県神社と宇治神社。
見開きで書いて頂きました。
先に訪れた県神社で「お金の心配で心を乱さず、初心貫徹」のお言葉(閃き)を頂いた上で。
宇治神社で菟道稚郎子命から「人生の道」を説かれたことは、私にとって、とても意義のある時間となりました。
これからの自分に必要なものと、不要とは言わないけれど限られた時間の中で「かかずらわっている場合ではない」もの(時に人や仕事)とが明確に見えるようになったのがこの神社の御利益。
凄い背中押しを頂きました。
個人的に宇治神社の「見返り兎」の逸話とそっくりな体験を、初めて滝野神社をお参りした後に経験しているんです。
そこが私のフェアリー人生の原点だと思う3年前の出来事なのですが、滝野すずらん丘陵公園で初めてアロマ講師をするご縁を頂いてのご挨拶参りに滝野神社へお参りして。
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その足で公園での打ち合わせに事務所を訪れようと歩いていたところ、初めての場所、広い公園内で迷ってしまって。
一本道だから歩いていけばどこかの施設には到着するだろうと思いつつ、森の奥深くに逆行しているのではないか?
人っこ一人いなくて変質者がいたらアウトだな。
もしかしたら殺されても発見されないかも…ぐらいに不安になっていたのです。
そこへ一羽のカラスが現れて少し先のフェンスに留まってカァカァーと。
カラスでも「一緒にいてくれる」安心感で近寄っていくと、少し飛んで、また先のフェンスに留まってカァカァー。
まるで「こっちだよ」と言ってくれているようでずーっとカラスと一緒に歩いて「見返りカラス」を5度ほどやってくれた後にやっと「目指す事務所」の屋根が見えてきて。
ホッと安心した私を見届けたように飛び立った(しかも念を押す様に事務所の屋根を越えて飛んでいった)という…。
そうして、その後。
交通事故に遭った直前の1ヶ月間は、カラスから咥えていた枝を頭上に落とされたり、低空飛行で頭蹴りの真似アクションで脅されたり、2度フンを肩に落とされたり(私の人生でカラスのフンの直撃を受けたのはこの2度きりです)。
最初「警告されていたのかな?」と思っていたけれど、カラスに狙われた(?)頭とフンが着地した右半身は無傷だったので「守ってくれていた」と今では理解しています。
こんなことがあって八咫烏の話の時に「カラスは嫌いじゃない」と書いたのですが、宇治神社の見返りウサギの話を聞いてやっぱり私にはカラスなんだ…との理解するキッカケにもなりました。
色々と心の中の「道」が整理された県神社と宇治神社。
やっぱり「セットで呼ばれて」いたんだなーっと強く思います。
この順番で詣でたからこその「お言葉」なんですよね。
本来の私の性格は度を越した合理主義、現実主義なので「結果さえ良ければ瑣末なことはどうでもいい」「結果が見込めない投資はするだけ無駄」と考える癖があるのですが、ここ3年のフェアリー人生の中で「瑣末なことなんて無い。自分の意識だけが物事を瑣末にしている」「結果がダメだったとしても努力することは無駄にはならない」といった考え方もできる様になりました。
宇治駅に降り立った時は、京都自体が縁のない土地だし、宇治はもう人生で訪れることは無いだろうから目一杯見て帰ろうと思っていましたが、今回訪れることができなかった宇治上神社を含めて、今度は季節を変えて、もう一度お詣りしたい、ゆっくり観光したいと思える場所でした。