耳下腺がんを患って術後は定期的に検診を受けていますが

あくまでも手術した箇所の周辺をエコーで診ていただくだけです。

それでふと思いました。

 

例えばがんが遠隔転移していたら

今受けている術後定期検診だけでは発見できないね。

 

当たり前のことにいまさら思い至る、迂闊すぎる自分に驚愕・・(恥

 

今までみたいに自分の体に無頓着でいると病気の発見が遅れるし

何でも安静にしていれば治るなんて過信して放っておいたら

治療が困難になって、より痛く苦しい思いをするかもしれないし

医療費もかかり生活を圧迫するかもしれない。

平穏な日常が崩れて悔やむことになる。

これは大変!

どこか気になることがあったらその都度早めに病院に行き、

毎年きちんと健康診断を受けて早期発見の機会を増やし、

常に自分の体を気遣っていかなければダメだ!

 

と焦った・・のですが、すぐにこう思いました。

 

そうやって体のことばかり気にして過ごす日常を

自分は本当に望んでいるのか?

健康で生きたいとは思うけれど

少しの問題が見つかるたびに医者に通い薬に頼り

100%の健康体に戻ることに躍起になって生きる生活は

かえって自分の精神を追い詰めることになるんじゃないか?

(いちど気になると少しの欠陥も許せないタイプ)

たとえ病気であっても「知らぬが仏」で

気楽に好きなことをして楽しく生き

いよいよダメになったら潔く死んでいく方が

見方によっては幸せな人生なんじゃないだろうか。

 

私はもともと野良猫のような自由な生き方が好きな人間です。

しがらみから抜け出しその場その場の感情と嗅覚で道を選び

心地よい環境を自力で整えて生きてきました。

人生設計を立ててその通りに着実に行動する人とは正反対で

その時々で心のおもむくままに行動してきたのです。

幼少期から群れるよりも個人行動が好きだったし

10代の頃からはたくさんの人に見守られ惜しまれながらの死よりも

自由に生きひっそりとひとりで死んでいく自分を思い描いてきました。

野良猫のような生き方への志向は死ぬまで変えられないと思います。

 

そんな私に相応しい生き方はどっち?

後で後悔することになるかもしれない。

気が変わることもあるかもしれない。

だけど、今の私の気持ちは・・?

 

いちど波立った心を静めてしばらく自問自答を繰り返した後、

(数ヶ月後はわからないけれど)今は変化のタイミングではない

という結論に達して思い悩むのをやめました。

 

 

   三毛猫  黒猫  オッドアイ猫  黒猫  オッドアイ猫

 

こんな話をすると、『アリとキリギリス』のキリギリスみたいで

危なっかしいと思う人もいるかもしれませんね。

アリの生き方を好む人、キリギリスのようにしか生きられない人、

いろんな人がいていいんだと思います。

それぞれの生き方で自分の人生に納得し

満足して死ぬ時を迎えられたなら、それが幸せ。

 

 

 

   三毛猫  黒猫  オッドアイ猫  黒猫  オッドアイ猫

 

ずっと家と外を自由に行き来させてきた我が家の猫ですが

野良猫と喧嘩して大怪我を負って帰ってきたときに

もうこれ以上こんな目に合わせられない!と

完全室内飼いに移行しました。(自由歴6年、完全室内歴2年)

野良猫の生き方をよしとする私としては

本当に悩んで悩んで、苦渋の決断でした。

室内飼いに移行したばかりの頃は、外に出たくて出たくて

窓を開けようとしたり、ストレスで毛が抜けたり、

はらいせか壁のあちこちにおしっこをかけたり・・

そんな猫息子の様子に胸が痛みました。

飼い主の勝手な思いで自由を奪ってしまった、と。

今は室内飼いに慣れてきた様子ではあるけれど

本当はどう思っているのかな・・

本心を聞いてみたいような、聞くのが怖いような。