目高 追記あり | 葉音ののんびりブログ

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例句 <カラー版新日本大歳時記愛蔵版 講談社>
菱の中に日向ありけり目高浮く\ 村上鬼城
菱の葉が浮いている中に、目高が浮いている。見たままの光景だが、日向ありけりが効いている。
言われてみれば、確かにそうだなぁと思う。

水底の明るき目高みごもれり\橋本多佳子
水底に日が当たり、そこに目高がじっと動かずにいる。ああ、目高が身ごもったのだなあ。
水底というと、暗いイメージがあるが、「明るき目高」と表現したことで、「身ごもる」の幸せ感に繋がっているような気がする。もしかしたら、詠者自身か、または近しい友人が妊娠していた時の句だろうか。
ただ、私の経験の範囲内では、目高は、身ごもったとしてもじっとしていることなどない。逆に産卵する前は、泳ぎ方が忙しなくなる。雄と追いかけっこをしていて、ふと気づくと卵をぶら下げていたり、水草に卵が付いていたりする。放っておくと、その卵を食べてしまうのだから、大変だ。
そんなことを考えると、この句は、写生というより、詠者のイメージで詠んだような気がする。

雨しとど流されまいぞ目高の子\高木晴子
庭の池で目高を飼っていると、大雨の時には、やはり心配になる。池の上に傘を立てかけたり、少しバケツに汲んできて、玄関に置いておいたり・・・そんな詠者の思いが伝わってくる。
でも、目高、特に目高の稚魚は、結構たくましい。雨が止んだ後、じーっと見つめる水の中に、忙しなく動く小さな小さな稚魚を見つけた時の感動は、大きいものだ。

水動き目高は止りをりにけり\稲畑汀子
水の動く流れに目をやり、そこに泳いで居る何匹かの目高。しかし、詠者が注目したのは、そこにじっと止まって居るように見える目高である。
本来、目高は、小川や田んぼの畦の用水路などの小さな水の流れがあるところに生息しているものだ。そこに止まっているように見える目高が居る。しかし、本当に止まって居るわけではない。本当に止まっていたら、流されてしまうだろう。そこにじっと止まって居るために、目高は、尾びれを最大限細かく動かし、踏ん張って居る。
小さいながらも世の流れに逆らいながら、必死に頑張る姿への詠者の応援歌のようにも思える。

目高の子水動くたびわあへえと\葉音

14:01追記
本来は、自分の句について、説明するべきではないのですが、勉強のためということで、上記の拙句について・・・
下五の「わあへえと」ちょっとわかりづらいなあと、自分でも思っていました。
句の意は、目高の卵を別にしておいて、ふと、気づいたら目高の赤ちゃんが生まれていました。酸素を入れておいたわけでもなく、半ば、ダメだろうと諦めていたのですが、
「先生!なんか動いてる」「メダカの赤ちゃんだよ。生まれた!」
もう、教室中大騒ぎ。その時の様子を詠みたいと思ったのです。
初めは

目高の子水動くたび上がる声

だったのですが、ちょっと表現が当たり前すぎるかな・・・と、思いました。
オノマトペを入れて・・・と考え、あまりありきたりでもなあと思って「わあへえ」としたのですが、やはりわかりづらかったですね笑い泣き
自分の中では、止まった水を動かしている本当に小さな目高の稚魚がいることへの驚き、それを見ている子供たちの姿(感動)を描きたかったのですが、逆に焦点が定まらず、はっきりしない句になってしまいました。
・・・ということで、ただいま推敲中。
もう少しお時間ください。

いや、もしかしたらこのまま沈没するかも・・・ですあせる