71話 道端の宇宙人③

 

僕をバンド側に紹介してくれたありがたい存在の宇宙人だったけれど、その状況は突如として一変する。僕のテンホールズハーモニカを見るなり、今まで以上にすごいテンションでまくしたてるようにしゃべり始めたのだ。
「すごいじゃん、すごいじゃん、すごいじゃん!!ハーモニカ、ハーモニカ!!小っちゃぁ~い~。貸して、貸してぇ~」
彼女は僕の手からハーモニカをひったくると、空にかざしたり、飛行機のように宙で動かしてみたりと、まるで小さな子供がするような大騒ぎを始める。その姿は少々異様で、僕はひょっとして精神的な病いがある子なのでは疑ったほどだ。

僕は(どうしたものか?)と慌て、少しだけバンドがいるステージ側へと歩み寄りメンバー側を見る。するとバンド側の誰もが、そんな状況だというのに特に驚く様子もなく(またかよ)と呆れ顔をしながら、しばらくはそれをただ見ているしかなさそうな感じだった。

どうやら緊急事態などではないようだけれど、さすがに僕だけが怒る訳にも行かず、ただその光景をみんなと同じようにただ眺めるしかなかった。

けれど、そうはしていられない流れになって来る。

「ねぇ、アタシ、吹いてもいい?ハーモニカ?プー、プー♫ってさ。ねぇ、カッコいい?ねぇ、ねぇってば」
この時代、ハーモニカはまだ義務教育で習う範囲だった事もあり、ほとんどの人に演奏経験があるため、この流れは仕方がない部分はあった。けれど僕としては、これにはさすがにOKはできない。相手は宇宙人とはいえ、自分とそんなに歳も離れていないような女の子。口をつけるとなるとリアルに笑えない部分がある。

だからといって断るにしても気をつけて対応しなければならない。一応は、相手のバンド側の身内のようなので、事を荒立てずに話を進めなければ、折角訪れたバンド側との交流の機会自体も、無駄に終わってしまうかもしれないのだ。

 

僕は考えに考え、子供にでも諭すかのように極力柔らか目に話し始めた。
「ねぇ、あのさ、それ僕のだからさ。ね?ほら僕がくわえたやつだよ。汚いよ。ね?」

けれど彼女は僕の言う事など、まるで気にする様子はない。
「アタシ全然、気にしないよ。だって仲間だもん。親友じゃん。ねぇ?」
今あったばかりだというのに、一体どういう子なのだろうか。気を使って僕の方から、わざわざ自分がさも汚れているかのように言ってやっていても、持ち主である僕の方が衛生面を気にするに決まっているだろうが。さっきから、これほどまでに嫌な表情をしているというのに、なぜそれが伝わらないのだろうか。


この困った状況に加えてさらに間の悪い事に、このバンドの演奏を観ていた他のお客の中に少々面倒な感じのガラの悪いおじさん連中がいて、僕に向けてのからかいの声を飛ばし始める。
「やらしてやんなよ。なぁ?兄ちゃん。ケチケチすんなよ」「そうそう。間接キッスだぜ。お得だよ~」「女の子がハーモニカ吹いたら可愛いって。ぜっ~たいにさぁ!」
これがはた目には、さほど悪意が無いような状況に見え、周りの観客からもいたずらっぽい「賛成」の拍手が出始めてしまい、みるみる「彼女にハーモニカを吹かせる事が自然だ」という流れになってしまった。

僕はまさかの展開に(そんなバカな?)と慌てふためくばかりで、また僕のそのあわて方がさらなる笑いを誘ってしまう。こうなるとまるで示し合わせたコントのようなドタバタ騒ぎではないか。

路上での音楽演奏はそれほど人の関心は誘わない。それが集まっている場所であればなおさらだ。けれどトラブルは共通の関心事だ。まして笑えるならなおさらだ。今、このバンドのステージの注目度は最も高くなってしまっているのだ。

 

何にしてもこんなおかしな宇宙人の言う事なんか、まともな人なら誰も受け入れるはずがないと思い、いい加減解決をして欲しいと僕はバンド側を見やった。すると、こちらもまさかの予想もしなかった流れになってしまう。

マイクを通して告げられたのは、まさかの彼女寄りの言葉だった。

「じゃぁ、すいませんけど、ちょっと、このバカに、吹かせてやってもらえませんかね?そのハープ」

この瞬間、彼女は大喜びし、わざわざ手に持っていたおもちゃのようなタンバリンを地べたに置き、両手でハーモニカを持ち直した。その様子に、やや離れて取り囲む観客側からはさっきよりもまとまった拍手が響き渡る。
場の声援を受け、勢いを増す彼女は、ちゅうちょする事なく、僕のハーモニカをハンバーガーのようにガブリとくわえると、まるで子供が遊ぶように飛び跳ねながら吹き始める。

それはアニメにでも出てきそうな平和で微笑ましい光景だった。奇抜な格好をした若い女性が、青空のもと元気一杯にハーモニカを吹き鳴らしながら飛び跳ねているのだから。

 

(なんでこんな奴に、僕のテンホールズをぶん取られなきゃならないのさ!!)そうは思いながらも、僕はこの流れに呆然とし、そのまましばらくは立ち尽くすしかなかった。
彼女の適当なハーモニカの音色はのどかに響き渡る。吹いて吸ってを気ままに続けているだけで、なんのゴールもない気まぐれなものだ。それでいて不思議と心地良さだけはあるので、誰にとっても悪い印象は無いものだった。

めちゃくちゃながらもその絵づらがほほえましく映り、音楽に興味がない人までが足を止め始め、その場が和んで行く。こうなると、もはやバンド側の集客効果まで出せているではないか。

