『自然道』とは?


皆さんこんにちは(^^)

今日は『自然』について私が思っていることを皆さんと共有したいと思い、サーっと書いてみましたので、お時間のある時にゆっくりとご覧ください。また、今回の内容は『つきよみ自然農塾の基本方針』とも言えるものなので、一度目を通して、コピペしてメモに保存するなどして見返せるようにしておいてください。

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自然道とは?

◯自然道とは自らは自然と一体であることを自覚して生きる道です。

◯自然界の命たちを慈しみ、命を大切にすること。命を守るものは命に守られて、命を粗末にするものは命に粗末に扱われます。

◯命それぞれに役割があり、特定の主義で、特定の命を特別視したり、見下したりしてはなりません。

◯人それぞれに価値観があり、誰もが『自分は正しい』と思い込んで生きています。よって自分の価値観を他人に押し付けてはなりません。悪は善と思い込んでいて、善は善と思い込むことから争いが生じます。
過剰な思い込みからは人は離れていき、一時的に類は友を呼びますが、同類同志も価値観はズレていますので、いずれ意見が食い違い、互いに孤立していきます。

◯命それぞれ、自然界においての仕事があります。一見自分にとってはデメリットに見えても、自然界にとってはメリットであることも多々あります。(雑草が肥料になったり、悪人のおかげで秩序が生まれたり、過剰な偏見を持つ人のおかげでバランス感覚が養えたりなど…)よって、無碍に人や命を批判してはなりません。『この命はどんな仕事をして、どんな役割があるのだろう』と考える習慣をつけましょう。

◯自然界は常に調和へと向かいます。現在の生活において『歪み』や『バランスの崩れ』、和とは反対の『争い』や『疎外感』を感じているのは、自然界からの軌道修正のサインです。それらのほとんどの根本原因は、『思考の歪み』『心の偏り』『考え方のズレ』(すべて同じ意味ですが…)です。『自分が正しい』を一旦横に置いて、『他の人にとっては正しくない』とひと呼吸して、寛容な心を持つように努めましょう。

◯自らの心が自然界と調和していれば、自ずから『和が調います』。自然道とは、調和道、すなわち『和の調う道』です。

◯自然農の畑に立つと、和が調ってくるのも、そこに調和の世界が広がっているからです。

◯『自然農であれ、どんな農法も自然破壊である』と主張する人もいますが、それは言い換えると『人間は自然破壊をする罪深い生きものだから、罪を償って生きなければならない』という、とある宗教特有の原罪意識の植え付けでもあります。
命は命のエネルギーを吸収して生きていられます。そのことに善し悪しはありません。それが自然界です。何を食し、何を食さないかは、人そろぞれの価値観によるもので、各々好きにすればいいのです。
サバンナのライオンが生まれたての子どもを食すことに何の罪もありません。寒い地域の人々が熊を食すことに何の罪もありません。人の場合は自然界の調和を逸脱してしまう心のエネルギーがあります。ですから『程度』や『限度』を学ばなければならないのです。
自然界が壊れていく限度があり、自然界の調和が保たれていく程度というものがあります。それを学び体得していくのが、自然農の役割でもあるでしょう。

◯『自然農の野菜は◯』『自然農以外の野菜は×』も偏見の一つです。このような思考を持つと、人々との調和から逸脱します。人もまた自然の一部なら、すべての作物が自然界の賜物なのです。
食べものと食べる側は常に相対的で、どんなに体に良いとされているものを食しても、食す側の心が毒されていると、植物が持つ毒の要素を吸収してしまいます。農薬や化学肥料で育てられた野菜でも(それ自体も悪ではありませんが…)、食す側の心が清らかであれば、食物が持つ栄養素のうち、その人が必要な要素のみ吸収し、毒の要素は排出するということができます。とはいえ、なるべくならミネラルなど、微量栄養素の含まれた食物の方が心身の調和が調いやすいので、選ぶことができるなら、なるべく自然の調和の中で育った食物を食べるのがよいでしょう。
地球上には食べるものを選べない立場の人々もたくさんいます。よって、選べる立場にいることに感謝して、選べる立場の人々が増えるように尽力していきましょう。(自然農の野菜をお裾分けするなど…)
決して『自然農をやっている人間が偉い』と傲慢になってはいけません。『自然農をやっている人間は変だ』がまだまだ一般的な思考でしょう。『自然農やってる』と偉ぶった瞬間に叩かれます^^;
色々な農法があってよいのです。みんなそれぞれ一所懸命に働いて、家族、そして人々を養ってくれているのです。感謝、感謝です。

◯農作業中に故意ではなくても命を殺めてしまうこともあります。農作業をして、食べていく以上はやむを得ないことです。なるべくトラクターを使わない、なるべく耕さない、というのは、命ある生きものたちへの配慮です。生きるためには、他の命のエネルギーをもらわないと生きられません。そのための仕事をしている最中に故意ではなくても生命を傷つけたり、殺めてしまうことは仕方のないことです。
命を傷つけ、殺めて、自分が生きている以上、その生命たちの分まで、精一杯命を全うし、なるべく生命を活かす生き方を選び、なるべく生命を殺めない道を選ぶようにしてください。

◯罪の意識を感じ、自分を責めながら生きてはなりません。生きていくこと、生きていること自体に罪などありません。生まれたら死に、生まれたら死に…。そのサイクルが自然です。自然に罪はありません。よって罪を償って生きるのではなく、汚れてしまった心を祓い清め、なるべく命を守り、命の幸せのために生きれば、自ずから調和の道を歩んでいます。しつこいようですが、汚れてしまうことに罪はありません。汚れたらキレイにする。汚れたらキレイにする。ただそれだけのことです。

◯自分を責めている人は人のことも責めます。普段自分にやっているようなことを人にもしてしまうのです。自分を批判している人は人を批判します。このような心の循環をやめましょう。

◯自分という命を徹底的に慈しんでください。そうすれば自ずから然り、人にも命たちにも優しくなれます。

◯『自然道』とは『自ら然となる道』です。地球のあらゆる生命と共に、吸ったり吐いたりしながら生きる道です。誰もが吸ったり吐いたりしながら、自然と共に生きているので、誰もが自然道を生きています。ですから堅苦しくなる必要もなく、今日を自然と共に生きているなら、もうそれで充分なのです。
しかし、そのことに自覚があるのとないのとでは、生き方に雲泥の差があります。
自分が然なる道を生きていることに気づいて、今日という日を有意義に過ごしてください。

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今回の内容が、少しでも皆様の心の栄養になれば幸いです。
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それでは。また会いましょう。