どうして生きるのか。なんのために生きるのか。
この5年間、特に後半はそのことばかりを考えていたように思う。
そんな私は、妹の帰りを待ちながらごはんを作っていたのだけど、結局妹は職場の先輩にごはんに誘われたらしく、ご飯はいらない、とそれはとても言いづらそうに答えた。
ああ、妹はまだ、昔の私を引きずっている、残している。
しかしそれを悲しいとも愚かだとも思わない。それが私の生きてきた証なのだから。
そんな妹に、がっかりしながらも、決して怒ることなく「妹にとって何が大切か、何を大事にすべきか」という視点で考えられた自分を少し褒めてあげたい。
そして、妹が気に病むほどこちらはさほど気にもしていないということを知れた。
そう、私は妹にとって母のようなもの。私は母親の疑似体験をさせてもらっている。
私もいつしか母に、申し訳ないとか情けない、という罪悪感にも似た感情を持つようになった。そうだ、高校生の時に毎日お弁当を作ってもらっていたあのころからだ。
とにかく、私は、確実に昔の私ではなくなっていると確信する誕生日の前日。
では私はどのようになりたいのだろうか。
いうなれば「私がいて居心地がいいと思ってもらいたい」だ。
それは決して全員に好かれたいとか、全員と仲良くしたいということではない。
結果だ。結果的に、私がそこにいたことで、人間関係の歯車の一つひとつが組み合わさって、全体を動かしていけるような、そしてそこにいてほしいと思われるような人になりたいのだ。
潤滑油
すべるような、撫でるような生き方がしたいと思った。
「かもめ食堂」を一人で見ながら、決してこんな生き方はできないだろうと思いながらも(映画的な意味で)、温めた豆乳にチャイの粉を振り掛ければ、私の好きな甘ったるい香りと味が広がった。
その瞬間幸せをかみしめた。しあわせーと思ったのだ。
こんなちっぽけなことがしあわせ?この幸せを彼らはいっしょに共有する?
おいしいチャイラテを飲んだこと、だけではない。
一通りの料理を済ませ、その料理の味に満足し、(たまたま今日は一人だったけど、)おいしいと言ってくれるだろうことを想像して、将来旦那さんができたら作ってあげよう。もう少し甘くない方がいいかな。なんてくすりと笑ったときに香った、チャイラテのにおい。この、感動。
みんなに歩調を合わせることが大事なんじゃない。
みんなの歩調に気づいて、自分の歩調を護ることがたいせつ なんだ。
だって歩調を変えることなんてできないから。
トンミ・ヒルトネンが言ってた。「森」。
森があって、時間がゆったりと流れるのは、森の生きる速度がとてもゆっくりだから。
ゆっくりなものと比べて、自分がいかにせかせかと生きているかが実感できるから。そして人間は環境に合わせようとするから。無意識に。
だから、ウォールストリートよりもフィンランドの方が時間がゆったり流れているように感じるのだ。
年賀状の文字を見つければ、もう年末まで2か月と迫っていて、(自分が最後の方に生まれたということも自覚できたが)、思い出されるのはおじいちゃんのこと。おじいちゃんがなくなってから丸2年がたとうとしている。
なんのために生きるのか。
隣の人は生きたくても生きられない人だから。その人の分んも生きていく。
なんで死ぬのか。
隣の人が自分の分まで生きてくれるから、自分にできないことをしてくれるから。
そう思えば、易々と死ぬことなんて考えるんじゃねぇ。命に失礼だ。
周りを大事にしたい、自然を愛したいんなら恩返ししてから死ね。それまでは死ねねぇ。
この5年間、特に後半はそのことばかりを考えていたように思う。
そんな私は、妹の帰りを待ちながらごはんを作っていたのだけど、結局妹は職場の先輩にごはんに誘われたらしく、ご飯はいらない、とそれはとても言いづらそうに答えた。
ああ、妹はまだ、昔の私を引きずっている、残している。
しかしそれを悲しいとも愚かだとも思わない。それが私の生きてきた証なのだから。
そんな妹に、がっかりしながらも、決して怒ることなく「妹にとって何が大切か、何を大事にすべきか」という視点で考えられた自分を少し褒めてあげたい。
そして、妹が気に病むほどこちらはさほど気にもしていないということを知れた。
そう、私は妹にとって母のようなもの。私は母親の疑似体験をさせてもらっている。
私もいつしか母に、申し訳ないとか情けない、という罪悪感にも似た感情を持つようになった。そうだ、高校生の時に毎日お弁当を作ってもらっていたあのころからだ。
とにかく、私は、確実に昔の私ではなくなっていると確信する誕生日の前日。
では私はどのようになりたいのだろうか。
いうなれば「私がいて居心地がいいと思ってもらいたい」だ。
それは決して全員に好かれたいとか、全員と仲良くしたいということではない。
結果だ。結果的に、私がそこにいたことで、人間関係の歯車の一つひとつが組み合わさって、全体を動かしていけるような、そしてそこにいてほしいと思われるような人になりたいのだ。
潤滑油
すべるような、撫でるような生き方がしたいと思った。
「かもめ食堂」を一人で見ながら、決してこんな生き方はできないだろうと思いながらも(映画的な意味で)、温めた豆乳にチャイの粉を振り掛ければ、私の好きな甘ったるい香りと味が広がった。
その瞬間幸せをかみしめた。しあわせーと思ったのだ。
こんなちっぽけなことがしあわせ?この幸せを彼らはいっしょに共有する?
おいしいチャイラテを飲んだこと、だけではない。
一通りの料理を済ませ、その料理の味に満足し、(たまたま今日は一人だったけど、)おいしいと言ってくれるだろうことを想像して、将来旦那さんができたら作ってあげよう。もう少し甘くない方がいいかな。なんてくすりと笑ったときに香った、チャイラテのにおい。この、感動。
みんなに歩調を合わせることが大事なんじゃない。
みんなの歩調に気づいて、自分の歩調を護ることがたいせつ なんだ。
だって歩調を変えることなんてできないから。
トンミ・ヒルトネンが言ってた。「森」。
森があって、時間がゆったりと流れるのは、森の生きる速度がとてもゆっくりだから。
ゆっくりなものと比べて、自分がいかにせかせかと生きているかが実感できるから。そして人間は環境に合わせようとするから。無意識に。
だから、ウォールストリートよりもフィンランドの方が時間がゆったり流れているように感じるのだ。
年賀状の文字を見つければ、もう年末まで2か月と迫っていて、(自分が最後の方に生まれたということも自覚できたが)、思い出されるのはおじいちゃんのこと。おじいちゃんがなくなってから丸2年がたとうとしている。
なんのために生きるのか。
隣の人は生きたくても生きられない人だから。その人の分んも生きていく。
なんで死ぬのか。
隣の人が自分の分まで生きてくれるから、自分にできないことをしてくれるから。
そう思えば、易々と死ぬことなんて考えるんじゃねぇ。命に失礼だ。
周りを大事にしたい、自然を愛したいんなら恩返ししてから死ね。それまでは死ねねぇ。




あと氷帝D1とか。

朝から爽やかな気分になれます~
やっっっっっと