葉桜によせて
桜はどの姿にも存在感が・・・
四月も下旬に入りました。
コロナウイルス禍は相変わらず、というよりもさらに酷い状況になり困ったものです。
外出自粛もいつまで続くか分かりません。気が晴れない日が続きますね。
でも、いまは皆で我慢のしどころです。ウイルス禍を抑え込むために協力し合って自重してまいりましょう。
いつものゴミ出しがてらの朝の散策。
近くの中学校の正門の桜はこのところの雨や強風ですっかり葉桜になっていました。
咲き始めから振り返ってみると・・・
(3月の咲きはじめ)
(まさに満開のとき)
(そして今朝の葉桜)
先日NHKのある番組(2年ぐらい前の番組の再放送でした。)で、見事な桜の木々を前にゲストの3名の女性が話し合っていました。
『満開の桜はきれいだけれど、なんだか心がザワザワするわ。』
『そうそう、葉桜になると心が落ち着くのよね。』
なるほど・・・と思いました。
確かに桜の花は見事だけれど、その華やかさゆえに心が乱れますよね。
葉桜になって明るく、しっとりとした緑を目にしたとき、不思議に心が潤います。
まさに、歓喜もざわつき(乱れ)も落ち着きも与える・・・桜とは不思議な樹です。
私はそれぞれの姿、いずれも大好きです。
ところで、葉桜にはもうひとつ“見どころ”があります。
花が舞ったあとに残る「蕊(しべ)」が役目を終えてぱらっと落ちていくんですね。
蕊とは「めしべ、おしべ」のことですが、『ソメイヨシノ』は実を結ぶことはないと思います。この「めしべ、おしべ」はどのような働きをしているのでしょうか。
(薄学の身、調べてみなくては・・・。)
(かろうじて残っていた花二輪と花が散ったあとの蕊。)
この蕊が落ちる様子を季語で「桜蕊ふる」というそうです。
パっと咲き始め、もりもり満開となって後、はらはらと舞い落ちる。また風で花吹雪となる。
そのように見る人全ての目を楽しませ、また心を乱す。さらに葉桜となってのちも私たちにその存在を記憶に留めさせる。
桜とは誠に不思議な樹です。
『人気(ひとけ)なき正門に降る桜蕊』
一歩
令和2年4月21日(火)
髭のマスター