
「人生は、なぜこうも生きづらいのか」
そう自問する夜が、これまでに幾度あっただろう。
誰かの機嫌を伺うだけの人間関係。どれほど尽くしても報われない虚無感。そして、守り抜きたかった誰かとの関係に、終止符を打つという決断。
「添い遂げること」が唯一の正解だと信じていた。その日々の中で、いつしか本当の自分を見失い、理想と現実の乖離に胸を痛めてきた。
人は、素直になれないほどに距離を遠ざけ、けれどどれほど心を尽くしても、結局のところ、どのくらい分かち合えるかなど誰にも分からないのだ。
人を通して自分を見る。人を通して、世界を見る眼差しを磨く。
自分が撒いた種が巡り巡って戻ってくるのは、逃れようのないカルマの法則だ。今、この胸に受けている感情の連鎖もまた、いつかどこかで新たな機縁を呼び起こすだろう。
だからこそ、こうした苦しみの理由を静かに見つめ直す。
まずは心の奥底に眠る過去の傷を癒し、自分を縛り続けてきた「縁」という名の呪縛を解くことだ。それだけで、浅くなっていた呼吸は少しずつ楽になっていく。
しかし、内面の癒しの先には「癒しだけでは解決できない壁」が必ず現れる。分かち合えなかった過去や、手放した絆への想いは、そう簡単に消えるものではない。
無理にポジティブになる必要はない。
「良き仲間」や「誰かのための自分」という仮面を、もう脱いでもいい。
ただ感謝の念を抱いて現実を受け入れ、自分を見直す。
一つの物語が終わったことを、ただ静かに受容する。
今の自分を許し、認められたとき。そこから本当の静寂と、新しい私が始まる。
思えば、人生は壮大なゲームのようなものかもしれない。
結末を恐れて立ち止まるより、その未知なる展開を遊ぶように生きてみたい。
やってみなければ分からない。だからこそ、私は再び歩き出す。