人が増えて行く気配にバンドのメンバー達も目配せを始め、この流れを利用して次の曲への準備を始めてしまいそうだ。そうなれば、せっかく生まれた僕のハーモニカを吹けるという絶好の自己紹介の機会は無くなってしまう。僕は、チャンスが消えてしまいそうな変化に苛立ち始めていた。

 

ひとしきり吹き鳴らし、少々息が上がった彼女はようやくハーモニカを口から離し、嬉しそうにまた僕に顔を寄せて、わめくように話し始める。
「わー、すごいじゃん!!アタシ、バンドマンじゃん!!ミュージシャンじゃん!!ねぇ?ねぇ?どうよ、ひろひろ?アタシ凄くない?天才かも!!」
彼女は慌ただしくしゃべりながら、途切れ途切れにまたハーモニカをくわえては、気ままに音を吹き鳴らす。その自由奔放なところは、さらに多くの人を和ませ、バンドのメンバー達も「おお、上手い上手い!」と無駄に褒めながら盛り上がり続けている。そんな中で僕ひとりだけがさらに表情をこわばらせていた。

存分に吹きまくり、ようやく彼女の気が済んだようで、観客からの笑い混じりの軽い拍手の中、ステージに近づいた僕にハーモニカを返しに来る。もはや僕ら2人はステージの一部のようだった。
「どうだった?ねぇひろひろ。アタシ、ハーモニカやるよ!!だって天才だもん。絶対に上手いって。ねぇ?」

僕は彼女の言葉にも返事をせず、返って来たハーモニカを受け取ると、急いでズボンのももの所で強くはたき、おそらく全体にまんべんなく付いているであろう彼女のツバをゴシゴシと拭き取る。

僕は必死で、今にも怒りをあらわにしてしまいそうな自分をなだめた。

怒ってはダメだ。邪魔は入ったものの、考えようによってはこれからが本番なのだ。むしろこの状態で、今から僕が見事なハーモニカをセッション演奏してみせれば「同じ楽器でもここまで違うのか!」と印象付ける事だってできるのだから。

僕の頭の中は、これからバンドメンバー達に自分をどう良く見せようかという、新たなるシナリオ作りに大忙しだった。

 

ところがそう都合良くはならなかった。再び彼女の演技じみた甲高い声が響き渡る。

「ああああ~っ。ひろひろ、マジで?それはまずいって?」
(今度は一体何なんだ?)さすがにイラつく僕に、彼女は顔を近づけ、さらなるハイテンションで言った。

「ひろひろとアタシ、間接キッスじゃん!?それを拭き拭きって、それはまずいって~」
この声と共に、和んだ客席がさらに笑いで包まれ、その流れを逃すまいと調子に乗った彼女が、残酷なコールを始める。
「間接・キッス~♫、間接・キッス~♫」それは観客達に手拍子を求めるフレーズだった。
その拍手は驚くほどすぐに大きくなる。もはや宴会のようなノリだった。それに乗せ、僕に向けた耐え難い言葉が聞こえて来た。

「おい兄ちゃん。やってやれって。間接・キッス~♫。照れるなよ~」「もったいないぜ。なら、俺に吹かせてくれよ。なぁ?」

さすがに僕は恥ずかしくなり、慌ただしくハーモニカをポケットへとしまってしまった。それがさらに良くない流れを作り出し、今度は明らかにトゲのある言い回しが飛んで来る。
「なんだよ、つまんねぇなぁ~」「後で隠れて、ぺろぺろやるんじゃんぇの?」
次々にタチの悪いヤジが混じり始め、場合によってはこれからちょっとしたトラブルになる可能性すら出て来てしまった。

 

朗らかだった先程までとは打って変わって雲行きが怪しくなってしまった状況に、今まで演奏を聴いていた数人の観客達がゆるりとその場を離れて行った。

気まずい雰囲気を察知し、すでに目配せで次の流れを決めたらしいバンド側は「1、2、3、4」とさりげないカウントを出し、ヤジを遮るかのようにいち早く音量のある派手目な選曲の演奏を再開させ、わずかの間に強制的に何もなかったかのような元の演奏空間に戻してしまう。

それに彼女はすぐに反応し、今度は思い出したように地べたに置いていたおもちゃのようなタンバリンを手に取り、激しく叩きながら狂ったように踊り始める。
残っていたわずかな観客達は、気まずさを取り払うように強目の手拍子を始め、空気を変えるのにさりげ無く協力をする。

 

僕はどうしていいか解らず、一旦は近づいたステージから後ずさるように、ひとり離れて行くしか無かった。それはもう「ハーモニカ吹いてみてよ」という流れが、完全になくなった事を意味していた。

僕は元いたガードレールに寄りかかり、しばらくは周りに合わせ何事も無かったかのようにバンドの演奏を観ていたけれど、やがて仕方がないと肩を落とし、この場を離れる事にした。僕は一時、バンド側にいじられた客、そんな感じだった。

去り際にチラリとヤジを出していた人達の方を見るけれど、もう誰一人僕になど関心は無く、ただ自分達で楽しげにしゃべっているだけだった。別に僕にからむ気までは無かったようだ。

 

背中に聴こえている演奏が小さくなって行くの感じながら、僕は自分の左右に入れ替わるつま先あたりを見つめながら歩いていた。そしてぼんやりと(本当に、こういう出会いって、難しいんだな)とため息をついた。

見ず知らずの女の子のツバまみれになった自分のハーモニカを握りしめ、何にしてもまた今回も上手く行かなかった結果に、惨めな気持ちで一杯になるのだった。

 

つづく

 

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(この配信回で、ブルースの入り口となる「ブルースフレーズ」を解説しています)