今日で東日本大震災から3年が経ちます。
父の知人が浪江町で梨を作っていました。秋になると毎年たくさんの梨を送ってくれていて、私はそれをもらっていました。
当然ですが、震災以降、梨は届きません。
その方はこちらで、働いていたのに、家業を継ぐために、20数年前、Uターンされたのです。
ところで、昨年、秦野市は報徳サミットの会場になりました。二宮尊徳ゆかりの市町村が参加して、協議会を作っています。
例のごとく、動員をかけられ、しぶしぶ行ったのですが、参加市町村の中に、あの原発事故で大変な思いをしている、相馬、南相馬、飯館などが参加され、浪江町も名を連ねていることがわかりました。
サミットの主旨は報徳の精神を活かして、ひとづくり、まちづくりをしていく、というものです。そんなきれいごとでは問題は解決しないことはわかっていますが、特に、福島の人たちが、安全で安心なくらしが早くできるようになることを祈らずにはいられません。