父の誕生日 | 奈良市音楽教室【やまなかみゆきピアノ教室】おんぷのつぶやき

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今日は、亡き父の誕生日です。

毎年、ホワイトデーも兼ねて、入れ物が、楽器の形をしたウイスキーや、お酒をプレゼントしていました。

父は、ピアノは弾けませんでしたが、音楽を聴くのは好きでした。
特に、ジャズやマーチなど、たくさん聴いていました。

でも、なぜか、三味線を持っていて、1度も弾く姿を見ることはありませんでしたが、道具だけは、懲り性でした。

そういえば、物置に立派な『スケート靴』が、ありました。
これも、1度も履いている姿を見たことなし (爆)

オーディオには、非常に凝っていたので、今でもレッスン室のスピーカーやCDデッキなどは、使わせてもらってます。

今、タンノイのスピーカーなんて、使ってる人いるんですかねぇ…。

わが家は、マイカーがなかったので、ピアノのレッスンに行く時に、父のスーパーカブの後ろに乗せてもらって、送り迎えをしてもらってました。

今思えば、とても手間なことだったと思います。
雨が降っている時は、カッパを着せてくれました。

カッパのズボンは、履きにくかったので、父がしゃがんで、ズボンのゴムを伸ばして、足を通してくれました。

これ、私が高校生の時です。
幼稚園や小学生の頃じゃなくて、高校生の娘を バイクの後ろに乗せて、送ったら、また自宅に戻り、時間になれば迎えに来る。

つまり、バイク往復40分を2回です。

エレクトーンの買い替えばかりで

『みゆきに、ボーナス全部持っていかれるなぁ』

と言いながらも、ピアノやエレクトーンをしている娘が、自慢の娘だったんだと思います。

奈良に引っ越して来た小学生の頃は、エレクトーンの先生の家に行く道を自ら『開発』し、『これが、1番安全で近道』と言う道を自分も一緒に歩いて教えてくれました。

先生の家の前まで来ると、『帰りは、気をつけて帰っておいで』と、帰って行きました。

子煩悩で、いつも、理解者であったと思います。

亡くなって10年。

母が亡くなってからは、オープンカーで、母の写真を助手席に乗せて、1人旅行をしていました。

素敵な…父でした。

お父さん、74歳のお誕生日おめでとう。

私の中では、いつまでも、64歳の若い父ですけど…。