あのいつもの田圃 | 髭のマスターのブログ

あのいつもの田圃

日本の原風景が・・・

 

 

 

 

 

 

皆さま、こんにちは。

カフェを閉めたあとブログを再開したのが6月3日。あれから12日が経ってしまいました。

営業していた頃はネタに悩みながらもそれなりに記事にできる話題はありましたが、現場を離れた今、日々の生活の中ではなかなか見つかりません。

 

生活のこと、地域社会や周辺の話、趣味のこと等々考えていますが、皆さまにご紹介できるような話題はなかなか出てまいりません。(見つからないと言った方が正確かも・・・。)

 

でも、たまには何か書きませんと皆さまから見放されてしまいそう(笑)ですので、懸命に話題を探しております。

以前のように頻繁には書けないと存じますが、どうぞ気長にお付き合い下さいますよう、よろしくお願いいたします。

 

 

さて、カフェで書いていた頃、通勤途上の田圃(勝手に定点観測地)のことを時々お話していたことをご記憶いただいてますでしょうか?

 

4月の末ごろに田に水を引き・・・

田植えをし・・・

早苗が風にそよぎ・・・

稲が青々と育ち・・・

稲穂が黄金色に稔り・・・

収穫のときを迎え・・・

 

・・・といった流れで季節の移ろい、豊穣の喜び、農家の皆さまのご努力への感謝の想い・・・等々を書き綴ってまいりました。

 

その、いつもの定点観測地の田圃が、この春は耕されなくなっていました。

農家の方が高齢となられてお止めになったのでしょうか・・・。

 

 

ある日、3人ぐらいの方が測量していらっしゃいました。

その時点で、「ここの田圃もいずれ宅地か何かに造成されるんだろう・・」と想像いたしておりました。

 

その田圃がいよいよ宅地として造成されることが判明し、5月、工事が始まりました。

土を入れ造成中の田圃

 

ところで、この北井門地区は縄文時代の遺跡が出ることがよくある地区であり、宅地造成着工に先立ち事前調査したところやはり遺跡の存在の可能性大ということで今回きちんと調査することになったようです。

 

真ん中の緑のフェンスに囲まれたところが調査範囲。

調査中であることを表示する立て看板。

 

縄文時代といえばおおよそ15000年前から2300年前までの人々の生活の跡の可能性もあるということで、貴重なものかもしれません。

遺跡調査については詳しくは存じませんが、少しずつ丁寧に表面の土を削るように掘り返していく工程が新聞紙上やテレビニュースなどで紹介されています。

たいへん根気のいる作業だと存じます。調査に当たる方々のご苦労に敬意を表したいと思います。

 

もし遺跡の存在が明らかになったら造成工事がどうなるのか分かりませんが、この地域がそんなに大昔から人々の生活の場であったことが判明する訳ですから、それはそれでたいへん誇り高きことなのではないでしょうか・・。

 

 

我が家の周辺には田圃が点在し、田植え準備で水が引かれた途端、蛙の鳴き声が喧(かまびす)しく、まるで‟四面楚歌”のようでしたが、このところ宅地造成などでめっきり減ってしまい、なんだか寂しく思っておりました。

 

そんなとき、この「勝手に定点観測地」とさせていただいていた大きな田圃も無くなってしまって、日本の原風景が失われてしまったようで本当に寂しく思います。

 

造成工事の概要説明の看板によれば、この土地は2170㎡余りあるとのこと。

つまり元々の田圃は2反(600坪)以上の広さだったということです。

大きな大きな‟一枚田”だったんですね。

 

通るたびにそよ風が吹き渡っていて気持ちのよい風景でした。

田植え前後の夜に通ると周辺の民家の灯りが水面に映えて幻想的でした。

稔りの秋にはこがね色の稲穂が風に揺れて、見ている私までが心豊かになる想いでした。

 

地主さんのご事情で無くなってしまいましたが、これまで長い長い年月心地よい風景を見せていただいていたことに感謝したいと思いました。

 

 

 

久し振りに書いたものですから長くなりましたが、悪しからず・・・。

 

 

 

平成29年6月15日(木)   髭のマスター