはまだバンド名すらなかった。携帯がない時代なので、一応は自宅の電話番号を教え合いつつも、お互い一度も掛けた事はなかった。

最初の頃、僕の方はまるで付き合い始めのカップルのように「今日か!明日か!」と彼らからの電話を待ったりもしたけれど、次第にその必要は無い関係なのだと解った。その駅のその場所で、晴れた休日に会うという事だけを決めた付き合いが、いつまでも続く。それが落ち着かなくもあり、路上でブルースを演奏する仲間としては、どこか格好良いようにも感じていた。

 

僕はある程度の音量が欲しくなった事から「ブルースブラスター」と呼ばれるホーナー社のおにぎりのようなハーモニカ専用マイクと、電池式の手持ち用ミニアンプを奮発し、それを路上演奏で使うようになっていた。近くでハーモニカを演奏をしていた他の数人が、皆そのような演奏スタイルだったからだ。

もちろん僕は発電機を使った大音量から路上演奏を始めたので、当然満足行くものではなかったけれど、アンプから響くハーモニカのバリバリとした歪む音が、なかなかのブルースらしさを醸し出してくれていた。音量は十分ではないながらも、僕はそれをいつでも自分で出せるようになったという事に満足していた。

 

マーシとロフトの2人はアコースティック・ギターを生の音でかき鳴らしながらも、僕のエレクトリックハーモニカの分厚いサウンドに負けじと、さらに声を張り上げるようになった。おかげで演奏に迫力を増して行き、ユニットらしさも出て来て、ある程度、通り掛かりの人達に立ち止まって聴いてもらえるのは当たり前、というくらいにまでにはなって来た。

ただそれは音楽的なレベルがアップしたといったものではなく、3人でのユニットらしいまとまりが出て来たというようなものだった。とても名前すら決めていない集まりには、見えなかったろう。

 

僕らが集まっていた路上にも、様々な変化が起きていた。

ある時期に向かい側の路地のほぼ全員が「長渕 剛」のコピーで埋め尽くされて行き、一方の僕ら側は「浜省(浜田省吾)」8割、「尾崎 豊」が2割ほどになった時期があった。

強い集客力のない僕らやブルース系のチームは少しずつ端へと押し出され続け、アクセサリーなどの露天商や、チラシ配りのバイトの場所と重なり、にらみ合ったりもした。

ある時、おかしなお面をかぶった3人娘が、僕らの演奏の向かいに陣取り、まるで邪魔をするかのようにラジカセの音楽に合わせ踊り始めた時もあった。さすがにその時は僕らも面食らったけれど、それが後になって地下鉄に毒ガスを撒く事になるカルト教団の信者集めのパフォーマンスだったなんて、その頃は想像もつかなかった。

 

そしてなにがキッカケだったのかはわからなかったけれど、夜になるとブルースを中心に演奏するメンバー達が次第に中央あたりに集まって来て、全員でブルースをセッションをするようにもなった。

ハーモニカの演奏者が数名おり、それぞれにスタイルが違う猛者だった。数人のハーモニカでおのおのの電池式のミニアンプを鳴らしていると、ミシシッピ・サキソフォンの呼び名の通り、まるでホーンセクションさながらの音の圧を出せたりもする。弾き語りの人達は皆口を揃えて「ハーモニカ奏者は皆レベルが高い!!」と驚いていたものだ。

ハーモニカが数人混じってのセッションは当然バトルモードに突入したりもするので、僕も負けじと張り合うように演奏した。特に僕はブルース以外のハーモニカのカバーもしていたので、その部分が目立ち、まるで「リー・オスカーっぽい」時があるという事で、「リー系」などと呼ばれたりもした。

当然ハーモニカ奏者同士の情報交換もあり、おすすめミュージシャンやアルバムの紹介なども行い合う。そして僕は多くの情報を手に入れ、新しい言葉も知る事になった。

どうやら路上などで演奏をする事を、これからは「ストリート・ミュージック」と呼ぶようになるのだそうだ。何だか分からないけれど、横文字になるだけで、妙に価値のある事をしているように感じて来る。

 

夜にそのような交流の機会が出来た事で、知り合いの知り合いという感じで紹介が続き、僕にもどんどん知人が増えて行った。初めての声掛けであれだけ苦労したというのに、突破口さえできればこんなものなのかというほど、それは簡単なものだった。ひょっとしたら、全員そういうもどかしい時期があり、その反動で、どんどんつながって行ったのかもしれない。

 

僕は基本的にはマーシとロフトとのトリオを中心として演奏を続け、誘われれば他の人とも組む事があった。時には僕個人に「ライブハウスを借りてのライブがあるのだけれど、ハーモニカのゲストで出演をお願いできないか?」というオファーも来るようになった。マーシやロフトは快くそれを喜び、僕を勢いよく押し出してもくれた。

そんな僕ら3人の関係は心地よく、束縛やしがらみがない分、これからも続いて行くのだと心底思えていた。

 

けれど、結局、僕ら3人は最後まで、バンド名がないままだった。それというのも、このトリオの先行きが、突如として絶たれてしまうからだ。

 

少し前に会社で説明のあった、突然の経費などの削減の話は、たとえ新入社員であったとしても、決して聞き流して良いレベルのものではなかった。

これまでの僕らは好調すぎるほどの日本経済の中で、今の豊かさがこれからも続く前提で、その他の事を悩んでいればよかったのだ。

友達を作るとか、趣味を充実させるとか。

 

けれどもバブルが崩壊し、突如としてその絶大な影響が、はっきりと形になって行く。

 

つづく

 

☆私、広瀬哲哉が配信するハーモニカの娯楽番組「ハモニカフェ」もお楽しみ下さいませ♫

(この配信回で、物語に登場する「セッション」について解説しています)