【一分咲きの目黒川】 | pocopanのブログ 「地図がいっぱいある暮らし」

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地図を眺めれば、家にいながら「冒険」の始まり。
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予想したとはいえ、ここまで咲いていなかったとは思いませんでした。さすがに、この記事をアップしている頃には目黒川の桜も満開であることを祈らずにはいられません。

日曜日の早朝、目黒川の桜に期待を持ちつつ、コンビニで購入したお握りと緑茶を抱えて、始発の快速電車に乗りこみ、まずは品川駅へと向かいます。次の目黒駅へと向かうためには、ここで山手線に乗り換える必要があります。東京駅での乗り換えは、地下深くから地上2階へと上がるので、時間的にも距離的にも大変ですが、品川駅は別の意味でもっと苦手です。外回りの山の手線のホームを探すのに、いつも一苦労なのです。まず目に入るのは、出発時刻を示す電光掲示板ですが、なぜか1番線の内回りの山の手線と4番線の上りの京浜東北線の2つしか表示されていません(冒頭の画像)。1番線が山の手線の内回りであるならば、外回りは2番線かと思いがちです。私もよく2番線へと直行したものですが、実は2番線は柵で乗降できないようになっています。では、3番線かと思うと、確かに黃緑色の山の手線の表示。でも、近づくと、上りエレベーターで、逆方向です。一瞬途方にくれてしまいますが、落ち着いて考えれば、3番線と4番線は同じホームなので、4番線の下りエレベーターに乗れば良いことに気づきます。初めてだと、気づけないのが普通でしょう。上がってくるエレベーターの前で戸惑う乗客の何と多いことか。

到着した目黒駅のホームは台地を削った半地下にあり、改札自体は台地の上にあります。目黒川へ向かうためには、この台地を下らないといけません。その急な坂道が有名な行人坂となります。

行人坂を下り終えるとホテル雅叙園東京の広大な敷地です。1935(昭和10)年に高低差を利用して建てられた木造建築は、昭和の竜宮城とも謳われ、豪華な7つの部屋をつなぐ「百段階段」は、東京都の有形文化財に指定されています。ロータリーには、「お七の井戸」があり、そばには立派な桜の木が茂っていますが、開花前の重なる枝の黒いシルエットは、あたかも怪談スポットかと見間違えるほどです。放火で火刑に処されたお七の菩提を念じるため、僧侶となった吉三が水垢離をした井戸ということで、どちらかと言えば、恋愛的なパワースポットと言えるでしょう。

行人坂から目黒不動へ向かうために渡る橋は太鼓橋。目黒川の桜は凄いなと思った橋です。太鼓橋から上流にかけて見える西洋の古城風の建物は、目黒エンペラー。目黒エンペラーといえば、ラブホテルという昭和バブルの遺産の代表格みたいなもので、今ではどうなっているのかと思いきや、全室サウナ完備を銘打った高級感のあるホテルとして生まれ変わっているようです。高温サウナを目当てに一人で泊まるビジネス客も多いようで、令和の現代でも頑張っているのは嬉しく感じます。

さて、肝心のソメイヨシノは、一分咲にも満たない状態で、まだ蕾の状態です。まれに、七八分咲きとなっているシダレザクラも見受けられますが、ほとんどは枝だけの状態です。歩き続けると、七八分咲きとなっている桜が稀に存在します。「グーグルレンズ」で調べてみると、オオシマザクラという日本の固有種だそうで、開花時期がいくぶん早いとのことです。

ソメイヨシノといえば、桜そのものといえるくらいの代表株ですが、日本古来からの固有種ではありません。江戸時代末期から明治初期にかけて巣鴨付近の染井村の造園師や植木職人達によって作られています。サクラの名所として名高い吉野山にちなんで、「吉野桜」として売られて広まりましたが、学術的には混同されないように、村の名を取って「染井吉野」と命名されています。特徴としては、枝が横に大きく傘状に、しかもねじれながら広がるということで、自然の精緻さと生命の逞しさとをあわせ持った日本人好みの桜となっています。

意外にも、家内は桜の蕾に感動しているようで、満足してもらって嬉しい限りです。そのソメイヨシノの枝と蕾を鑑賞しながら、下流に向かってウォーキングを続けます。

・東急目黒線高架下の亀の甲橋
・市場橋
・谷山橋
・小さな本村橋
・五反田大橋

目黒川にかかる橋をいくつも横切りながら、最後は大崎橋を渡り、五反田駅へと向かいます。葉桜を含めれば、目黒川の桜は、これから3週間ほどは楽しめそうです。


■コース


●行人坂


●お七の井戸と雅叙園


●太鼓橋にて


●川沿いの風景


●大崎橋にて



さあ、今日も地図を広げて、
蕾のサクラを愛でに冒険にでかけましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。