ARTとスピリチュアルを通して、自分を好きになるお手伝い のワタナベトモコです。
そういう時は、自分が持っているものの多さにも気がつかないものです。
私がそうでした。![照れ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/027.png)
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探求の末ようやく自分と対話することを何より信頼できるようになって、外に起こることに振り回されることが激減しています。
きょうは小さな話しだけれど、わたしにはとても幸せな感じがしたので記録して、シェアします。
夕方母に電話をした時に聞いた話しです。
父は10月に天寿を全うして旅立ちました。その父の同僚の仲良しの方から、きょう、チョコレートが送られて来たということのはなしです。
その方は葬儀にも参列してくれたのに、またわざわざチョコレートを、送ってくれたのです。
モロゾフのチョコレートに手紙が添えて送られて来たそうです![お願い](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/025.png)
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いつも休憩のお茶をするときには必ずチョコレートを一緒に食べていた暖かな思い出があり、チョコレートをみたらまた一緒に食べたいな、と思い、お供えして欲しいということが書かれていたそうです。
私は会ったことがない方ですが、父と同年代のその方が、かつて働き盛りのころ、日々の休憩時間に一緒にチョコレートを食べたことを大切に心に持っていてくれたこと、そして亡くなった友人にその思いを届けてくれたことに、心の中に温かいものが湧き上がりました。
わたしにとってこれは幸せの感触です。
そして父と同僚の友人が過ごした日々のなんということのない休憩時間の思い出が、はるかに時が経ってもいい思い出として残っているというのは、そのひととき、その日々は幸せなものだったということを、私にしらせてくれたのです。
私たちは日々の小さなことの中にある豊かさや、幸せに気がつくことが出来ないのですね。
それをこうして気がつかせてくれる機会を与えてもらい、父と友人の方に感謝を感じました。
また明日も朝が来てくれることを信じて眠るのです。