ダンテ・ゲイブリエル・ロセティは前出のクリスティーナ・ロセティの兄であり、ラファエル前派の画家として知られていますが、詩人でもありました。

 

D.G.ロセティについてはこちらをご覧ください。

 

 

 

 ここでは「燈台草」(The Woodspurge) の詩を選んでみました。

この詩は1870年の「詩集」に初出ですが、同「詩集」に初出の「忍冬」(すいかずら)(The Honeysuckle)とともに身近な花に寄せて痛切な悔恨と喪失感を歌っています。

 

それでは燈台草の詩を見てみましょう。

 

The Woodspurge

 

The wind flapped loose, the wind was still,

Shaken out dead from tree and hill:

I had walked on at the wind's will,--

I sat now, for the wind was still.

 

風は自由に羽ばたき、静かに止んだ

木々や丘から揺られて止んだ

私は風に吹かれて歩いて来た

風が止み、私は腰をおろした

 

Between my knees my forehead was,--

My lips, drawn in, said not Alas !

My hair was over in the grass, 

My naked ears heard the day pass.

 

ひざの間に顔をうずめて

堅く結んだ唇からは嘆きの言葉も出なかった

私の髪は草むらに垂れ

無力な私の耳は日が過ぎて行くのを聞いていた

 

My eyes, wide open, had the run

Of some ten weeds to fix upon ;

Among those few, out of the sun,

The woodspurge flowered, three cups in one.

 

私は瞳を凝らして近くの日陰に咲く

十余りの雑草を見つめた

少ない数のそれらの中に

燈台草は咲いていた、一つの花に三つ花弁を付けて

 

From perfect grief there need not be

Wisdom or even memory :

One thing then learnt remains to me,--

The woodspurge has a cup of three. 

 

悲しみの極みに知恵の教えや

失った思い出は役に立たない

あの時知って私の心に残る唯一つは

燈台草には三つの花弁があるということ

 

              (日本語は意訳しています)

 

*最後の一行が何を意味するのか少しわかりずらいですね。見過ごされがちな雑草における自然の美しさと、キリスト教の三位一体から連想される信仰の誠実さでしょうか。

 

燈台草はこちらをご覧ください。

 

 

youtubeに朗読がありますのであげておきます。