鎌倉 香水づくり専門店のオーナー兼調香師の
大野陽加(はるか)です。
元々は歯科衛生士だったわたし。
リウマチとなり断念し、香り好きだったことから
独学で香りを学び調香師へと変貌を遂げました!!
家庭では小6•小3 の息子たちの母親でもあります。
そんなわたしがどうして〝調香師〟を目指したのか...
少し長くなりますが、読んでいただけたら嬉しいです。
私がリウマチになったのは、2015年。
長男出産、1年後。
その頃はまだ歯科衛生士で、
復帰してから数ヶ月後でした。
今でこそ働くママは多いですが、
その頃は共働きで保育園に預けるのが
当たり前になるちょっと少し前🤏
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一人目の子供で、不安も孤独も大きかった中で
正直、社会からの孤立を強く感じている時期でも
ありました。
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なので働きたいというより、孤独を恐れて
社会との繋がりを切りたくなくて
〝どうしても働かなくてはならない〟
そう思い込んでいました。
その一方で、両親たちからの、
「まだあんな小さい子を預けるなんて」
という言葉だったり、先生から
「〇〇くん、今日はこんなことができましたよ」
という言葉。
どうして、自分の子供なのに
(わたしは育ててないんだろう)
(何故、親なのにその子の一番最初に立ち会うことが
できないんだろう)とずっと思っていました。
そんな中で、こっそり親が
保育園を見に行ける日がありました。
小さい穴からそっと我が子を覗き込んだ時に、
当時うちの息子は、卵アレルギーを持っていて
食事の際にアレルギーを心配しての考慮ですが
みんなの輪から離れ、一人ポツンと
食べている息子を見た時に、何故か涙が出たんです。
両親の言葉も先生の言葉も、
決して私を責めての言葉ではありませんでした。
けれどあの当時は、全てが自分に言われているようで
ひどく言葉が突き刺さっていたんです。
そんな中で、仕事に行っていたある日。
足に大きな痛みが出ました。
最初は何でこんなに痛いのか
全然分からず、腫れ上がっていくことを
見てみぬフリして、仕事に行き続けていました。
そのうち歩くことすら困難に...
続きは、また明日書こうと思います。
ここまで読んでくださり
ありがとうございました。
いつでも必死だった愛おしいあの頃。


