20代の頃に職場の年上女性に「どうしてそんなにいい子なの?」と言われて、私は嫌でした。しかもその人に言われたことが不快だった。〝良い子〟を求めていそうな母と似たタイプの人に言われたこと。
無理して〝いい子〟でしかいられない自分への皮肉ではないか。
なんて返したか忘れたけど、ここでも言いたいように発言出来ずにモヤモヤしていたと思う。「私は本当は良い子じゃない」そして「私にとって都合の良い子でいてね」とその人から圧を感じていた。

いい子・・・
それは親の前でNOを言ってはいけなかった。私の発言で母が急に怒り出したりヒステリックになるから。それはとても危険なこと。出来るだけ回避したいから、母の都合の良いように振る舞う。良い子でいるのは親が子供にとって危険な人だから。
だから不安と恐怖を抱えるようになる。本当は嫌だと言いたい。あれがしたい。こっちを選びたい。私には私の意思や意見がある。何より感情をもっと自由に表現したい。もっとノビノビと振る舞いたいのに、そんな自分に気づかれたら危険なのだ。
自分の存在が脅かされないように、外の世界でも「感じの良さ」で自分を守っている。怒りや攻撃が飛んでこないように、常に気を張って良い人の仮面をつけている。これも自己犠牲と同じかなと思う。心が消耗して疲れが溜まっていく。
私は〝感じが良い〟と言われても嬉しくない。本当の姿の自分が別にいるから。本当はそっちで生きていきたいから。強い不安と恐怖心。人が怖い自分がいるのは知っている。そんな自分を受け入れながら生きていくしかないと思っている。
