74話 妖精クリオネ②

 

さっきまでの人だかりは消え、僕はクリオネがタバコを吸うのを見ながら、テンホールズハーモニカを一旦ケースに戻した。といっても戻すだけで、しまう訳ではない。彼のギタースタイルが解った今、他に使う可能性の高そうなハーモニカのKeyが揃っているのかを確認し、取り出しやすいようにバッグの上の方に出して、次の演奏の準備をしておいたのだ。

 

クリオネはタバコを深々と吸い、ため息混じりに時間をかけて吐き出す。それは太極拳のようなゆっくりとした動きで、ギターを弾いている時のバタバタ加減とはまるで別人のようだった。

彼は目をそらしがちに、やや照れたように話し始める。
「いやぁ~そうか、そうか」
その様子から、クリオネが僕のハーモニカに満足している様子が伝わって来る。

確かに、「己を語れ」といった出会い頭の「先制パンチ」には面食らったものの、なかなかのドラマティックな始まり方に、僕はわくわくしていた。名刺交換と社交辞令から始まる自分の会社員生活などでは、こんな刺激に満ちた出会い方などまずないのだから。

 

ところが、かなり時間を溜めた後で発せられたクリオネの言葉は、今までの流れを一気に変えてしまうものだった。
「ずるいなぁ~。困りますよ~」
その声は、驚くほど頼りない感じで、その上かなりの年下であろう僕に対して、突然の敬語だった。僕はいきなりの変化に戸惑う。

「えっ?ずるいって?」
さっきまでのクリオネの威圧感はどこかに消え、代わりにまるで僕に甘えるような言い方が続いた。
「だって、そうですってぇ~。なんか、自信無さそ気に話し掛けて来るんだものぉ~。なんか、全然吹けない人かと思いますってぇ~。いやぁ~、困りますって、そういうのぉ~。勘弁して下さいよぉ~」

つまりは僕の演奏のレベルがクリオネが当初想像していたよりも高く、その前にさんざん威張ってしまったため「気恥ずかしい」という事のようだ。僕はこの変化に慌て、なんとか取りなそうとする。
「いや、やめて下さいよ!!僕なんて、まだ、全然なんですから!!」
さらにクリオネは慌てて、僕の言葉を遮るように話し出す。
「あちゃ~。やっぱり、楽器がうまい人は、謙虚だなぁ~。私も、タイムマシンで、さっきの自分を殴りに行こうかなぁ~。まったく、反省ぇ、反省ぇ~」

 

また急ぐようにタバコを消したクリオネは「さぁ、行きましょうか?Keyはどうしましょう?ハーモニカに合わせますよ!!」と、演奏内容を僕側に寄せて来る。僕は気まずさもあって、とりあえずセッション演奏を再開させるのを急いだ。彼の変化はよくわからないけれど、とにかく音を重ねる方が遥かに大切な事なのだから。

「はぁ、では、同じKeyで」

クリオネは、さらにへりくだるような言い方をする。

「はい、Aですね。どうします、今度はスローでも行きましょうか?ロックっぽいのでも行っときます。ね?強いでしょ、そっちも!!」

その後は、なんだか会社で下請けの企業の方にされているような愛想笑いのまま、数曲のセッション演奏が続いて行った。

 

それからの僕ら2人の演奏も、ある程度は人を集めたのだけれど、クリオネは数曲で演奏を一段落させてしまい、今度はタバコを吸わず、いそいそとギターとチラシ類を片付けを始め出し、「今日はちょっとこれから予定があって」という突然の言葉でこのセッションをあっさりとお開きにしてしまうのだった。時間は、まだお昼を少し過ぎたくらいのところだった。

 

クリオネは手際よくギターをしまいながらも「あそこを失敗した」「ここを間違えた」という個人反省の独り言を続け、終いには思い出したように「あっ、もうすぐ転勤で遠くへ引っ越すかもしれないのでぇ~(おそらくは嘘)」という言葉を最後に、まるで逃げるように、足早にその場を立ち去って行った。

何がなんだかわからないくらいの状況の変化だったけれど、僕はそんなクリオネを見送るしかなく、僕らの短い出会いは、これであっけなく幕を閉じたのだった。

(え~、何なの?本当にこれで終わり?しかも、これで最後って事?僕が、ハーモニカがけっこう吹けたから?自分が威張ってしまって気まずいから?何なのこれ?)

混乱が果てしなく続くものの、紹介されたクリオネが帰ってしまったのならもうここにいる意味もない。僕もすぐに帰ろうと思ったのだけれど、駅でまたクリオネに会ってしまうのもなんとなく気まずいので、しばらく時間をつぶそうと、他の演奏者を見て回る事にした。

 

他の数人の演奏者達はクリオネとは違い、テンホールズの似合いそうな音楽を演奏している人は見当たらなかった。また、いたとしても結構派手にクリオネとセッションをしてしまった後なのもあり、さすがに誰彼構わず演奏を申し出るのも節操がないような気がして、僕はこの場所でのセッションは諦め、遅めの昼ご飯を食べると、とぼとぼと駅へ向かった。

 

電車に揺られながら、頭の中で今さっきのクリオネとの演奏を振り返る。それは録音でもしておけばよかったと思えるほどのできばえで、続けられるものならちゃんと組んでみたい相手ではあった。そうは言っても、ひとりで演奏したい人だっている訳だし、僕を褒めていたのだって社交辞令かもしれないので、今更考えてもどうなるものでもなかった。

なによりクリオネいわく、もう引っ越すのだから。(多分嘘)

 

夕暮れまでには時間はまだ大分あり(この日の残り半日を、一体どうしていいものやら)と途方に暮れつつも、自分ではなかなかの腕前だと思えた人物に認めてもらえた事自体はそう悪くはなかったと、路上での相手探しを始めてから初の「ブルースセッションの成功」を、自分の頭の中だけで祝うのだった。

 

そしてこのまま電車に揺られつつ、僕はある場所へと向かっていた。クリオネを紹介してくれた男性は「彼がいない場合には、ついでに回るといい」と、数駅離れた別の路上演奏スポットの情報も教えてくれていたのだ。

そこでは僕と同じテンホールズハーモニカを使う人を見掛けた事があるという話なので、ブルースの演奏である可能性は高かった。ただ、実際にどの弾き語りにもハーモニカが入ってしまっていたらもう自分の出番はないので、その点は期待半分といったところだ。

 

一方、今まで最も心配していたどうやって話し掛けるかは、もうそれほど気にはならなかった。

それはクリオネのおかげでもあった。「まず自分の事を語れ、それが音楽人だ」クリオネは、なるほど良い事を言う。

おそらくはクリオネは僕同様に、うだつの上がらない、しがない会社員なのだろうとも思えた。ギターケースを開きチップなどを集めてないところをみると、それなりにうるさい大手企業の勤務なのかもしれない。

 

僕は一瞬(明日はまた会社なのかぁ~)と現実を振り返りつつも、布バッグの上から突起したテンホールズの角ばった部分を確認するように指先で撫でながら、電車の向かう先を見ていた。

なんにしてもまだ大分時間がある。そして今日はなんとなく上手く行く日なんじゃないかなと、ぼんやりとそう思えた。

 

つづく

 

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(この配信回で、物語の登場人物「クリオネ」の演奏に近い「ロックブルース」曲のスタイルを解説しています)