ユーリです。
今の彼、友和との出会いは、私が50代半ば、彼が20代半ばで会社に途中入社してきた時です。
その頃、私は会社から干されていて、研究開発部から工場の品質管理部に飛ばされました。
私は、双極性障害1型で、精神病院に入院し、3か月休職して会社に戻ったらこの職場が用意されていました。
まあ、本当の機械の組み立て作業員とか、製品の出荷とは違って、工場内ではまだ格が上の知識層の専門職と思われていました。
ここは、会社の最果ての地でした。
大体において大卒はいなくて、いたとしても私のような精神病で休職経験のある者たちでした。
7割がたは精神を病んでいるか、病んだことのある者でした。
私のように研究開発から転落して来た者数名や、調達部から調達の仕事が回らなくなって来た者5~6名、こことは違う主力工場から転落したもの数名、みんなうつ病や、適応障害、パニック障害などです。
調達が多いのは、彼らは/彼女らは、小ロットを低コスト、短納期で発注するという無茶なことが求められ、発注先が見つからない中、工場での組み立て開始納期が迫るうちに、そういうのを何件も持っていて、精神的に追い詰められ、職場で泡を吹いて倒れたり、駅のホームで真後ろに倒れたりした者たちだからです。
ここは正社員の精神障害者のゴミ捨て場でした。
正社員以外のパートも問題のある者ばかりです。
最低賃金+10円でも来るような、能力のない人たちです。
コミュ障が多かったです。
倉庫からピッキングする以外に会話が成立しない。
頭のおかしい問題行動ばかりする女、この女はしゃがむと作業着のズボンからおしりが半分見え、背骨に沿って首筋までタトゥーが見えていたし、チームミーティング中も携帯ばかり見ていました。
礼儀とか一切知らないから、たぶん社会で働いた経験がないと思う。
高卒のヤンキー上りが幅を利かせていました。彼らは張り切っていました。
工場は彼らが仕切っていて、覇権争いをしていました。
私より役職はずいぶん下ですが、彼らが会社から工場の運営を任されていました。
私は会社からは、もう終わった人とみなされていたし、みんなもそう見ていました。
元ヤンは毎日工場じゅう響き渡る大音声で怒鳴り合っていました。
一日に4時間も怒鳴っていました。
誰か弱い作業員の失敗を見つけると、格好のターゲットとして、QC手法のなぜなぜ分析で、そいつら全員がそのミスを犯した作業員を吊るし上げました。
なぜなぜ分析というのはトヨタが大好きな手法です。
徹底的に人を追い詰めます。
そうやって、適応障害になって、1年も休職して、辞めていくものが後を絶ちません。
元ヤンは、QC活動の一環として、朝早くから正門に工場の作業員を集め、出社してくるほかの部門の社員たちに「おはようございます!」と大声で声をかけていました。
みんな、朝は5分でも寝ていたいし、始業前にはほっこりしたいだろうに。
工場長へのアピールのため点数稼ぎに使われた作業員たちは可愛そうでした。
もっと過酷なことがあって、便所掃除は素手で便器を洗っていました。
小便器の底にある蓋のようなものまで、その黄ばみを素手できれいに磨いていました。
こうすることで、心もまったくきれいになり、強い精神が鍛えられるんだとか。
チームミーティングの時など「起立!礼!着席!」も大音声で軍隊式にやっていました。
これが私たちの工場でした。
日本を代表する1流企業でしたが、これが京都市に実在する、ある工場の実態でした。
工場の生産方式は、トヨタのお家芸の「1個流し」です。
これが適用できないケース「バッチ処理」も多いのですが、何でもかんでもトヨタを見習えです。
反対意見を言おうものなら、中国共産党に反逆するみたいな思想教育が行われます。
QC活動もトヨタを見習えです。私たちの工場からもトヨタにただ働きで、半年くらい研修に何人か行っています。
私は、日本の工場の癌はトヨタだと思っています。
トヨタが産業界のリーダーとして君臨したせいです。
私はヨーロッパで、BMW、ポルシェ、フェラーリの工場を見て来ましたが、みんな人間らしく働いていました。
さて、そこへ若い20代半ばの友和が出荷、梱包の作業者として入社して来たのです。
可愛らしい子でした。
でも、その時は何とも思っていません。
30歳年下の、からだの逞しいニイチャンくらいに思っていました。
唇がぼてっとして、マッシュルームみたいな髪型だったので、まるで子供でした。
部署は違うけど、彼は私になつきました。
昼休みとか、定時後とか私がまだ忙しいのに、話しかけて来ました。
たいていは仕事上の愚痴です。
だって、彼の部署の人間は誰も彼を助けません。
遠くから見える彼は、完全に放置状態で、難しい作業をさせられています。
ワチャワチャと作業をする彼を、できないからと言ってみんながイジメました。
いつものように怒鳴り上げる元ヤンがいました。
逆に、遠くから彼の目に映る私は、いかにも優しそうに見えたんだとか。
おっぱいを特製のブラでつぶし、作業着を着て、帽子を目深にかぶる私のことをちょっと年上の可愛い風のかっこいいお兄さんくらいに思っていたみたい。
私は、会社の仕組みとか、人間関係とかいろいろ教えてあげました。
誰それは見かけだけはやさしいけど陰険だから注意しなさい、誰それには頼れとかそういうことです。
彼は、ほとんど会社で生きていくスキルを持っていませんでした。
なんと、彼は商業高校を出た後、ボクサーをしていたのです。
ボクサーを止めた後、2年ほどほかの会社の工場で派遣をしながら、まだボクシングは続けて来ました。
ようやく、給料の良い正社員として、私の会社に雇われました。
ほんと、彼のからだは私にはまぶしかった。
彼の汗の匂いというか、体臭も。
私にとっては素敵だったのです。
続く
