福袋と駄菓子屋と宝船 | のろ猫プーデルのひゃっぺん飯  おかわりっ!!

のろ猫プーデルのひゃっぺん飯  おかわりっ!!

飛びすさって行くような毎日の覚え書き。
私はここにいます、の印。

早いもので七草がゆも過ぎましたね。

皆さんは召し上がりましたか?

我が家は必ずいただきます。私が七草がゆ係なので母のところにも届けます。結構、ウマイウマイとみんな食べてくれる。

それにしても七草、高いなぁ。398円ですよ! 

パックを解いてよく見れば道端に群生している名もない草によく似ている。これが食べられるんだったら道端の雑草も食えるのではないか、と思いながら下茹でする。

七草は餅で疲弊した胃袋を癒すのだそうだが、我が家の七草がゆには小さく切った餅も投入するので、胃袋を癒しながらも重荷を課すのであった。

アメとムチの両方をお椀によそって、さあ召し上がれ!

 

ところで今年の正月の2日、私は決心していたことがあって八時半には寝床を抜け出した。

いつもは10時まで寝ています。

けれど八時には目が覚め、それどころか前夜は胸が高鳴ってなかなか寝付けなかった。

無印良品の「福缶」を買いに行くのである。

福缶は福袋の缶詰版だ。中には無印の商品券と一緒に民芸品が一個入っている。

日本各地の民芸品の中からランダムに選ばれた一個が入っていて何が出るかは開けてみてのお楽しみ。

ああ、ワクワクするね!!

今年、私はトシ女だ。今年だけは何が何でも福缶を手に入れるのだ! 私は民芸品が大好きなのだ! しかもその民芸品はネズミだぞ!

福缶が人気なのは以前から知っていた。去年は初売りである2日の午後、ぶらぶら散歩がてら無印に立ち寄って福缶を求めた。

「売り切れてしまいました」

そう告げる店員さんの顔つきは「今頃、買いに来たの?」と言いたげな、憐れむような、呆れたような表情だったので私はちょっと恥ずかしくなったのである。

だから今年はもう九時には整理券を取りに店に行く。列を作っているなら並ぶ。

クリスマスあたりからそう固く決心して、フガフガーっと鼻の穴を膨らましていたのだった。

 

しかし実を言うと私は幾度か福袋にイタイ目に合っているのだ。家族はそれを知っているので私の福袋購入計画にフフンと笑う。それは「またはじまった」であり「懲りないやつだね」という嘲りである。

私だってわかっているのだ。

ニ三度やったら飽きるだろうボードゲーム、ニ三回洗ったらよれてくるTシャツ、UFOキャッチャーの中で山となっていそうなマスコット、趣味からは程遠いお花柄のマグカップ、そんなものが入っていて、じっと検分してると後悔の念が押し寄せてくるのでそそくさとしまう。

「アンタ、コレ使う?」

と娘に聞いて「いらん」とソッコーで返される一品ばかりだ。

なぜ私はこんなにも「中身が見えないもの」に惹かれるのだろう。

記憶をたどっていくと瞼に蘇るのは駄菓子屋さんだ。

小学校の脇道の黒い瓦屋根の平屋。夏にはよしずが立てかけられてその中で半ズボンの男の子達が背中を丸めて品定めしていた。

ココアシガレット、にんじん、小さなヨーグルト菓子、ひも付き飴、酢ダコ、三角くじ、ベーゴマ、メンコ、スーパーボール、色とりどりの店先は宝の山だ。その中に紐で一くくりになった袋の束も吊ってあった。名称は知らない。「釣り」とか「くじ」とか呼んでいた。

新聞紙で袋を作り、その中にいろんな「お宝」が入っているのだ。子供たちは「これ!」と思った袋を紐から千切りとる。

一回15円。ちょっと高かった記憶がある。その頃はお菓子が5円、高くて10円だった。

私はそのくじが一番好きだった。袋を開ける瞬間が「時よ止まれ!」と思うくらいわくわくどきどきだった。

忘れもしない小学校一年の初夏の頃、袋から時計が出てきた。ベルトが青いゴムで竜頭をまわすと長針と短針がいっぺんに回る仕組みである。「やったー!」と思った。それを腕に巻いてプラスチックのルビーの指輪をはめた。しかもピンキーとキラーズと西郷輝彦のブロマイドまで入っていて、本当に福ばかりの袋であった。(ブロマイドは西郷輝彦とピンキラ、黛じゅんがアタリ、舟木一夫が「ふーん」、橋幸夫はハズレであった。子供に角刈り頭は厳しいものがあったのだ)

あんまり嬉しくて母との散歩にブロマイドまで持って出た。

新聞配達の少年とすれ違った時、母が「なんだかあの子、羨ましそうにあんたの持ってるもの見てたよ」と言った。

幸せだった。幸せすぎてその日の夕焼け空がいまだに脳裏にこびりついている。

多分、これが私の福袋コンプレックスの一因だろう。

 

因みに福缶、九時に行ったら並んでいる人ゼロ、私が先頭でしかも12:00まで普通に売っていた。

中身はムツゴロウ。九州の民芸品という。

私的にはアタリだ。