季節の行事 | 髭のマスターのブログ

季節の行事

きょうは朝から(というよりも昨夜から)温かな雨が降り続きました。例年この日あたりは日本の南海上を低気圧が移動し、それに向けて北から寒気が流れ込み雪になるのですが・・。

ことしは低気圧がいつもより北の方を移動したようで寒気というよりむしろ南からの温かい湿った空気が流れ込んだようです。

なぜこんなことを書くかというと、きょうが2月26日だからで、長年東京で暮らしていた私にとってはニュースのたびにこの時期の話題としての『2.26事件』と当日の大雪、そして現在の天気情報がセットで流れ込んできていたからです。

少し日にちがずれますが『旧暦3月3日の桜田門外の変』や同じく『旧暦12月14日の赤穂浪士の討ち入り』など、だいたいこのあたりの時期で、東京では大雪がからむ事件が起きているのです。


旧暦はいまの太陽暦とは違って月齢が基本になっているので閏月や閏日が多く、太陽暦とはずい分ずれています。また、そのずれ方も毎年決まっているのではなく、結果的に一ヶ月前後のズレが発生します。

たとえばこのところ話題にしている『お椿さん』(椿神社の大祭)は『旧暦の1月7日~9日』と決まっており、その該当日は年によって違い、1月末になることもあれば今年のように2月下旬になることもあるのです。


旧暦と新暦の関係といえば、『五節句』もどちらで考えればいいのか分からないこともありますよね。

たとえばもうすぐお雛様の時期ですが、『桃の節句』ともいいますよね。  

『灯りをつけましょ、ぼんぼりに。お花をあげましょ、桃の花・・♪』

でも実際に桃の花が咲くのは3月末から4月にかけてではないでしょうか? (南北に長い日本では地方地方でズレはあると思いますが・・。)

だから新暦の3月3日を『桃の節句』といってもぴんとこないんですね。

9月9日の『重陽の節句』も別名『菊の節句』ですが、実際に菊の花が楽しめるのは11月ごろです。


この新旧の暦の関係にもってきてさらにややこしいのは、これは私の自説ですが、その複雑なズレの原因は都のあった場所にもよると思うのです。大和朝廷の時代から飛鳥・浄御原を経て平城京、平安京と、歴代の天皇家、また政権が中国の文化・文明を盛んに導入するようになってから一千三百年以上都は近畿地方にありました。この中で暦の考え方も導入され国内に根付いていったのだと思います。そもそも私たち庶民の伝統行事も元は宮中行事であったものが多いといわれていますが、南北に長い日本の行事も奈良・京都を中心として考えられてきたものゆえ地方においては若干の季節的なずれ、地域的な多様さが生まれたものと思います。

それが明治以降は東京において、しかも新暦にて物事を捉えようとすることになったためさらに前述の『節句のズレ』などが生じているのでしょう。


新暦、旧暦それぞれ捉え方、考え方は千差万別で一概に良し悪しは決められませんし、どちらも活かしていきたいとも思います。ただ季節的な行事はやはり旧暦に、また実際の気候・風土に基づいて実施するほうが理にかなっている?と私は思うのですが、いかがでしょうか・・・。

全国一斉でなければ経済的な効果が薄くなる?・・それはそうでしょう。全国一斉でなければ国民の価値観がバラバラになってしまう?・・それもそうでしょう。

でも、それでいいと私は思います。それぞれの地域、地方における風土に生き、風習が受け継がれていくことのほうがはるかに大切なことと思います。


長くなりましたが、温かい雨から生じた季節の行事についての『雑感』です。

私の捉え方に間違いも多くあるかもしれません。どうかご指摘、ご教示下さい。

よろしくお願いいたします。



平成22年2月26日(金)   髭のマスター