ユーリです。
ご訪問ありがとうございます。
続きものですのでリブログを読んでください。
たぶん次回が完結です。
友和はちょっとした社会人としてのスキルがありませんでした。
今までどうやって生きて来たのか?
デジカメで撮った画像をエクセルや、パワーポイントに貼る技を知らないし、そもそもエクセルやパワーポイント自体が操作できませんでした。
ノルマで作業指導書を最低、月1件書くことになっていたのですが、ほんとに困っていました。
多い人で20件以上は提出するのに。
私が何もかも全部教えてあげました。
彼は、嬉しがって、喜んで、私の肩に手をまわして私の肩をポンポンとたたきました。
言葉遣いなどが目上の人間に対するものではなく、馴れ馴れしかったけど、まあ許してやりました。
そういう社会人の礼儀をまったく知らないのです。
工場は、半年に1回QCサークルと言って工場全体で、各10人、20班くらいに分かれ何らかの職場の困りごとを改善した実績などを競い合うことになっています。
入社早々の彼にその班のリーダーが回ってきました。
工場の人たちの意地悪です。
パワーポイントで資料を作って、スライドして大人数の前で発表しないといけません。
QCサークルのテーマの決め方、ストーリーなども全部私が教えてあげました。
私は、QC7つ道具から、グラフまで全部教えました。
QC検定3級も教えて合格させました。
発表会は、まあまあ体裁の整ったものになりました。
彼が発表を終えた後、誰も拍手しないので、私が立ち上がって、大きく拍手しました。
会場の人たちはつられて拍手しました。
私は彼の良きメンターとして、愚痴を聞いてあげたり、飲みにつれて行ったりしました。
彼は心理的にもたれかかるように、私に甘えかかった心境になっているのが手に取るようにわかります。
母に甘える子どものようです。
私は次第に彼のことを想うようになりました。
私は、彼の逞しいからだを思い一人エッチするのが、たまらない習慣になりました。
私は自分が育てた友和が何より可愛い。
彼の方も、私のことを心の底から頼りにして、意識しているようでした。
愛し合うのも時間の問題でした。
ところが、彼が28歳の時、真面目な婚活のためのマッチングアプリで知り合った、32歳の年上の女性と結婚しました。
付き合って1か月のスピード婚です。
そのマッチングアプリのイヴェントで、一緒に仁和寺から金閣寺に向かう道をジョギングしている最中に告白したそう。
京都の有名な土産物屋チェーン店の経理の人です。
地味な感じの女性でした。
でも、おっぱいはあるし、まあまあ綺麗だったかな。
たぶん友和は女を知らないから、よほど女が欲しかったんだろうな。
この頃は経済的余裕もないと、女性と経験もできない。
私は、結婚前に、その女を紹介されています。
友和に仕事の面倒を全部見て来たのはこの私だという感情が湧いてきて、この女に嫉妬しました。
でも、友人代表として、私は結婚式に出ています。
新婚旅行はハワイに行って、陳腐なビーチで陳腐な火山をバックにピースサインをして画像を送って来ました。
この世界で最も俗悪なテーマパークです。
行くなとあれほど言ったのに、嫁が行きたがった。
(イタリアに行きなさい!)
その後、子どもが二人できて、マンションも買い、あのボクシングしか知らなかった友和の人生は順風満帆かと思われました。(私のおかげだぞ!)
しかし、職場の狂犬化した上司の吊るし上げがきつく、毎日みんなの前で怒鳴られていました。
適応障害にかかり2か月休職しました。
今日の医者はよほどのことがない限り、うつとは診断しません。
上司というストレス源から離れたら治るとみなされたので、適応障害と診断されました。
会社を休んでいる間、メンタル不調にまったく理解のない嫁にサボっているように思われ、散々悪態をつかれました。
友和は働きに出ている嫁に子供の幼稚園の送り迎えや、家の掃除を命じられました。
掃除をしているときに、彼は嫁の日記を見つけ出しました。
嫁は、友和と結婚する前に何人もの男と付き合っていたらしい。
その時のセックスのようすや、彼女がどう感じたかを連綿と綴っていた。
そして、友和と結婚してからも昔の元カレたちとのエッチを思い出しては一人エッチする自分や、その気持ちを書き記していました。
友和は怒りました。
嫁が帰って来た時、友和はなんやこれは!と訊きました。
嫁は友和が勝手に日記を見たことに、激怒しました。
嫁は、結婚前の話だと言いました。
友和は、お前は男を知らないと言っていた!と責めました。
嫁は2人の子供を連れて実家に戻りました。
それ以来、直接会っていないそうです。
弁護士を通してのみ、離婚調停を嫁の側から突き付けられています。
弁護士を通して月8万の養育費も提示されています。
それを取られたら、安月給の友和は生きていけない。
完全に引きこもり、寝たきりになった友和からは、私のところに「もう死にたい」というLINE がしょっちゅう来ます。
私は友和を励まし続けました。
「友和が死にたいとき、友和のつらい話聞いていたら、私も死にそうになるよ。」
これはマジです。ほんとに私もつらかった。
抱いて慰めたかった。
その頃、私は、妻の親戚としょうもない私のウンチクが受けなかったことに端を発した揉め事を起こしました。
私は家出して、烏丸四条のホテルに泊まっていました。
(この時は男女男→女男女、すなわち男→女に切り替わるところでした。)
友和も外に出て気晴らしした方が良い、顔も見たいし、直接話した方が良いと思ったので、そのホテルに彼を呼びつけたのです。
友和は来ました。
私はハッと息をのみました。
友和は厚い胸の筋肉が強調されるピチッとしたTシャツを着て、力こぶのすごい腕を見せていました。
半パンをはいてやってきて、体毛のない脚の筋肉が美しくて、まぶしかったのです。
からだがいつもより大きく見えました。
どうしよう。
私は濡れました。
私の女性器の名残りは濡れるのです。
私は股間に湿った部分を感じながら、歩かねばなりませんでした。
続く。

