今日の寝かしつけのこと。



真っ暗な寝室に

娘と私が先に寝てました。

それから5分くらい遅れて寝室にきて

息子もお布団に入りました。



真っ暗の寝室で

いつもと同じ川の字スタイル。


そこでポツリと息子が小声で

「ママ、産んでくれてありがとう」と

唐突に伝えてくれました。


何か嬉しい事あったのか…

機嫌とりなのか…

逆に学校で何かあったか…


ちょっとの間考えましたが

「この家にうまれてよかったな~」と

ふっつーのトーンで呟いた息子。

だからきっと素直な気持ちだったのかな?

と私も受け取り


「生まれてきてくれてありがとう」と

気持ちを伝えました。


度ストレートな言葉で

ものすごく心に響きました。


過去1番嬉しかった「ありがとう」を

今日いただきました。



ありがとう☆




リアルタイムに記録として残したかったため

記事に書きました。


今年は元日から

とても悲惨な現実を受け入れざるを得ない…


この度の地震

実家も大きな揺れを観測。


石川県との県境にある実家。

発生直後は連絡つかなくて

津波警報もでてるしで…

軽くパニックになった私です。



輪島含む能登半島は

何度も行ったことがある所。

その姿の変わり果てた風景…

ニュース見るたび苦しくなります。




こちら関西。

揺れてるのをしっかり感じるくらい

離れていても地震を体感。



今もまだ不安と恐怖で

安心できない現地のかたをおもうと

ホントに心が痛む思いです。

苦しい…


また何も出来ないのがもどかしい。




書かなきゃいけない記事をすっとばし

今のリアルなおもいを

かきました。




どうか1日も早く

安心できる日がおとずれますように。


この度の被災された皆さま

お見舞い申し上げます。


新年があけて2日。


実家のおじいちゃんが人生の幕を

下ろそうとしていました。



92歳までは自分で何でも出来たおじいちゃん。

それから少しずつ弱り始め

93歳くらいから日常生活の大半は

人の手を借りるようになり

1日のほとんどをベッドで過ごすようになりました。


そしてコロナの流行。

これと同時期くらいに

老人介護施設に入所。


面会も制限された中での生活。


そして4回くりかえされた

誤嚥性肺炎。

でもその度入院し治療し復活しては

施設に戻ってきました。



でも…

1月2日の夜ごはんから食べなくなり…

1月3日お昼に実家の家族は施設に呼び出され…

窓越し面会し説明をうけた。

(最期が近いかな…と)

翌日は部屋まで入れてくれる約束をかわす。


だがしかし…


1月4日午前2時頃施設に呼び出され…

そこからおよそ3時間後

夜明け前に

おじいちゃんが旅立っていきました。

実家のばあちゃん、両親、兄(帰省中だった)が

看取ってくれました。




私はというと

施設に入所し

誤嚥性肺炎を繰り返すなかで

残された時間はそれほど長くないことは

実家の家族から伝えられていました。

その中で年が明けちょうど義実家から

自宅に戻りバタバタしてるとき

父からラインで連絡がありました。


そしてその夜に

母と電話して現状を確認し会いました。

それが1月3日の夜でした。


そして1月4日の朝起きたら…

父からラインで

おじいちゃんが亡くなったと連絡がきてました。




ある程度覚悟はできていたので

現実はちゃんと受け入れることが出来ました。



それから母と電話して連絡を取り合い

お通夜、葬儀に参列するため

みんなで帰省しました。


年末に帰省する予定でいましたが

寒波だ大雪だと言っていたため

帰省するのを止めたんです…


まさか葬儀で帰省するとは、、、




おじいちゃんは無口だけど

ニコニコして

私の中のおじいちゃんは

実家のお店で読書してる姿

タバコとお酒が好きで毎日たしなんでた姿

笑点、相撲、囲碁、将棋の番組が好きで

必ず見てる姿

コーヒーとお菓子を毎日2回おばあちゃんと楽しむ姿

そしてとにかく働き者だったおじいちゃんの姿



こんなかんじのおじいちゃんが

私の中には強く残っています。



そんなおじいちゃんが

96年の幕とおろしました。


ほんとに感謝しかないです。

ありがとう!

ありがとう!

ありがとう!




葬儀中に流れたスライドショーの最後は

おそらく93歳になりたてくらいの時期の

おじいちゃん。


お母さんとドライブがてらお花見で桜を見に行き

そこで撮った桜の木と共に微笑むおじいちゃんでした。




それからおよそ3年半…



早かったなぁ。。。。。




たくさん笑い

たくさん泣き

感情がジェットコースターでしたね。


でもきちんと

お別れも出来たし

ようやく気持ちも落ち着いてきました。



おじいちゃん

長い人生お疲れ様でした。

そしてありがとうございました。